http://toki.mikosi.com                日知り  \page047.html 


日読み4(真の太陽暦・解説4) 

       日読み4    


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・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

●チ

知性化の時代・・・・・・・女性原理が情緒とすれば男性原理は腕力や暴力ではなくて知性と意思です。知性や知
恵は単なる知識・学歴ではなく、事実や道理を考える理性が基本である。太陽の軌道は今、天の川(銀河)の魚座から
水瓶座に移った。この事はより明るい時代に入った事を意味する。

20cまでの暗闇の世相から21c以降は太陽の働きの増す夜明けの時代であり、季節では春を意味する。よって密室
政治の悪が次々露呈し、情報が隠し切れない時代になりました。

新聞社の役割が終わってテレビが普及したものの、マスコミがニュース報道を怠り、ドタバタ娯楽番組しか流さないの
で、そうしたメディアに飽きた人達がインターネットに期待する時代となった。或いはメディアが画一的な報道しかしない
のに飽きた人達は、個性的で個別の情報を双方向でやり取りするインターネットや携帯に切り替え始めた。

新聞を2時間見る人はなくなり、その代わりにインターネットで2時間費やす人が平均的になったのです。でも今の所は
通販や出会い系サイトが儲けている程度であって少しも知性的ではない。次は意思である。意思をハッキリしない大阪
商人は今や何処でも相手にされなくなったし、煮え切らない男も女性の人気が無い。

其の点で小泉首相は意思をハッキリ述べたが誤解と嘘があったので日本を数年間カラ回りさせた。米国はイスラエル
の意思に振り回され、ブッシュも其れによって小泉に嘘を吐いた。ですから真偽を別とした意思だけで武力を行使すれ
ば傍迷惑であり、世界をミスリードする。武力や意思より知性が問われる時代です。

中気・・・・・・・冬至を起点として次の冬至まで期間を12等分した区分点。即ち冬至・大寒・雨水・春分・穀雨・小満・夏
至・大暑・処暑・秋分・霜降・小雪の区分。他に「中風」の意味もある。

●ちゆるぎ・・・・・・地球も台風も地震も生き物であり、生き物には生死の道筋があると見るべきであり、其の筋目は円
暦に従って発生・終息する。例えば風には凡そ北風、東風、南風、西風があるが、其れは四季によって向きが決まる。
冬は北風、春は東風、夏は南風、秋は西から吹く風となるのです。

落雷の場合はプラス極とマイナス極との交尾を「稲つるび」と言うように、「地揺るぎ」(地震)の場合も陰陽両極の関係
が一定の暦・方位になった場合に発生し消滅すると見て良い(「ヒジリ事典」の同項も参照)。具体的には震源地からタ
イムラグで激震地が移動する。其れにより、「地揺るぎ」の発生(生死の時期)が判定できる訳です。

●地理・方位暦・・・・・・・366円暦を地図や地球儀に被せて見れば其の日の方位がハッキリします。何れも子午線に
南北を合わせて見ます。例えば国内地図の場合は四方について見間違いは少ないのですが、世界地図の場合では米
国を東と誤解している場合が多いので、確かめて見よう。

大阪を中心として見た場合、子午線の北はグリーンランドのフェアウェル岬、北東はカナダのユーコン地方、東はチリ
のクスコ。そして東南はラパ島、南はオーストラリアのポートリンカーン、南西はココス諸島、西はキリマンジャロになり
ます。それに北西はアルジェです(ヒジリの「地図」、及び「12神将」を参照)。市販の地図より地球儀の方が良い。



●ツ
・・・・・・・
●テ

天気・・・・・・・地球も自然界も生きている。しかも天気は天体の動きと人気とが絡み合う。此れを古来先哲は「天人
相関」として捉えた。そして暦を知る日知りや天子が天神を祭祀して天候の無事を祈って来た。裏を返せば其れだけ誰
もが天変地異に永く悩まされ、塗炭の苦しみを味わったからである。

其処で天地を繋ぐ能力ある天子が出た時に初めて民は安まった。其の点で今、科学機器を駆使しても気象庁やマスコ
ミの言う「予報」が中々当たらないのは無理もない。例えば平成15年夏について、六月の三ヶ月予報では、「この夏は
平年より気温が高く、猛暑」と予報して、それが裏目に出て冷夏となった。

ために苦情が殺到したので連日修正を続けた。また05年末も「暖冬」と予報したのが「厳寒」、大雪となって各地で家の
倒壊、死者1000人を出した。だが其のつど予報士は「私は無関係」を装って相変わらず連日ご託宣を下し続けている。

このように科学に頼っても中々当たらないが、其れに比べて下記の「天気波カレンダー」は良く当たって来ました。

天気波カレンダー1・・・・・・・天気は、四季により四方から天気が動く五風十雨の繰り返しであり、気象学の論理
で動いているのでは有りません。其処で当会では、1年先までの天気予報を「天気波」として別紙の366円暦に付けて
発表して来た(現在はこのホームページの一部に「天気カレンダー」として掲げた)。

当会の予告は一切無修正で的中率7〜8割の実績を続ける。其れに対して気象庁の其れは直前まで訂正し、講釈ば
かりで中々当たらない(的中率81%と言うが実質31%)です。  

天気波カレンダー2・・・・・日本の気候風土は古来「五風十雨」と言われて来ました。このようにお天気は生き物
であり、生体波のような自然のリズムで動く現象である。

だから機械的な観測や数字カレンダーには馴染まない。例えば月日によって過去30年間の天気情報を入れても、どの
日も、何の波もない平均化されたデータになってしまうからです。其の点、当会の天気波カレンダーは、上の五風十雨
の循環表になって いるので一年前の予測の的中率が平均7〜8割と言う実に素晴らしい実績を続けています。

参考として06/5月から「天気カレンダー」に加えて「黄砂など、天気実績」として南河内の観測結果を一部掲げた。

●天文学・・・・・・・古の天文学は太陽観測でした(「王」を参照)。其れが人類の生活文化にとって何より重大だったか
らだ。其のため天球の何処を中心として、其処から何等分して見るかが先ず命題となった(「方位」を参照)。其処で仮
に子午線を設定すれば昼夜の極が分かり、同時に夏冬の極点が分かった。

また四等分すれば四季の節目が分かり、或いはハレー彗星を4×19=76年として捉える事が出来たし、12等分す
れば木星が丁度その角度に再来する時空を確認出来た。更に、月の暦を作るときの基準とする事も出来ました(位置
天文学)。また其れを太陽の366方位に重ねれば各60度で整合する。

よって天文と暦法、其れに時刻まで整合させ、この道理(方式)を更に度量衡にまで拡大する事が出来たのです。しか
も其れは水準器となる田んぼがあれば、石ころと糸と棒で観測出来た。所が近代天文学になると、地動説などを振り
回して巨費を費やしたが、実績のある古代天文学を蔑視し、地球上の一般人の暮らしとは殆ど無縁とした。

その代わりとして一生の間に誰も行けない星や月だけを研究対象とし、レンズで拡大して遊んでいるだけとなった。従
って、国民の役に立つ事も有りませんでした。其れを天文学と言って見た所で、肉眼では殆ど見えないような星を、専
門家だけが大きくして詳しく見たって殆ど遊びであり、意味が無いのですが、軍事利用の目的には貢献した。

天文/太陽-------今は天文学が地に落ちた感じです。例えば太陽を信仰する人が少ない。其れは天威を知らないか
らであり、天文学が正しくないからです。どんなに太陽が寸分も違わず活動していても、其れを直視せずに、星を基準と
した側から藪睨みで見てアレコレ言って、太陽の真の姿を押し込めてしまっている為である。

其れは例えば西暦を太陽暦と偽装した事が原因である。或いは日食月食などで暦日を一端ゼロ修正し、精算しなけれ
ばならないのに、2-3日ズレても無視している事実である。或いは小数点以下、幾つもの数字を並べて正確さを示そう
とするけれども、此れでは少しも正確ではない。それこそが問題の根源であると知って欲しい。

天は少しの間違いもなく、何万年も正しく運行されている事に人は真摯に敬意を持つべきである。にも拘わらず、気象
関係者は例えば気象予報の場合に、自分の予測が間違えば、異常気象と言って、天に責任を転嫁して来た。

彼らは天に対する知識は有っても、天の事実に無知となり、天を恐れず天に恥じず、天に比べればチリのような自分
の立場とか、ゼニカネとか科学とかを信じて、実に傲慢になっている。なので今からは是非とも、天の特に太陽を直視
してその存在の復権に努めて欲しい。

●ト

冬至・・・・・・・太陽が黄道上、真北になる事であり、旧暦では子の月、十一月中気を言った。また、西洋天文学では
太陽黄径270°になる所を冬至点と言う。何れにせよ、この頃は昼の時間が最も短くなり、従って夜間が長くなる。
2003年は12/22が暦法上で冬至ですが、月齢が28.5で月末に当たる。

つまり其の夜明けが月の暦のスタートする朔になるが、此れが旧暦11月(霜月)の朔(新月)となった場合を「朔旦冬
至」と言い、シナでは吉兆として古来、喜ばれて来た。ただ古来、冬至の観測を重視したのは月との巡り合わせよりも
方位の確定であった。其れにより、太陽と暦との整合性を再確認するためでした。

其の点で現行暦では冬至の日が12/21になったり、12/22になったりする。このように基準がフラフラしていては暦として
致命的な欠陥である。こうなるのは真北と言う方位を基準とはせず、数字を追った為の弊害である。

基軸のグラつきによって春分の日以下が毎年変動するのも困ります。其処で円暦の場合は現行暦のフラツキに関わら
ず真北と冬至を12/22に固定する事にした。此れにより方位の誤差を1/4だけに止める事が出来るからです(「閏」及び
「真北」、「ニューグレンジ」を参照)。

●時の神・・・・・・・現代社会の観念は「時は金なり」ですが、昔は「トキは鐘」で知らされた。デジタル社会の今は、「トキ
は数字」であるが、此れは如何なる世界にも通用しない勝手な人為的観念である。自然界にも幼児にも通じないので
す。ましてや霊界には通じない。霊界(神界)と現界とを繋ぐのは方位である。

だから古墳は個々バラバラ(実は固有)の方位を向いて築かれているし、神道では参道によって方位を示し、其処を行
き来する事を御幸と呼び、其の方式を神道と言い、其れを行う人を入道・求道と言い、彼らの行為を道行とも言った。
其の方位にある固有の天体が位置(回座)した時を定刻(シバ)と言い、其のときに時の鐘を鳴らした。

其れが鐘楼の意味でした。時間はコンベアを一方通行で直線的に流れるものではなくて廻るものである。だから人は
定点から八方の方位を設定して方位で割って時を知った。所が近代科学は、時間が直線的に進むものと勝手に誤解
し、更に数字にしてしまった。其処から今の、最先端と言われる量子力学や宇宙科学に至ったものの壁に当たった。

此処に来てやっと一部の人が循環する時間の正体に気付き始めた所です。

●時の測り方・・・・・・・「よく有る質問」なので項目を分けました。春と秋のお彼岸のころが最も観測し易い。其れは太
陽の進行角度が時計周りで、時計の文字盤と略同様に進行するからです。また太陽だけではなくて月とか星の「時の
測り方」も有りますので、此処で一々丁寧に説明するのは困難です。

なので更に詳しく知りたい場合はトップ(目次)ページの「鬼の会」に登録(無料)すれば、具体的なアドバイスを得られるで
しょう。但し当会は公営の学校ではなくて全てボランティアですから、返信ご希望の場合は返信料程度はご負担下さ
い。
   
土用・・・・・・・五行の理による「土」は四方の中心の座である。だが暦では四季の変化の前に配分する。即ち立春、
立夏、立秋、立冬の前の約18日間を土用とする。つまり土用は年に4回あって四季を画する。土用に入る日を土用入
り、土用が終わる日を土用明けと言う(「24節気」、「五行」、「土御門」を参照)。

土用の全日数は年間73日、この間は原則として土を動かさず、「土用干し」と言って物を乾かす風習がある。

●ナ

●七十二候・・・・・・・「シ」の項目、及び別紙の図版を参照。

南中時刻・・・・・・・・太陽が真南に来る時刻の事。即ち、日影の線が真北を示す時刻。しかし例えば2007年3月30日
(金)の日南中時が根室では11:22 、石垣島(沖縄)では12:48分である。同じ日本国内に於いてさえ、地域差によって1
時間と26分も違うのですから此処に西暦、つまり「星読み・太陰暦・カトリック教のグレゴリオ暦」の欠陥がある。

如何に「時間厳守」と言っても無意味です。太陽ではなくて、星の時間を電子時計や原子時計で計り、更に数字にして
デジタル時間にして見た所で、太陽の正中する時間ではなく、正午時間とも言えない。無論、方位も誤魔化す事にな
る。其れを曖昧にしていては文化は不毛である(「星読み3」の「歳差運動」を参照)。

またはhttp://www.nao.ac.jp/koyomi/index.html「国立天文台・天文情報センター・暦計算室 」

●ニ

●日神・・・・・・・「ひかみ」を参照。

●28宿・・・・・・・黄道28宿。四方掛ける7星座。例えば葛城28経塚。

●日食・・・・・・・月が新月の時に太陽を食べる現象。太陽と月の軌道が5度ほどズレているため滅多に起こらず地球
規模では年に1〜2回あるかどうかだが、狭い範囲でしか見られないので日本で観測できるのは其れほど多くない。し
かも雨天の時には駄目になる。晴天の時でも皆既日食の時間は4分程度と実に短い。

06/3/29にはアフリカ、ヨーロッパ各地と西アジアの例えばトルコで皆既日食が見られた。太陽と月とは大きさが全く違
うのに地上からは同じ大きさで重なる現象は実に神秘的である。荘厳なダイヤモンドリングとコロナが観測された。しか
も昼間なのに金星が同時に見られた。

また06/9/22には金環日食が南米やアフリカ地域で見られた。因みに2009/7/27には日本で日食が見られる(06/4/26
のNHKTVより引用)。

所で天津のりと(祝詞)の最後には「聞こし召せ」と唱える箇所が有る。此れを「聞き食べ」と書く場合もある。此れは天
津祝詞であるから「お食事」と解釈しては誤解であるが、取り分け「食」を見落としてはならない。つまり日月の「規弧示
せ」であり、日食・月食を示せと言っているように思える。

日本文化・・・・・・・日本の伝統文化は森の文化でした。其れに対してアジアは泥、イスラム世界は砂、西洋は石と鉄
器の文明とも言われる。けれども今の日本では学校教育の場にもスーパーの店頭にも豊かな森の文化はない。石か
ら錆びた砂へと滅び行く西洋文明の、インスタント、スピード、ゲーム、ペット関連などが目立つ。

何れも画一的な商品ばかりが氾濫し、貧しくなっているのに、大量さに幻惑されて「豊かになった」と錯誤しているに過
ぎない。例えば貴方は、地元の山で五分間にどれだけのキノコを見つけられますか?其れを個別にどう料理できます
か?地元で四季に咲く花や地元の動植物や魚の種類を幾つまで言えますか。和服がありますか?

そして、自分の先祖を何人覚えていますか?

二十四節気・・・・・・・1年を黄径(周天)360度と見た場合、此れを24等分して15日づつに分け、数字ではなく円
環に配置して季節感のある熟語で節気を表したものですが、1年365日の太陽暦では各一節気が15.25日となりま
す。

列記すれば、立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、
寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒の順番で巡る(別紙の図説を参照)。中でも「24節気の立春、雨水」
の意味は大事です。

明治以後の日本政府は江戸時代とは何から何まで逆を行うようになりました。例えば国家の基本とする国教も仏教か
ら神道へ一変し、暦法でも方位に基づいた旧暦を廃して太陽暦と称する擬似恒星暦に改暦した。此れが文明開化と脱
亜入欧の実体であるが、其れは政府が改宗しただけではなかった。

実はカトリック暦(教)に宗旨替えして隷属したのです。このため現代社会は何事も数字主義となりましたが、其れは文
明の発展に見えて実は大変危険な事なので、其の弊害からカオスに嵌らないためにも数値化の誤魔化しを見抜く目を
培って行きたい。其処で本来の和暦とか暦法の原点を見直して見たい。

特に24節気なども数字で理解するものではなく、昔から円環で見て来ました。天体も大自然も数字ではなくて円環であ
るからです。

■方位と月日・・・・・古来、祭りは壇を基点として方位を決めたが、方位の基準は八方です。八方を四方四隅(維)と言
った。南蛮渡来の数字式カレンダーではなくて本来の円暦・方位では先ず真北を冬至と し、其処を基点として時計回り
に一周する方位暦として北東を立春に重ねた。

以下同様に、真東が春分、東南が立夏、真南が夏至、南西が立秋、真西が秋分、西北が立冬、そして真北が冬至に
重なる。此れを古来「四至(時)・四立」とも言った。今の月日にすれば冬至と夏至が12/22と6/22となり、其の日
から45日後が立春(鬼門)と立秋(裏鬼門)で、2/5と8/6となります。

そして冬至と夏至から91.5日目が春分・秋分(3/23←→9/21)であり、其の137日後が5/7の立夏(巽)と11
/6の立冬(乾)となります。ただ此れは黄道を基準とした方位に基づく円暦八方日なので、其れとは別の、地軸主義
の星座によって天文台が行う今の西暦月日とは若干ズレます。

だが古式祭りは直線的で数字式の西暦月日ではなくこの八方から見なければ分からない。
但し24節気は機械的に平均約15日ではない。厳密に言えば、先の「四至(時)・四立」はたったの1日に過ぎません。と
すれば其の8日間を366日から除外すれば残りは366-8=358日になります。

従って358/16節気として一年間を等分すれば、1節気当り22.375日になる。しかも途中に土用(別項参照)を入れます。
各四立の前に約18日間の土用を4回置けば〆て72日になる。よって366-72=294日となり、此れを16で等分すれば294
/16=18.375日、または366-4=362となるので、362/20節気=18.1日となり、もしくは366/16=22.875日となる。

こうして土用と言う存在を置く事で1年を八方・16方と整合させ、全体のバランスを採ったものとも解釈できる。

ニューグレンジ・・・・・・・アイルランドの首都・ダブリンから50km郊外にニューグレンジと言われる大きな独立丘(高
さ11〜85m)がある。ドームの中央部に天窓付きの小さな穴があり、普段は真っ暗な通路として奥まで約20m続く。
突き当たりは石造りの玄室(小部屋)がある。此処から大きな石皿が多数見つかっている。

水平線から上る日の出の日光が、冬至の日にだけ奥の玄室まで届くように仕掛けられた5000年前の墳丘だった。所
が近年、冬至の日に其れを確認する試みがあったが、玄室までは光りが届かなかった。

その理由についてコンピューターでシュミレーションした所、地球の歳差運動によって5000年前よりも0.5°の差が
出た結果である事が分かった(04/12/9日のNHK教育テレビより引用)。

●ヌ
●ネ

■子・・・・・・方位の北の事。四季や暦の北は冬至であり、時刻では真夜中、五行では水、五色では黒(漆黒の闇)が
配分される。因みに「子」の字は子供の姿を象った字ではなくて、地面に鉾を突き刺した形の影の部分をリアルに示し
た象形文字である。つまり万事、此処からスタートすると言う原点である。

アマコを天子と書き、或いはシナの文献でも漢字で王を「天子」と書いた場合も、其れは天から降って来た子供の事で
はなくて真北(子の方位)に位置して其処に鉾を立てて、南天の太陽の日影を観測(天子南面)した方を表した。其処か
ら親を祭る子供にも「子」を付けて神子・皇子と書いた。

そうした事から親は大事な子供の名前には「子」を付けたが、其の名が余り有り触れてしまった事と、「子」の意味も曖
昧不明となったために「子」の付く人が多い割には自分を育てた親の世話すら出来ない「子」が増えてしまった。


●年初・・・・・・・年初は三回ある。冬至を参照。

年初-------年始の基本的な原理は、その国が太陽を採るか、月を採るか、星を採るかによって各々別になります。
また天文との整合性を無視して政治的にもいじった事が原因で多種多様になります。日本は古来、太陽でした。例えば
東大寺の二月堂の「修二会」が3/12日に行われます。

此れは1年の節目となる年始を決める厳粛な神事行為であり、本来は修正会と言いました。年始は無論当初は冬至で
した。例えば東大寺が磁石のない時代に、磁北よりも正確な真北と真南に正対して建てられているのはそのノウハウ
を持っていたからであり、大阪の四天王寺も子午線を軸に四方に伽藍を配置しています。

古来このように日本の年始は冬至でした。だが唐風の暦が渡来して混乱した。大陸では月を神として、冬至から45度
の方位に当たる立春の頃、新月を新年の元日として春節祭をして来たからです。更に西に行けば中東になり、或いは
西洋に至る。

此処では蛍火のような夜空の星を神として日数を数えた。特にキリスト教圏では冬至から45度も振れた時期の春分の
日の最初の満月の次の日曜日をイースター(復活祭・過ぎ越しのまつり)として、其れが済んだ時を政治的に今は年初と
しているに過ぎません。

欧州各国ではそれまで伝統的に秋を年初として夕方から1日をスタートしていたのです。

●ノ

●ハ

バアル・・・・・・・・バール、バアルはヘブライ語で太陽神。旧約聖書に登場する古代セム人の、特にフェニキア人の
神。ただギリシャ語のBarは圧力の単位でミリバールなどにも使われる。英語のbarは棒。砂州。酒場など。バールは
今は「くぎ抜き」にも変化したが、「棒」は「御柱」に通じる。

実は日本のスサノヲノミコトが朝鮮からヨーロッパに伝播し、バアルとなり、やがて牛頭天王とも言われた。キリスト教も
太陽信仰を基盤として成立したが、其れを否定する立場でバアル神を暴風神とか悪神とし、其れに対する別の抽象的
な絶対神を作り出してバアルからの独自性を創出しようとした。

けれどもバチカンのサンピエトロ大聖堂の前庭にはオベリスク(御柱)を立ててバアル神を祭る様式を残し、また冬至の
後にクリスマスの祭典を行い、7日毎に日曜日を作って教会に集まるのであるから矢張り太陽信仰の影を留めている。

初午・・・・・・・本来は二月、または立春から数えて最初の午の日を初午と言い、伏見大社の初午大祭が有名である
が、今は旧暦の初午に合わせて西暦でする所が多くなった。つまり、より暖かい時期に移行しているので問題である。

八朔・・・・・・・ハッサク。即ち旧暦の八月1日(新月)の事。

●馬頭観音・・・・・・・武士の活躍した時代には多数の馬が人の犠牲となったし、江戸時代には物資運搬に馬が活躍
し、戦時中はトラックの代りに軍馬として働いた。その霊を慰める為の塚である、と説明されているが、本来の意味は違
う(「馬場」を参照)。

●馬場・・・・・・・競馬場と誤解してはならない。馬場は日祭りの場であり、其処には御柱が立てられた。御柱は午、即
ち真南に位置し、其れに対して北の位置に天子や御子が南面した。その場を午場、馬場、大場、大庭、朝廷とも書い
たが、其処が今では馬頭観音として残されている場合がある。

何れにせよ本来の馬場は、御柱の作る日影の動きを観測する場(大庭)でした(「子易」を参照)。

▲春一番・・・・・気象庁用語で、立春から春分までの間に吹く風を言う。

●半夏生・・・・・・・ハンゲショウには四つの意味があり、時期は陰暦72候の一つで夏至から11日目の事。

西暦では7/2頃を言い、まだ梅雨の中であるが、この頃に咲く草花のカラスビシャクを「半夏生」と言い、此れを田植
えの終わりの一休みの目安とし、小麦ともち米とを混ぜて練り、きな粉をまぶして風味有る餅にして食べたので此れを
「半夏生の餅」と言う。

またこの頃は「半夏雨」と言う大雨が有るが其れは直ぐに晴れる雨なので「半夏上がり」とも「ハゲ上がり」とも言う。ま
たこの頃は「天から毒気が降る」と信じられ、そのため井戸には蓋をした。其処から更に、この頃の野菜や果物も要注
意とされた(この項目の一部はNHKラジオ第一、H15/6/30から引用した)。

●ヒ

●ひ(日・火・霊)・・・・・日本で「ひ」と言えば主に「火・日・霊」の何れかを意味する。其れは太陽観測を元に暦日を確認
して先祖祭りをしたからであり、其の観測の場では水を張り、そのために樋を通したために「樋」の字までも「ひ」と読む
ようになったのだろう。

故人を先ずヒツギの式で棺(ひつぎ)に納め、火を点して弔った。其れを土に埋めてヒノキの柱で墓標を立て、或いは石
を立てたので石碑の碑も「ひ」と読むようになり、子孫たちが太陽の日陰を追って年々歳々日嗣(日次)の祭りをして来
たのが日本人でした。

(字義)・・・・・・・日は太陽であり神である。天の太陽は中天に1つなので、此れを○にチョンで示したのが漢字以
前の日本の古字でした。天に対して地には円壇を設えて太陽を祭った。そのため円壇には柱を一本立てた。其れを上
から見れば矢張り○にチョンの形になる。

つまり其れがモヒトリ(別項を参照)・見柱による「玉串の祭り」の場を示した。つまり◎(○に点)の字は物事の原点を意
味した。モヒトリは平地に円を描き、方形の枠を設定し、時には丸い水鉢で行ったからである。或いは中心に取っ手の
ある鏡(またはお皿)に水を入れて水準を採り日影を観測した。

此れら何れも「○にチョン」の形であり、其処から太陽も鏡も丸(○に点)の字で表わした。特に日神を祭る先の銅鏡の
中心には鈕(チュウ)が有るから鏡の字も「日」と同じ○に「点」で表わした。日本の神が古来、「○にチョン」と言われた
のは、こうして丸い輪っぱの中で祭られたためでした。

次に現在の「日」の字は「□に−」の形ですが、此れは丸ではなくて、方形の祭壇に立てた柱の日影が東西に走る様子
を意味した。方壇を定形としたシナの祭りでは、丸い太陽を意味する漢字(甲骨など)の日の古字もまた方形の文字に
変化したからでしょう。

日影観測・・・・・・・何時でも出来るが正しくは冬至、または彼岸に行う。

日かさ(暈)・・・・・・・太陽の周りに円形の雲の輪のように見える事から日笠とも日輪とも言い、古来、吉兆・瑞雲とさ
れて来た。ただ稲作民族の場合は、雨不足がすなわち飢饉に直結するので、其の雨を知らせる日笠を殊の外喜んだ
のかも知れない。

気象予報でもこれを「雨の前兆」と言うが、其の日の晩か翌日なら兎も角、もし2〜3日後に降った場合などは前兆とは
言えないだろう。日本では数日ごとに雨が降るからです。

日神(ひかみ)・・・・・・・お天道様(天の「ト」)。アマテラス大神。日神は天にましますため、地上では田んぼに柱を立
て、或いは水平にした銅鏡で人が斎き祭った。ともあれ日神は古字では丸にチョンの字として示されて来た。或いは御
柱を立てて祭る神なので、諏訪の御柱や高木の神とされた。

昔は田圃に一本足の案山子(別項参照)を立てたが、其れも言わば高木の神の名残である。其れが今は無信心から
農薬を撒くようになった。其れに古代エジプトではオベリスク(串)によって祭られるラー、アモン神に変化した。或いは
朝鮮では例えばスサノオノミコトを堂木(タンモク)の神、即ち檀君とした。其れにシナでは漢字で「太陽」神と書いた。

陽の字の旁として付けた「易」はケモノ足ではなくて獣のように早く走る日光、即ち日足(日影の動き)が極めて早い事を
示すためである。また西欧・北欧ではペルシャ語のMithra(ミトラ、太陽)神として冬至に祭ったのがやがてクリスマスと
なった。また古代ユダヤではセム族がヘブライ語でバアルBaal(太陽)として祭った。

因みに後に英語のbarは横木の意味となった。ただ今に残る旧約ではバアル神を悪神一般を指すように変わり、その
代わりユダヤ・キリスト教ではエホバと言う名の至高神として抽象化した。此処ではギリシャ神話のローカルな星の神・
ゼウスの上に規定した。其の点で物質科学万能の現代社会で太陽は神ではなくて巨大な球体と見てしまう。

其れを自然科学とか地球科学と称しているが、自然の中には心もある。人間を肉体だけで見ても、見える所しか分か
らない通り、太陽を物質だけで判断しようとしても、そんな科学では半分も、1/3も理解した事にはならない。太陽は日
であり、火の玉であると分かっても、その火が核融合と判断している今の力学では全く謎の物体としてしまう。

太陽にも心があり、しかもその存在はこの世とあの世とに遍満して現界と霊界とを繋ぐ大事な標となっているのです。

彼岸花・・・・・・・秋の彼岸の頃に毒々しいくらい赤く咲く花でマンジュシャゲとも言う。普通の植物は月の暦にしたが
って咲くが、例外的に彼岸花だけは太陽の暦の秋の彼岸の頃に咲く。人が季節感を失っているのを恰も呼び覚ますよ
うに律儀に咲くので人の心をドキリと刺すのです。

土手や田畑の畦にも咲くが、墓地に咲くので死人花、幽霊花とし、花が咲いても葉がないので「捨子花」とした。梵語で
は「赤い花」の意味から、法華経では「曼珠沙華」と言ったので、今では俳句の季語である。他に狐花とも狐草とも狐の
剃刀とも呼ばれる。

有毒物質を含むが、地下茎は澱粉に富み、縄文時代以来、凶作時に食する救荒植物として西日本では特に栽培され
て来た(2003/10/23の産経記事から一部引用)。因みに幕末に華岡青洲が世界初の麻酔薬を作ったのは此れではなく
てマンダラゲ。

彼岸ライン1・・・・・太古の日本では例えばホツマでは日の出入りの時点を何処でどう捉えるかをハッキリ文字に示
していた。其れがカ(東)とタ(西)と言うヲシデで示していた。前者はYに○が入る文字、後者は○が⊥(鍋蓋)にピッタリ
重なる字で示した。つまり何れも太陽が地平線に出た時点を日の出入り時点としていたのです。

所が太陽には無関心の星の文明圏から洋式天文学を移入した今は、日の出で地平線(または水平線)から太陽の上
縁が出た時点とし、日没は太陽の全部が地平線に沈んだ時点とした。此のため春と秋の彼岸の中日になっても、同時
刻に東西に日の出入りがあったり、昼夜の長さが同じになる事はなくなった。

一年を通じて南中時刻も30分ほどブレるし、春分の日も冬至も暦日が毎年ズレるのが当たり前としてしまった。

彼岸ライン2・・・・・円暦の特に万年暦では円を十文字に割っています。縦線は子午線、横線が東西線、つまり暦で
は彼岸のラインです。ただ月日が、西暦カレンダーの春分と秋分の日とズレています。例えば05〜06(平成17〜18)
の西暦では春分と秋分が3/20〜21日と9/23日です。

其れに対して円暦では固定的な3/22.25日と9/21.75日ですから其の差が4日ほどになります。1年の等分線であるべき
彼岸ラインよりも西暦は4日分だけ夏の側が多いのです。でも其れは暦日の問題ですから円暦方位としては全く無視し
ても構いません。

ズレる意味は西暦が恒星暦のため、星を基準としますので、地軸、つまり赤道主義となり、実際の方位とはズレが出る
宿命となる。このため春分の日以下、冬至の日付も年によって変動する事になるため、星や月を暦とすれば永遠に細
かい計算をして閏秒、閏日、閏月・・・などで修正を重ねる宿命を負う訳です。

(日知り)・・・・・・・聖とは「日知り」の事。方位を基に太陽を観測する人でした。日ノ本の国では古来その太陽を暦
の指針とし、この「日知り」が、天地を繋ぐ役柄を担った。よって王(別項参照)と呼ばれ、王が日月を正す事から「見る
王」(時は右から読む)と書いて現(アレ、アキツ)と呼び、やがて神やミコトとし、或いはオオキミ(大王)とも呼んだ。

そうした古の時代には天文学は民衆と共にあった。所が西洋式の占星術とレンズ主義天文学が主流となるに伴い、天
文学は星の観測しか行わず、よって専門家が独占する学問となり、民衆から離れた。従って当然の事として「日知り」
はいなくなった。けれども「日知り」の事も知らない人達により、聖の文字だけが乱造・乱発され、流用が目立つ。

例えば聖書(バイブルを誤訳)には太陽の記述が一行もないのだ。其れに神聖、聖域、聖堂・聖地、聖人、聖教・聖
戦・・・・等と、日も光もある筈のない所や俗世間の一般雑事にも「聖」の用語が氾濫する事となり、本来の意味が歪め
られて使われている。

日知りと月読み・・・・・・・太陽活動は11年周期で息をしており、また凡そ1年周期の波を持つ。日本の活気や景気も
此の波によって大きく左右される。其れに対して、月は29日の小波を繰り返す事を知る。

其れに対して月読みは、農作物も魚介類もその水の干満で成長するし、女性の心も一定ではなく、衣装も、凡そ毎日
のように変化する事を読み取っている。

(ヒダリ)の由来・・・・・・・日を見る人をヒジリと言い、人の左手をヒダリと言うのは人が南面して東から昇る日の出
を見て「日いでたり」とし、やがて夕方に右手側、つまり西に日没するのを見て、それ以上は暗くて見えなくなるため「見
切り」としたのが「ミギ」となったのかも知れません(憶測ですが)。

日時計・・・・・・人類最初の時計として古代エジプトでも使われたと言われるが、実はストーンサークルなどは限りなく
古い(「御柱」と「ノーモン」を参照)。東日本から北海道にかけて残るストーンサークルは暦盤兼日時計であり、此れら
は4500年前のものが多く、エジプトよりも時代が古い。

そうした因縁と習慣から江戸時代にも携帯用として紙製の日時計が作られていた。今でも各地に日時計が設置されて
いるが、分度器のような円盤の中に針を付けただけのものが多い。

でも時間が等間隔に刻んであるものでは春と秋の彼岸の頃にしか使えない。夏と冬では日影の移動する早さが二倍も
違うからである。また南北に伸びる日本列島で、明石を日本標準時とした場合は各地で時差が生じてしまう。

このためブロンズ販売業者だった小原銀之助は独学で時差表を作成して5分刻みの精度の日時計を作り上げ、以
後、300基を全国に作った。S58/7/29日に84歳で亡くなるまで、ドイツやハワイなど世界数カ国にも及んだので合わ
せて約400基の日時計を残した(彼については05年の同日、読売TV「今日は何の日」より引用)。

日のエネルギー・・・・・・太陽は光と電磁波のエネルギー体であると同時に別のエネルギーを地球に与えています。
例えば方位です。今の科学や地震学では分からない別のエネルギーがあって、昔から日本人が知っていた事です。

次は月による満月の時などに大津波や大地震となる事が多い。引力との相乗効果で被害を大きくしている事実は経験
則として知られています。他にもう1点。其れは地球と太陽の関係です。太陽からの光の外に、地球には大きな電磁的
作用を受けて磁極が生まれています。其れも既知の事実です。

ただ其れが地軸の内部に遍満するものの、他方では地表面が、角度によって偏在エネルギーの差として出ています。
その理由は、自転と公転とによって、地球の地上面が、太陽に対する日々個別の角度になるためです。

つまり日々の太陽エネルギーが角度を変えて地表面に別の作用を及ぼし、それがその方位からの強いエネルギーの
流れとなって地殻を割る。

地殻変動の原因は此処にあります。その方位の軌跡は毎回の地震を見れは明らかです。でも其れに無知な地震学者
が毎回のようにプレートテクトニクス理論から講釈を垂れるので、地震の原因の回答にはなってきませんでした。其れ
は結果論であって原因論ではないからです。

以上のような別の太陽エネルギーが日々地表面に大きく働いている事に気づけば、それこそ現在のエネルギー問題を
全て解決してしまう事でしょう。

ひので(太陽観測衛星)・・・・・・06年に打ち上げた太陽観測衛星の名前。

日の出入り角(方位)・・・・・・円暦の特に万年暦には北側から南面して太陽を見た場合の日の出入り角度を中心か
ら十方に広がる朱線で図示しています。此れはまるで、人が両手の指を広げたような形です。さて太陽は日々移動す
るものの、地域性と四季によって決まった方角から出入りしますので、此処には北緯35°の例を図示した。

因みに同緯度に当たる地域は東から館山、静岡、刈谷、大津、京都、江津のラインであり、同緯度の地平線なら、@
夏至には+29°75′、A立夏・立秋には+20°75′、B春分・秋分には+0.6°、C立春・立冬には−19°45′、
D冬至には−28°40′の方角から出入りします(■参考文献:「理科年表」・国立天文台編・丸善)。

因みに其の水準点(地平線のレベル)が海岸線であるのか。其れなら潮の満ち干の何時の時点を基準としたのか、或
いは標高何mの地点なのか・・・・など厳密に言えば切りがなくなる。

余談ながら、左手をヒダリと言うのは人が南面して東の日の出を見て「日いでたり」とし、やがて夕方に右手側、つまり
西に日没するのを見て、それ以上は暗くて見えなくなるため「見切り」としたのが「ミギ」となったのかも知れません。

日族・・・・・・此れは本書の造語であるが古来から太陽を祭る人々が世界各地に居た。其の特質はモノより心、清さ
と品位・品性を重視した日本人やインカ、マヤ、アステカ、ギリシャ、クレタ、ケルト、其れに古代シナを含む古い世界一
般の事(ヒジリの「日族」を参照)。

●ひぞく・・・・・・尊属に対する卑属は子孫。但し匪賊と書いてある場合は、戦前の造語で満州の盗賊集団の事。

●フ

★プラトン年・・・・・・太陽が銀河を一周する期間。つまり太陽の一年間であり約25700〜25920年。逆に言えば1星座
当たり2142〜2160年であり、また太陽に四季があるとすれば一季当たり平均6425〜6480年となる。

●分度暦・・・・・・和国と古代シナでは、古来天子が「正しい暦を分かち」、それで祭り事をして来た。「分かつ」とは公布
する事とも理解できるが、其の前に「天地を等しく分割する」事であった。暦法は数字で表せるものではなくて、時空を
等分に分割するノウハウが無ければならない。

其の一例が円暦や古代太陰暦、或いは位置天文学でした。所が渡来人が増えて以後の日本では、正しい日暦を排除
して寧ろ外来の月星方式を優れたものと誤認して神や先祖を否定・排除した。作物の成長を司る月の周期の陰陽暦に
よって稲作を奨励したためである。よって不正確な暦法となった。

更に明治には恒星暦に替えた。しかも戦後は政教分離とした結果として道理のない矛盾と不正な政治が横行して混乱
した社会を見せているのです(「円暦」を参照)。

●ヘ
弁天・・・・・・・天を弁え、天を分割する人。及び古墳の傍らに「居ついて」、故人の命日を観測した方、斎姫。しかし此
れをインド式の水神(サラスバティエィー)と直訳すると河原神、芸能神となり意味不明とする。




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