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 日知り    古墳纏め


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古墳の纏め ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

このように天皇の崩御日と皇居との位置関係を円暦・方位と対照して行けば、ある古墳が真の天皇陵である事を発掘
しなくても確定できます。尚、下記(別紙)の解説もご参照下さい。

●▲古墳文化●▲

▲史学や考古学では分からない・・・・・・全国には凡そ20万基を越える古墳があると言われ、其の殆どが此れまで盗
掘、ないし既に発掘している。所が、一番肝心な「誰を葬ったのか」について、関係者の誰もが正解を出せないでいる。
其の理由について、今は「宮内庁が公開しないから」とか、「墓誌がないから分からない」と言い訳して来た。

だが此れまで古墳の殆どが暴露されているのに、其れでも分からないとか、「書いてないから分からない」と言うのでは
開いた口が塞がらない。今、全国各地には博物館や考古資料館が出来た。此れは悪い事ではないが、何処へ行って
も同じようなものが並べられている。

しかし考古学が各地の発掘資料を元に分類・分析した結果に従って推測を試みて来たが、幾ら発掘しても同時代の場
合は同時代のもの、地域が異なれば其の地域に共通したものしか出土しなかった。つまり金太郎飴の絵柄のように同
じ定型的なものばかり出て来たために最も肝心な命題である人物特定と時代設定が何にも出来なかった。

所で、出土品は決定的な証拠ではなく、傍証でしかないものです。つまり、その様な「物ばかり見て判断出来る」とする
洋式考古学では日本史や日本文化の解明は無理だった訳である。ですからこうした渡来の手法を採り続ける限り、考
古学では古墳時代に太刀打ち出来ない事を実証した事になる。

言うまでもなく古墳は日本にあるものですから日本の伝統哲理によって作られたものと見るべきです。よって西洋史観
ではなくて日本独自の宗教哲学でしか分からない。しかし彼らは折角目の前にある日本文化を「宗教」として排除した。

従ってそんな白人的な偏見の目と頭では何を見ても分からなくて当たり前だったのです。何れにせよ、幾ら掘っても分
からない。従って回答にはならなかった。答えを出せないと言うなら考古学でも史学でも、プロとしては失格である。

失格者でも、古墳から刀が出たら「此れは古墳時代に使われた大王クラスの刀と思われる」と解説して来たので手柄
話にはなった。だが、其の程度の解説が学問としてどれ程の意味や価値が有ったろうか。この点でも発掘関係者の姿
勢に疑問を呈したい。いや、古代史家や考古学者はそれなりの答えを持っているのかも知れない。

事実、議論百出しているが、命題を離れた架空の虚論とか、憶測による無責任な仮説、或いはロマンで語る文学的放
談では何ら意味はない。其の点で今までの史学や考古学はまるでドラマの世界である。ドラマチックなシーンは事実よ
りも感動的で「真の如く」見せるから面白くした。

例えば時として発掘が大きなニュースを提供したり、其れについて真に迫る感動的な解説を垂れて来たが、核心部に
迫る事無くお仕舞いになって忘れ去られて来た事例が多い。或いは長編小説のように色んな登場人物が出て来て
種々雑多な情報を増やして歴史を面白くした。

或いは色んな知識で彩ったり飾り付けた解説が社会の強い関心を呼んだ。ただ筆者には生憎、其れらが日本文化や
伝統を守る役に立って来たとは思えない(逆に多くを破壊した側と見る)。

兎も角、結局は核心部に触れる事も正体を明かす事も、社会の要望に沿う事もなく終始している。つまり楽しめる物語
では有っても学問としての値打ちがない。凡そ近代科学も学理も宗教も此れまでの時代は薄明かりの時代の「月の教
え」でした。従って大多数のケースの事象が薄明かりの下では「真の如く」見せたものの、真実は明かせなかった。

月は主体ではなくて媒体であり、月の光りには限界があった訳です。でも此処ではそんな「月の夜(世)の寝物語」を更
に繰り返すよりも、既に多くの労力と予算の浪費をして文化破壊の失敗を反省した上、今後はもっと論理的整合性を揃
えて失地回復のため努力して名誉を挽回して頂きたいと思う。

此れまでの手法を改める為には発掘関係と言うセクト主義に閉じこもらずに天文への理解を深めて頂きたい。具体的
には先ず暦の意味を理解すべきである。其れがあれば以下は従来通り、其の地域の特性を調査し、独自性を見て、
特定の人物を浮き上がらせる事も可能である。

このため別のHPの「神々の歳時記」では其の一例を色々列記しご祭神・被葬者などを特定して参考に供したつもりで
ある。以下此処では、先ず「誰を葬ったのか」、次に何故場所を其の地に選んだのか、そして何のためにあのような形
の古墳にしたのか、などの命題を立て、その答えを出すための方式と根拠を提示するに止める。

同時にその根拠とする幾つかの事例を実際に次々検証して結論とし、其れを誰でも実証できる事が必要となります。で
は、正解を求める最低要件を列挙してみる。

1.其処には誰を葬ったのか・・・・・・被葬者が記紀に記載の天皇などであれば、本人と関係系譜の整合性、及び地名
や神社との関連性、特に同軸上に並ぶ神社のご祭神との関連性を解明し、または説明する事。

2.古墳は何故固有の方角を向いて築かれているのか・・・・・・此れは陵について決定的な命題である。其れは被葬者
を特定するために、命日を方位でメモリアルしたからだ。しかし、「そうではない」とするならば、古墳の固有の方位の先
に関連する宮古や山があった場合に、其の意味や事実を否定する事項を列挙して証明すべきである。

3.前方後円墳と言う特異な形の意味・・・・・・後円部で死者の弔い、つまり鎮魂の法事を行い、また半年後には前方部
で其の御魂を神として迎える蘇り・再生の祭りをした。無論其の逆である場合もある(封じ込めの場合)。何れにせよ其
の祭りの為に何段にも雛壇状に築成した周縁部に大勢の参列者が並べるように設計したものである。

しかし其れに反する事由や形の意味が別にあるなら具体的に解き明かして貰いたい。

4.古墳の規模について・・・・・・どうして古墳には巨大古墳や小墳の違いがあるのか・・・・・・命日を刻む暦の公開の観
測場としては一定のレベル(高さ)が必要だった。例えば平屋建ての家屋が並ぶ集落で次世代が新築する時とか、日
影になって来た建物が次に建替えする時は二階建てにするように、観測の場がせり上がったものである。

つまり時代が古いほど小さく、逆に新しいものほど大きくなる。だが、考古学では逆に、大きな古墳は「生前の被葬者の
権力を示す」と解説し、小さなものは陪臣の陪塚として軽視して来た(何れも間違いである)。確かに、有力者がいなくな
った氏族や地方、或いは時代的には大化の改新以後は小さくなった。

規模の規模については無論、制度的な理由も有るが、それ以外の理由があれば事実に即した説明を要する。

5.形の意味・・・・・・「天円地方の理」の掟により、王と諸侯との別(分限)によってランク付けして幾何学的な規格・格
式によって築造したため日本の古墳は画一的になった。だが、考古学では何れも単に「権力の象徴」としての講釈だっ
た。其れでは数種類の幾何学的な形の原理について何一つ解明した事にはならない。

もっと事実に即した論理的な解明を要する。

6.地理・方位・・・・・・・・どうして其の地を選んで築いたのか。此れは前記1とも一部重複するが、その歴史的・地理的
な必然性の列挙を要する。特に前記2の「方位」については昔の測量図面の再利用ではなくて、真北からの正確な位置
づけ(厳密な再測量)を要する。

7.皇居との関連性・・・・・・歴代天皇・大王墓は何故、時代ごとに一定の王墓地域に整然と並べずに、各地に移動し、
点在しているのか。此れについて本書は「遷宮の原理」で明快に謎を解き、実証しているが、それ以外の原理と信ずる
ものがあれば其れを列挙して解説し実証して頂きたい。

8.暦法(方位)と測量法の明示・・・・・・天文測量により位置を決定し、周辺の土地を削って池等を作る土木工事があ
った場合、其れは方位と測量法・度量衡に何らかの規格性があったかどうか。其れはどのような格式・様式で設計し、
またどのような土木技術を用いたのか。例えば余った土を中央部に盛り上げたのが古墳である。

土が不足する場合は、川に濠を連結して船で上流に遡り、山を削って取った土を其の船に積んで下って来た。池はま
た墳墓の山焼きを行う場合に、他に類焼しないように防火帯として必要だったが、後には農業用水を溜める池としての
比重が増した。また各時代、違う度量衡が使われた。よってその設計には一定の寸法比(縮尺)が見られる。

以上の各項目について少なくとも三点くらいは証明して命題を満足する必要がある外、関連事項との相互の整合性を
検証出来なければ実証的な答え(結論)とはならない。其の点、考古学はこの内のただの一点にも答えを出せずに単
に物から推測し、傍証としての解説しか出来なかった。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

●幻想に振り回された・・・・・日本の祖先たちは、何かの問題に行き当たって悩んだ場合には必ず先祖にお伺いを立
てて占って来た。先ず先祖を祭る方位を探り、特定の日に祭りをして必死に祈って答えを求めた事だろう。だから現代
人より何百倍も、道の求め方、即ち方位の捕らえ方に厳格だった。其れが古墳の方位に示されている。

所が近代物質科学は機械や数字に頼る余り、霊魂や方位に無知となっている。其れに対して古代は棒切れと石ころで
太陽観測して、ろくな道具もない時代に無数の山のような墳墓を正確に築き上げた。彼らは自分たちの便利さや利益
のためではなく、先祖のために、山のような墳墓を築き上げる能力を得たのです。

日本は神代以来、そうした和式文化を伝統として残した。つまり、日本の過去は有力な方々の神々の世紀でした。其れ
に対して現代はどうでしょうか。今の学問は進化論が法則でもあるかの如く信じたり絶対的なものと信奉して科学の第
一のお題目に上げているが、其れは漫画的だ。

今の世に神はなく、殆どが動物的な非力な人間たちばかり増えた魑魅魍魎の社会であるとすれば、進化論は偽学説
だったと気付くべきです。人々の心は此れまでに確実に後退・退化し、従って能力も非力になって来ているので、機械
で山を崩し、其の山にゴミを捨てる見下げた人類になりました。

神を排除した結果として人の心が退化したので知恵もなく、カオスを広げて謎を深める暗い社会としました。人口増加
もあるが犯罪とゴミだけが異常に増えた。ともあれ古代の謎を解くのには、たいそうな科学機器は無用です。事実、近
代化によって遺跡の殆どを暴き出したが、最新のハイテクを使っても何の答えも出なかった。

神や先祖や偉大な先輩たちは過去に存在したのであるから、幼稚なパソコンの力に頼っていては壁に当たるし、未来
に完全性が存在すると思うのも幻想でしかない。「救世主(メシア)が此れから現れる」、と信じるのも勝手だが、其れは
キリスト教世界の虚構と想像的説教神話でしかないのです。

或いは科学者たちは、「数字が第一で方位は迷信だ」と断定するが、方向音痴の科学で飛行機を操縦すれば実に危
険である。そんな事は誰にも分かる。其れが環境破壊の今となって人々が気付き出した。所が傲慢な科学者やお役所
の係官たちは其れさえ目に入らないようだ。

謎をロマンとして銭にする彼らを別とすれば、多くの人々は謎を放置せずに正解を明かして欲しいと期待している。其
れには、先人を敬う心掛けが第一です。神は過去の先祖であり、未来に先祖は存在しない。発掘関係者は装飾品や
埋納品が宝物だと誤解しているが、あんな物はただの遺物であり、多くはゴミでしかない事を大衆は知っている。

だからそんな「宝物探し」よりも、古の価値観や宗教を知る事だ。先人たちが方位で仕組んでくれた神々の結界の中
で、今の人たちが此れまで平安に暮らして来た事に幸せを感じる人が一人でも増えればその事が日本の宝である。


其のように認識を改めれば、日本人が今も太陽の動きに従って神々や日々の方位で年中祭りで暮らせる事に感謝出
来る。つまり其の心になれば、昔のように、格別道具を使わなくても暦と方位で古の謎が簡単に解けて来るだろう。其
の点、科学や学理と言う武器を持つ者は、感謝なんかは微塵もない。

考古学者の場合も同類であり、予算と言う力を持つお役人も勿論同類である。彼らは古代の事は「役所か考古学でし
か分からない」と誤認し自慢している。だが肝心の命題については何も答えを出せなかった。のみならず文化財を守る
べき文化庁は高松塚とキトラ古墳を駄目にした。

政とは祭り事、即ち宗教からスタートしたものである。従って其れを理解するには宗教音痴では務まらない。所が彼ら
は、「政教分離」の下で多くの遺跡を発掘して「大発見」と騒ぎたて、毎回決まり文句のように、其処を「古代祭祀の跡で
ある」とのご託宣を垂れた。

だが、宗教に無知では其処で一体どの様な神をどのような祭式で祭ったのかさえ一切明らかに出来ない。だから、学
問とは言っても、そんなご託宣では誰も納得しない。のみならず、肝心な事が何一つ分からなかった今のような考古学
は、日本では役立たずの無価値の学問である事と、もう発掘する資格さえない事を自覚すべきであろう。

其れに比べて筆者は歴史を学んだ事もなく考古学も知らずレンズも使わずに観測して我ながら超人的とも思えるほど
の仕事量をこなしてして各々回答を出した。其れは信仰心は兎も角、円暦と言う単純明快な方位の道具が有ったから
です。

此れがあれば一つのヒントで次々と芋蔓式に関係先が繋がって来るので正に国家事業かと思えるほどの大変な仕事
(問題)量を極く片手間で済ませた。つまり課題の解明のために特に要する工事作業も無用だったし、よって格別コスト
も掛からなかったのです。


■3.弥生時代に関する問題点

▲編年の錯誤・・・・・・・別の話で恐縮だが、日本人は西洋医学信仰をしている。江戸時代までは加持祈祷で万病を治
して来た実績があるのに、其れを完全に否定して、其れに代って西洋医学を主流とした。だが医学では病気を治せな
い。其れでも高額料金を取るシステムだけは完成させました。でも此れが果たして「医学の進歩」だろうか。

其れに対して、医学で治せない諸病を医師以外が昔のやり方で治せばどうなるか。医者たちは其れに感謝するのでは
なく、寧ろ警察を動かして詐欺師とし、或いは医師法違反で処罰する時代である。此れが自由民主主義国家の実態で
あり、これこそ一神教的独占体制ではないか。

「自由・民主」と言いながら実は独占させて利権体質を許しているのが日本人です。医師会のみならず歴史や考古学
も、回答を出せない渡来史観が今や日本の主流となった。GHQ以後の日本史は、大化の改新以前の歴史は神話とし
て排除するような歪んだ歴史学となった。歴史を神話としたり土器編年主義の考古学による解説が定説となった。

ただ其の間違いが今や次々暴露して来た。例えば弥生時代については、従来、紀元前一世紀に始まったと云われて
来た。其れは土器編年によるものでした。此れには色々問題があった為に近年は年輪年代法が期待される。此れに
よって編年がより的確になり、様々なデータを書き改めている。

今度は九州の土器について2003/5/20日、国立歴民博(佐倉市)が 炭素14年代測定法により明らかにした。此処で
紀元前800〜900年とする分析結果を出した事から、弥生時代の始まりが旧来の定説よりも 500年古いという事になっ
た。従って鉄器の起源もシナから渡来する前に日本で行われた可能性が強まった。

稲作についても、其の起源はより古くなって来ました。序ながら日本は稲作民族と言われて来たが、其れは誤解であ
る。日本には昔からコメ作りはあったが、日本人は稲作に頼る愚を選ばなかった。大陸から追われた難民が日本に大
挙避難して来て稲作をしても、和人は中々此れに馴染まなかったのです。

▲愚策の果て・・・・・・・・所が大和朝廷が大陸農法である稲作を国策としてこの島国に採り入れた結果、以来二千年間
も日本人を苦しめる愚策となった。今のサラリーマンや若人たちには想像も出来ないだろうが、昔のお百姓たちは誰も
が早朝から夜中まで実に「牛馬の如く」働いた。

それでも九割以上の庶民が食えない時代が長く続き、旱(ひでり)や飢饉のたびに間引きの水子、捨子、そして借財の
ために娘の身売りをして何とか生き長らえて来たし、大多数が此の「水呑み百姓」でした。山の上まで棚田と言う田ん
ぼに変えて、それでも食えないからと今度は大量の難民を満蒙開拓団やブラジル移民と言う形で輸出したのです。

此れだけ頑張って換金作物の米作りをしても困窮した。その結果として米粒を輸出したのではなく、人を棄民として追
い出したのですから何のための国策だったのかを問われる。更なる問題点は海外進出でした。此れは原因を見る目を
持たない「不明なリーダー」が其の目を外部や他者に転嫁した政策でした。

日本が貧しいのは「国土が狭いからだ」と誤解して軍拡で勢力を伸ばし、更に思い上がった皇国史観を加えて朝鮮半
島を手に入れ、日清、日露と戦い、大東亜戦争と戦い続けて大きな犠牲を払った挙句に大敗した。

その副産物として白人支配からアジアを開放したとも言えるが、問題の本質を知らない内に次は国際化を標榜して海
外への経済攻勢を掛けた。こうした一連の結果を見れば、問題の根源が文化を軽視して稲作を採用したり経済至上主
義と言う国策の愚にあった事は既に明白になったのではないか。

●文化破壊を止めよう・・・・・・・・しかし彼らは其れすら弁えずに古人を侮蔑して被葬者の安息の場である墓地に何の
断りもなく土足で踏み込んで暴き出し、遺物として勝手に持ち出して戦利品のようにして箱物に入れて見世物とし、料金
取りの具にして来た。当然、彼らには神や方位はどうでも良い事である。

日本の神や方位よりも渡来の進化論を信奉し、更に洋式(物質)科学でバラバラに分解して、西洋よりも日本人が如何
に劣等的であるかをすり込んだり、勝手に誤解して作り上げた虚構の観念を講釈して廻った。人々に誤解を刷り込ん
で惑わせ、心まで腐らせ毒して来た結果として平成の日本があるが、此れが同じ日本人のする事だろうか。

其の傲慢さの故に、全てを破壊し全てを謎としたのみならず、日本人をすっかり先祖や歴史から遠ざけた。その代わり
にエロ黒ナンセンスの民族に堕落させ、ストレス社会とした責任の一端がある。とすれば、賢者は先ず今の科学や学
理をもっと疑って見る必要があり、同時に目の前に残された事実や遺跡に注意して敬意を払う事である。

史家もまた誤解がある。史家は文献から事実を探そうとするが、其れは見当違いである。毎年決まった場所で繰り広
げられる祭事は歴史として記録される事が殆どなかったからだ。其れよりも三面記事のような、社会の皮相的な事柄
や変事だけが史書に記録された。

とすれば皮肉にも、事実は初めから文献にはないのであるから、歴史の大部分が歴史学では分からないのである。例
えば歳時記こそがかつての暦そのものであったが、今の暦学と西洋天文学の素性は、オカルト的な占星術やガリレオ
式のレンズによる星読みの天文観測であり、従って唯一の基準として星ばかり追いかけている。

だが生憎、日本では幾らコストを掛けても星空さえ満足に見る事が出来ない為に全く無用の科学となっている。以上の
ように、科学や学術は何れも歴史文化や方位に無知の上に数字に頼るために、ホントに必要とされる命題に誰も答え
を出せなくなっている。

だが其の間に、此れまで連綿と苦労して伝承してくれた貴い古文化を日本から葬り去って来たし、このままでは、目に
も入らぬ大きさで目前にある古墳が、単に「昔からあった自然の山」と誤解され、或いは仮に陵や古墳と分かった場合
でも、大抵は専門家と称する人間が出てきて臆面もなく「そのような天皇は実在性に疑問がある」と言うだろう。

そのような愚劣な仮説・私論を押し付けてしまう。或いは「古代豪族の権力の誇示」などと何れも偏見で解説してしまう。
更に遺跡から折角第一級の資料が出土した場合でも、宗教排除の姿勢から古代祭祀について無知の為に正解は語
れず、何処で切っても同じ金太郎飴のようなコピー説か、お粗末な「見て来た様な講釈師」的お話で終始する事となる。

其れを伝えるべきマスコミも程度が低く、突込みがない。記者たちは大概、「転勤・転部して来ました。これから考古学
を学びたいと思います」とおっしゃる。其の程度のレポーターが大本営発表の作り話を丸写しして紋切り型の記事にし
ているために各新聞各局とも同じ内容になる。

そんなコピー記事を読者に提供して銭にしている今のレベルでは購読者や視聴者を舐めているとしか言えない。要す
るに今までした行為は「発掘」ではなくて埋没化であり、或いは古文化や伝統の破壊であるから、このままでは古の日
本には文化的な事が一切なかった事にされてしまうでしょう。

何時の世でも事実は足元にあり、其処で働き、役に立って来た存在は民衆である。祭りは一人のヒジリが主宰しても、
其の大部分を実際に担ったのは氏族の連(村衆)が率いた村落の氏子たちだった。氏子らは自分が仕事を休んだ上、
譬え損をしても理屈ぬきに神仏への奉仕と心得て犠牲的な奉仕を生涯の喜びとして続けて来た。

奉仕を重ねて今の世に事実を伝えてくれた。そうした無私の心を古人から私たちは学び、また昔の手法で遺跡を繋げ
ば、誰でも手軽に古の謎を解き明かせると信じて、此処に其の方式を公開した。千年以上、先人たちが守って来た伝
統や山が、西洋史観によって無価値とされ、目の前に古墳があっても誤解から無価値とされ、次々と消えて行く。

だが毎日のように報道される高松塚とキトラ古墳が考古学の犠牲になっているのを座視する以外、何の抵抗も出来な
い私たちは、此れに続く古墳がないように是非注視して行きたいものです。長々とボヤいたが今後は専門家に頼らず
是非、読者各位の力で我が国の文化破壊を地元からストップして頂けるよう期待して。








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■此れは仮説ではなくて、太陽暦に重ねて古式祭による祭政一致を行っていた古からの日本文化の原理です。其の
具体例を公開したのが別紙の「神々の歳時記」です。

●別紙の「各種暦」、並びに「日知り事典」や、この「神々の歳時記」の各項のご理解には「366円暦」との照合が大切
です。もし手元に円暦 がない場合に其の日の円暦方位を算出するには、固有の月日について、「古墳の方位」や別紙
の「月の暦」から「回bO01〜366」と照合下さい。

そうすれば例えば冬至(12/22)はbO01、或いは夏至なら6/22=bP83と判明します。其れに360/366を掛
けますと冬至は0°、夏至は180°と算出できます。同様にして例えば2/6の角度を求める場合は、046×360/3
66=約45°25と算出出来ます。

■上記の通り、366/360の比率で冬至を基準にします。現行月日を其の366方位に換算して真北からの角度を算定す
る事も可能ですが、別紙の「日読み暦」にも図示して有りますのでご参照下さい。また円暦の実物をご希望の方は、「メ
ールフォーム」または掲示板から当会とコンタクトを取って下さい。

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