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暦・方纏め 2 ・ ・・・ ・・・ 目次 2 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 

  1.コヨミ
     2.「新暦が進歩」だったのか
        3.古の天文
          4.新旧暦のズレ
            5.「改暦」の弊害
              6.史学では分からない

   7.考古学でも分からない
      8.古の暦盤
        9.方位9.方位
          10.聖が封印した
             11.纏め


・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

■6.考古学でも分からない

日本人は昔から太陽信仰だったと聞かされて来たが、其の実態が今の社会では分からなくなっています。宗教や考古
学でも分からなかった。分からないままに此れまでは考古学では「古代史を見直す大発見」が打ち続いて来ました。其
れでどう見直されたのかと云えば、全て唯物史観(モノカネ主義)で切って捨てたので却って謎を増やしました。

古式和暦にさえ無知で否定する学問が、天ではなくて地べたを掘って見てモノカネ主義で見るだけですから太陽信仰
が分からなくて当然です。のみならず星の暦法の時間で区切って見た上、精神主義の古代を物質主義で割って見ても
的確な答えが見つからなくて当然でした。

昔の暮らしは今様のモノカネ主義ではなくて先祖主義、つまり宗教中心の生活だった。ですから例えば先祖が死去す
れば太陽の角度を以て古墳の方位として刻みつけた。其れが先祖祭りである。

現代文明社会は固定観念で「今は科学が進歩したが、古代は未開でアニミズム信仰だった」と決め付けているが、其
れはレンズ科学や電気機械文明以外は殆ど根拠のない思い込みである。

古代を洋式学問や機械化で判断したり見下す事なく素直に見れば寧ろ現代人の方が非科学的で迷信信仰が強く、其
れに対して古人の方が今よりも科学的で合理的だった事が分かって来るでしょう。

科学的と言うのは、機械や電気と言った道具を使うかどうかではなくて、天文と地理とをどう体系付け、矛盾のない方法
論として位置づけ整合させているかどうかである。其れがなければ如何に情報を集めようが機械を使おうが科学的と
は言えない。だがこの点に今の学者が無頓着である上に、方位などは全否定する。

しかも其の上に進化論の論理を構築するのですから危うい。過去と現在との基礎が違う上に、如何に立派な建物を建
てても、或いは学問を構築しても所詮、虚の論理・空想に過ぎなくなる。ですから諸論が続出しても正解がゼロとなる。
其の愚を戦後も一貫して日本人は繰り返して来たのではないか。

考古学では何故、分からないか、と言えば、古墳は暦・方位を元に造られて来たメモリアルだった事を認めようとしない
からだ。其れを全否定して幾多の古墳を解体しても無駄だと言うのです。でも彼らは其れに頓着せずに学術とか埋文
業務の名の下に発掘を重ねた。

しかも、古墳が死者を埋葬した聖地である事を彼らは軽視し、学術の方が其れよりも上であるかのように見下して土足
で踏み込んだ。更に良くない事は、平気で墓暴きしてパーツを取り出し、文化財としたり手柄としたのである。此れでは
死者の魂が彼らを決して許さず、従って真実を見せる事もなかった。

古の日本文化の特長は先人を敬うと言う優れた精神文化であったが、其れに対して現代文明は先人を小馬鹿にした
り、新品を進歩とし、古いものを汚いと見て誤解する進化論式物質至上主義の所謂洋式消費文明であり、箱物作りと
浪費社会に変わっただけです。

要するに進化論を如何に刷り込んでも人類が現実に精神面で進歩発展が有ったとは到底言えない。言えないのに其
れに汚染された頭では見えるものでも見えなくなる。特に今の人々はどうしても「見えるものしか」見ない。「何か変だ」と
思っても、見えない事は認めない。従ってモノカネ主義の目で見て判断して、しかも打算で動く。

其れが普通の社会通念とは言うものの、過去を見るのには進化論式の近代西洋主義と同じ目で見たり今と同じ手法
を使ってはならない。今は特に経済原理・市場原理と言う曖昧な観念を使い過ぎる為に表面的な数字で振り回される
し、論理の内容が薄っぺらですから何れも飛躍も発展もなく陳腐である。

何処で切っても金太郎飴のような類似の学説なら無意味であると思うが、其処から脱皮できないで足踏みしています。
過去はそうした薄い存在(モノカネ・唯物史観)ではなくて、精神性や宗教観を深く認識した多重円環の思想と慧眼があ
った。今の学問にも其の中の慧眼だけでもあれば大したものだが、生憎、借り物だけで何もない。

■仏教渡来によって其れまでの日本の先祖祭りが見下されて、昔からの風習などの多くが葬り去られてしまったよう
に、明治以後も再び日本は受難を迎えた。伝統ある日本文化を見下す舶来崇拝主義の輩たちが折角目の前に第一
級の優れた文物が遺されているにも拘わらず、其れに無知のまま先人の遺産を徹底して破壊した。

人の眼も心も唐様か洋風の渡来史観に汚染されて、日本の過去を見下す目しか持たなくなったのは実に不幸な事でし
た。こうしたアカデミアンの彼らには、日本の貴い文化が何も理解できず、ただ「日本は遅れている」と叫ぶ輩と同列
に、進化論で判断して、其れに逆らうものを糾弾し「非科学的 !」と断定して抹殺して来たのです。

進化論や唯物史観に汚染された近代の「科学的」と言う偽の科学で日本の過去にメスを入れた結果、却って謎を増や
し、カオスに向うと言う悪循環に陥った。従って彼らは見つけた土器を自分の手柄とし、さも宝物のように扱って分類・
分析したものの、弥生時代の定義にしても時代を五百年も錯誤して教えて来た。

近年、木材の年輪年代法で従来の編年法に疑問符が付けられたが、平成15(2003)年には「炭素14年代測定法」によ
って弥生土器を分析して紀元前1000年と測定し直した。とすれば、従来の「古墳時代」と言う考古学的編年も怪しい
設定であると暴露した事になります。

所が此れまでは、この誤った土器編年主義によって時代を区切り、それで矛盾する記紀の方を疑問視して逆に切り捨
てようとして来た逆さ事をしていたのですから迷路に入って当然でした。

世界に比類ない優れた記紀の暦法も知らず、曖昧な渡来式考古学や土器編年法と言う屁理屈で、記紀に有る正しい
暦日を逆に否定し、古墳の被葬者を疑問視すると言う逆理と傲慢な専門知識で押し通して来たから此処まで問題を深
めた訳です。

更に彼等は、先に述べたような古くからの日本の精神文化に無関心であり、他国の観念に過ぎない西洋式のモノカネ
式・唯物的キリスト教理の手法で日本の古代を捕らえようとした。こうした実に傲慢なイデオロギー(異教性)によって、
古墳に土足で踏み入り、墓あばきを重ねて此れを見世物とした。此れでは当然ながら何も分らず謎を増やした。

其れは天に唾して神仏を冒涜する行為による、「身から出た錆」であり、当然の報いであると言えよう。ただ、筆者のこ
のような批判が言葉足りずで「暴言」と受け取られようから少し付け加える。彼らが実に多くの発掘をして人々に多くの
知見を提供し、膨大な資料を集めて色々発表してくれた功績は認める。

でも本来の命題の究明には至らなかった。其れは最も肝心な命題である、誰が何時、どんな目的で何をどうしたのか。
と言う設問に対して関係者の全てが一切口を閉ざしている限り、「何も分からなかった」と言われても仕方がないので
す。ケ小平氏はかつて「白い猫でも黒い猫でもネズミを捕るのが良い猫だ」との名言を残した。

猫の使命がネズミ捕りであれば彼の論理は正しい。そうした良い猫と比べて考古学はどれだけ立派と言えるだろうか。
筆者はアレコレと彼らの方法論についても難癖をつけて批判して来た。其の件に関しても言いすぎがあったかも知れな
いが、問題は結果です。彼らがどんな道具を使おうとも、ネズミを捕れば立派と言える。

進化論や物質科学、渡来史観かカトリック式か日本の説話文学的理解法、或いは物証主義か弁証法・帰納法などの
論理の何れを駆使しても構わない。それで結果、つまり正しい回答を導き出せれば立派と言えるからだ。でも其処が曖
昧なら決め手を欠くのでネズミは決して捕まらないだろう。

例えば、継体天皇陵については、此れまで太田茶臼山古墳が治定されて来たが、今では学会が今城塚古墳を彼の陵
とするのが通説である。彼は「20年、秋九月、都を弟国(乙訓)から磐余玉穂宮に遷して25年、春二月、丁未、玉穂宮で
崩れたので冬12月、藍野陵に葬る」と日本書紀にある。

しかしこの点についての疑問は、玉穂宮で崩れたのに何故藍野に葬ったのか。其れを説明できなければ折角の通説
も空論になります。「先の書記の記録がそうなっているから」では学問とは言えない。解釈できないのに古墳を暴き、遺
物を発掘して見比べて見ても正解が出るものではない。

正解は奇想天外と思われようが別紙の「歳時記」や「天皇陵」で述べている通り、彼が桜井市で亡くなったので、其の命
日方位に当たる新庄町に葬られた可能性が強い。その後は安閑天皇が其の宮に居つく事になる。このように宮も古墳
も方位でならば解けて来ます。

其れに対して古墳の殆どを既に発掘、または盗掘した結果として考古学ではもう色々分って来た。けれども、肝心要の
被葬者一人確定できず、「謎解き」が何も出来ないのでは、此れまで集めた知識や遺物はどうなるのだろう。分からな
ければ膨大な遺物や情報は宝物ではなくてゴミでしかないのだ。

何処から出て来るのも全て似たり寄ったりの同じような遺物をかき集めた結果、其の違いを彼らでは判断できなくなっ
た。ただ置き場に困って来て、各地には倉庫や資料館が色々建った。けれども其れは現地に置くべき文化財を散逸さ
せて、「謎」を増やす事にもなった。でも彼らは其の欺瞞を隠して、謎を「ロマン」として売って来た。

考古学者は古代の事なら何でも知った風を装うし、知ったか振りでホラ話を撒き散らした。しかし縄文人がどの様な肌
色をしていてどんな言葉を話し、どんな歌を歌い、何に価値観を抱いてどんな神を祭っていたかを知る事は無理だ。少
なくとも昔はモノカネ主義ではなかった。

なので瓦礫を集めて、此れを「文化財」と規定しても殆ど意味がないのである。

考えてみれば、考古学の本質は中身がない上、一貫性の学理もない。しかも先に述べたように史学か西洋学の外に
は、借り物ばかりの寄せ集め雑学に過ぎない。例えば金石文が出れば文献学や史学か僧侶の知恵を借り、時代設定
では専ら土器に偏り、その点についても窯業の知見を借りて見比べるか地質学から借りた。

時にはX線分析も借用し、或いは仏教的な遺物が出ると僧都や仏教美術家から知見を聞き、或いは金属片が出れば
冶金学その他からも知恵を借りるなど、全て寄せ集めの知識や西洋のメスを使ってバラバラに日本の遺産を解体して
第一級の資料を切り刻んでゴミに変えた。

そのようなどうでも良いゴミで倉庫や資料館を満杯にしたり飾り立てて来たのです。その程度の学問であっても「学術」
と言う名の元なら此れまでの日本では通用した。宗教音痴、方向音痴、天文無視のモノカネ第一の目で高いコストをか
けて墓暴きを続け、「飯に」出来たのですが、其の跡地は最早「迷宮入り」となり、何も分らない所としてしまった。

場所、即ち方位から切り離して異物だけを残しても、其れは謎を深める事にしかならない。凡そ学問は、謎を解決すべ
き使命を持つ。所が、史学や考古学は謎を増やし続けているのだ。とすれば今後は少なくとも学問とミステリーメーカー
とは別にして貰いたい。

ミステリーは、ドラマか小説と言った、フィクションの世界だけにして貰いたいが、彼らは通り一片の浅い知識と勝手な
解釈でメディアの人気者となり、其の解釈を次は何度も翻して恥じずに寧ろ「新発見」と言い続けているのです。ですか
ら此れはインチキです。最初のボタンを掛け違えておいて、「もう一つボタンが見つかった」と言うようなトンマな話だ。

日本史が何度も書き換えられた事を前述したが、それ以上に考古学者は書き換える事を得意とした。だから彼らの
「大発見」を「学問的な進歩」と誤解してはならない。確かに日本史が考古学で書き換えられた部分もあり、歴史書が二
転三転した。此れだってボタンを色々掛け換えているに過ぎない。

喩え書き換えたにせよ、彼らに課された命題が何一つ解決していないのだから目的を達したとも言えないし、それでは
「進歩」ではなくて堂々巡りの足踏みであろう。此の種の問題は文献学、文学、古文字学、天文学、暦学、地理学・・・・
等も同様だ。

学者たちは無競争の太平楽の元で「わが世の春」を謳歌し、学問と言う看板を出していれば保身に好都合であり、
各々ビジネスにも出来た。しかし惰眠によっては「正解を出せない」から問題なのです。

にも拘わらず誰も不明と誤解を恥ともせず責任も取らず、「井の中の蛙」でマンネリ化して「専門馬鹿」となり、「独りよが
り」の無反省と怠慢さに加えて、他人の意見に耳を貸さない独善的立場になった。こうなると真摯な「学徒」ではなくて専
門的「職業」集団と見た方が良いが、其れでは学問として無価値であろう。

であれば特に昔を語る歴史家や考古学者は「他人の褌」で発掘する前に先ず自分の先祖を知るべきである。そうした
地道な認識がなければ机上の空理空論となる。所が彼らは先祖をサルと見る西洋史観の進化論に立脚するため先祖
には無知・無関心で軽蔑の目しか向けない。

ですから其処から導き出される結論は事実と矛盾し、真実とは違うものとなっている。だから筆者は敢えて素朴な疑問
と苦言を呈した。自分なら兎も角、他人の先祖まで蔑視し、先祖よりも今の自分個人の生活を優先するため保身を図
り、或いは手柄を立てようとする仕事の為に彼らが出す結論の側が常に歪められると懸念するからです。

凡そ科学や学問とは、目の前の命題に対してデータを拾って答えを導き出す方法論である。其のために推測で仮説を
立てる事になるが、今の学問的諸説は此処までだった。知識と推測と方法論ばかり多いが、此処で止まっているのだ。
次は検証してどの道が正しいのかの結論を出さなければ学問として意味がなく命題に答えた事にはならない。

そして其の結論は、全体との整合性の一致がなければならない。しかも其れを誰でも実証し、再確認できなければ事
実とは言えず、事実が見つからなければ学問的な真実とは言えないのである。

◆整合性・・・・・・知識や科学とは再現性と共に論理の整合性が要件となる。其の要件を問わずに、情報の多さとか学
歴とか権威を有り難がる事を迷信と言う。其の程度の今の学問や物質科学に比べれば方位は迷信ではなくて、寧ろ法
である。古代の法理(既存の方理)から見れば、今の物質科学のほうが問題が多くて話にならない。

更に今の科学が方向音痴では如何に科学技術が進歩しようとも無能です。今まで努力しても真の法則も見出せなかっ
たが、この種の渡来様式を踏襲する限りは今までかかって人々を幸福にすら出来なかった事にも気づくべきです。科
学は真理の探究か幸福の実現の何れかに寄与しなければ意味がない。

科学技術の歴史は浅く、実績も無いのに対して、方位は過去数千年来の実績と信用がある。其れこそが自然科学と言
えるものです。其の具体例として「日知り事典」では色々述べ、また本来の方位観(既存の方理)についても基本を述べ
た。

次に史学では従来、飛鳥時代に大陸から暦法が渡来するまでの日本には暦が無かったとご託宣して来たが、この
種のGHQ式刷り込みも弊害が大きいので下記の通り事実を並べて指弾して行く事にします。

例えば30万基に及ぶ古墳の中で、近畿周辺の主だった古墳について見た限りでは方位と暦とが正確に合致する。其
の例を「神々の歳時記」に列挙した。つまり此処から、当時既に真の太陽暦が有ったと見なければならない。其の古の
太陽暦を此処では復活再現して実際に円暦(日読み暦)として図示して見ました。

此れは本来の枡形五行思想とも合致する。更に其れを検証する意味で別紙の「神々の歳時記」により、近畿を中心と
した寺社の祭りの事例を方位の観点から列挙して置いた。其れらを実際に図上で再確認頂ければ、従来の史学や考
古学には嘘があった事が判明する。

と同時に、此れまで誰もが見過ごしていた方位と暦の整合性の重要性に気がつく事は勿論、それらを誰もが実証出来
るでしょう。其れに比べれば在来の史学や考古学は学問とは言えない。其れで譬え一部についての解釈ができても、
全体と矛盾するため結論には至らなかった。

其処で彼らは未知の部分を想像と憶測で繋いで解説し、時には思いつきで私論を繰り広げ、大ボラを吹いたものが今
や通説化したものもある。従って何処まで行っても謎を深めるだけでした。此のため本書では、誰にも通用する客観的
な事実と方式を並べて暦・方位で説いて、しかも実証する、と言う方法をとった。

前述したような諸学問とは違って、祭りは物的証拠が乏しいものの、多くの人々の気高い精神性に支えられて、地域性
と継続性とによって歴史の裏打ちをして来た点で立派です。其処で本書では、古式の祭りを従来の歴史観とは別の切
り口で、「歳時記と方位」から見直して見た。そうすると、史学や考古学の解釈とは全く別の日本文化が浮き出て来た。

暦法もまた方位の観点から見直せば、かつて有った優れた哲理が見えて来ます。ですから此処に「神々の歳時記」とし
て著した幾多の実例も、数式カレンダー的に見たのでは何も理解出来ない。在来のキリスト式カレンダーとは別の、円
暦と付き合せ、方位で見なければ分らないのです。だから殆どの人は「難しい」と文句を言って投げ出すだろう。

でもそれでは折角祖先が残してくれた優れた精神文化や歴史的な遺産などの、伝統の骨幹を正しく理解出来ない。理
解する前に、皮相的な見方に終始し、或いは雑多な情報に翻弄されたり、渡来の軽薄な暦法、史学、宗教の空回りで
堂々巡りしている内に貴い日本文化を滅してしまうでしょう。

ですからせめて、本書を今は理解できなくても、関係者は古墳を壊さず、鳥居や参道を移し変えないで貰いたい。


■7.史学では分からない

■日本の歴史を文献から見て戦争史、農業史と分類して見れば分かり易くなります。でも分かったつもりでも謎が深ま
る。或いは物語を集めて文学的に歴史を再構築できれば楽しいが、謎めいた歴史が浮き出て真実が見えなくなるの
で、それでは歴史が今に役に立ちません。科学や学問とは真理を求めて法則性を突き止める事である。

其れが無理ならば進化論ではなくて因果律から法則性を引き出す事だ。所が現代科学やアカデミックな学問は権威に
溺れて何れも出来なくなっている。単なるイデオロギー(異教性)や知識の寄せ集めに労力を使い、予算を食い潰して
奢っているのです。

ですから科学は発明発見が少なくなり、学問は偏って誤解を重ね、何れも国民の抱える諸問題に対する課題や命題に
何ら答えられなくなった。例えば此れまで幾度も古代遺跡の「大発見」のニュースが続いたが前述の通りインチキでし
た。其れでも彼らは発掘のたびに「古代神殿跡」「古代祭祀跡」と解説して満足して来た。

でも神殿とか、祭祀と言う場合、其処にどんな神が存在したのかを証明しなければ意味がない。学問の力によって、も
「神様」を其処から発掘出来たならそのようにも断言しても良いが、其れが無理な以上、少なくとも蛇か太陽か、それ
とも人の何れが祭られ、どんな祭りが行われたのかを説明出来なければならない。

でなければ、「神が存在した」とも「祭りが有った」とも言えないだろう。そんな矛盾を謎としたまま、考古学者はフィクショ
ンでロマンを売ってお茶を濁して来た。宗教を排除して純粋に学問的な側面からだけ分析を試みたとは言っても、宗教
に無知であれば如何に学問的に分析しようとも真実の解明も実証も無理である。

それなら勝手に創作したホラ話と何も変わらないのです。国民は、史学で解き明かせなかった事を考古学に期待した。
所が考古学者の多くは大学の文学部か史学科卒である。だから謎解き出来なかった。要するに「同じ穴のムジナ」でし
た。其の大学は明治以来、渡来史観の翻訳所であり、進化論の普及所だった。

進化論では分らない・・・・・・・・古人たちは少ない人数で大した道具も使わずに先祖の為に幾多の山(墳墓)を築い
た。其れに比べて現代人はその山を機械で崩して工場や住宅を建て、多くの人間がゴミの山に変えたり、海までゴミで
埋めてしまったのですから此れを進化論ではどう説明するのだろう。

古今東西、法則として存在する因果律を現代人が感情的に嫌って、進化論で判断して見た。けれどもそれでは目の前
に生成消滅する事実でさえ正しく認識出来ないでいる。喩え一部の現象は説明できても真実などは到底解き明かせな
い。従って其れを用いて説明しても同様にインチキになるのです。

とは言っても、暗いニュースが多い現代社会の中で唯一、考古学の面では「世紀の大発見 !」が明るいニュースを提供
してくれて来た。其の果たした一面は多とするにやぶさかではないものの、また繰り返せば其の大発見は「当初にボタ
ンの掛け違え」が有ったのを、「もう一つ、ボタンが見つかった」と大喜びするようなトボケた発見もあった。

要するに進化論やモノカネ主義の唯物史観でしか見ない西洋科学や学問では、高い精神文化の有った日本の歴史を
理解できなかった。手当たり次第にブツブツ切り裂き、解体して分類しては見たものの本物を捨てる事になった。主体
を謎として、何も分からなくして置いて、パーツだけを集めたからである。

このパーツを並べて、独りよがりの手柄話をデッチ上げて大騒ぎして周りを振り回した、とさえ思えます。注意すべき点
は、西洋の学理は先進文化などでは決してなくて、戦い続けて世界の四大文明を不毛にした不毛の宗教学理である事
だ。従って進化論でも洋式考古学でも、古の日本の事は何も分らなかった。

日本の古典よりも、そうした渡来の外典や舶来文物崇拝を優先した困った人たちの文献史学によって「正解」を遠くし
て、「不明」を増やしただけでした。問題なのは、何所にでも極くありふれた形で生きた教材として村落に千年間も守り
通され、残されて来た伝統文化を彼らが理解しなかった事。

古びたものより目新しい物に憧れる人たちが、モノカネ主義で見た「別の宝探し」に挙って参加し、次々と大事な遺跡を
台無しにした事です。西洋史観で分類分析・切開して、永年守って来た遺産を破壊した。高松塚とキトラ古墳も其の一
例である。

とすれば文化庁も保存財団も市町村の発掘関係者も決して「立派な方々」ではなくて、文化破壊の悪行をした共犯関
係者ではなかったか。


文献や史学では分からない

従来から日本の考古学者の殆どが文学部の史学科上がりの先生方です。つまり地質学者でも考古学者でもなく、曖昧
な学理の存在だから其の点も問題である。従って此れまでの史学も考古学も文学的な手法か、アカデミックな渡来の
洋式権威主義(イデオロギー)とモノカネ物質主義とで遺跡発掘に臨んで来た。

前者は戦前の皇国史観を戦後の反動的思想が全否定するエネルギーとはなったが、其れによって進歩した訳でもな
かった。後者では例えば物証主義と進化論にはなったが、其の為、呪術を否定した。

しかし否定しようにも過去に存在した事実はモノカネ主義ではなくて祭政一致の哲理や呪術だったのですから、其れを
先ず正視して理解しなければ真実が分からない。発掘は常識的な経験が第一ですから何の学部でも構わないが、まだ
素養のない青少年が、異教性の学問を注入されて正しい判断をするのは無理である。

明治までの暮らしは宗教・呪術が基本だった以上、其れを否定しては真実を否定した事になります。従って精神主義か
ら物証主義へ、或いは文献主義へと変わろうと、或いは文献にない事は事実として認めない狭量さで物質的側面だけ
から判断しても不明を増やすしかなかったのです。

文献にある事だけが「歴史的な事実」とし、根拠と決めてしまえば次の問題が起こる。例えば、戦争だけを拾い集めれ
ば戦史の年表が出来るが、其れによって「昔の人々は戦争ばかりしていた」と誤認する事になる訳です。

或いは飢饉や不作は三年に一度の比率で繰り返したので、此れを拾い集めれば膨大な量の「苦難の農業史」が出来
上がるが、無論其れも事実とは言えず誤解である。其れらは全体の1/3とか1/10の事実で有っても、全部の歴史
ではなかったからだ。

しかも其れらの文献は、時代や流行、イデオロギーや政権によって何度でも書き換えられたものだ。例えば古くから日
本は山岳文化があり、或いは海洋民族として栄えた。しかし其の何れも文献としては残っていない。其処で、「文献がな
いから山岳や海洋があったとは言えない」としたら、そのような解釈が科学的と言えるだろうか。

特に官製の歴史は極端に書き換えられた。例えば戦前の皇国史観は戦後GHQの神道指令によって一変させられ、神
代の歴史も記紀も排除されて、日本史が歴史の浅い大化の改新から始まったように作り変えられた。西洋史よりも日
本が古くては都合が悪かったのか、それ以前の歴史を全否定する前文化破壊を目指したのです。

此のためGHQの御用学者が歴史や学問を検閲する事となった。譬え貴重な文献として残されたものでも、「偽書」の烙
印を押して排斥する時代になって来た。ですからその様な文献資料を基に、其れを年表順に知っていても歴史を理解
した事にはならない。

今の日本では、魏志倭人伝の世界から発展して、大化の改新から突然この世に日本が出現したかのような日本史に
なっているが、事実は無論そうではない。ですから譬え年表式に、数字を並べた歴史を歴史として覚えたとしても、其れ
で歴史を理解した事にはならないし、文献が正しいようでも実は当てにならないのだ。

倭人伝はだから江戸時代から論って来て謎を深めて今もって何も分からない状態にある。宗書に言う「倭の五王」につ
いてもどの天皇を指しているのかさえ今尚不明である。前方後円墳が3000ヶ所あり、其の大半が近畿に集中してい
るが、どの古墳がどの天皇の陵かも史学が束になっても特定できない。

此れでは考古学や史学と言う学問の意味が無いのではないか。例えば学者たちは口を揃えて「其れまで日本には文
字も暦法もなかった」とする固定観念で断定する。所が埼玉の稲荷山からは115もの文字を刻んだ鉄剣が出土し、熊
本の江田船山古墳からも同様の鉄剣が出土したが、何れもワカタケル大王と読めるらしい。

しかも当時、彼の権力は関東から九州まで及んでいたものと見ている。けれども其の点についても文字を否定したら手
掛かりさえ掴めない。不明となった原因は、もう一点。倭人伝や宗書と合わない日本史を否定するからである。

今の史学は、日本よりも寧ろ外国の宣伝書きや外典の史観を主に置き、もっと根源的な我が国の古典を従にすると言
う、本末転倒の恥ずべき学問となっている。ですから史書は沢山あるが分からない。史書と言うよりも、勝手な創作ドラ
マのような駄本とか解説書紛いの書物が山ほどある。

古典と言っても創作した仏教説話や縁起書も中々多いので当てにならない。だから未だに諸説紛々として結論が分か
れ、当時の事が何一つ確定出来ない。ですからそんな借り物や紛書の史観重視では混乱を増幅するだけだった。其
れより、最も近い所にある自分の先祖から学ぶべきではないか、と言うのです。

先ずは自分の先祖を一人でも多く知り、彼らが守り続けて来た貴い精神や地元に有った伝統や祭りを認識する事だ。
文献が簡単に書き換えられるのとは違って、寺社の位置などは簡単に移動できない。地形や地名に方位で記され、其
処に施設が建てられて、多数の人が祭りを継続して来た。

列島改造論以来、至る所にブルやユンボが活躍しているが、譬え幾つもの山を突き崩しても市街地を削平するのは無
理である。であるから古の名残がまだ残されている所が結構存在する。従って祭りの文化や地理方位、それに地形の
ほうが文献よりも正しい歴史を物語っているとも言える。

従って天文と地理から今後は命日を確定する努力が必要となります。人の口先や書物は嘘をつくが天体は嘘をつかな
い。でも下ばかり見て天文を知ろうと努力しない史学や考古学では其れは理解の外であるから限界があるのです。

今は、大学の先生がテレビで発表すれば其れが歴史の通説や定説になるが、其れは天文や暦法の裏打ちのない下
見の知見である。

だから当てにならないし、文学や仏教説話を寄せ集めた歴史とか、根拠に乏しいものを集めて個人的に脚色したフィク
ションも多いので講釈師のホラ話と同列のものも多い。そうした古代ロマンを語るよりも、先ず足元の現場を知るとか、
自分の親の墓を知り、地元の祭りを知る事が先決ではないか。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

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