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   日知り       
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  1.前書き                 2.本物を見る目                           
       3.多重円環の思想            4.「円系図」と「円暦」発表までの経緯       
            5.洋風化が進歩だったのか。      6.文化とは何か

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●4.「円系図」「円暦」発表までの経緯

★グローバル化と言うラテン語は、カトリックの言う「地球の」「全世界的な」「世界的規模の」標準化を意味するのであ
るが頭から信じてはいけない。「三族の因縁」で述べる通り、日本人は日に向かって暮らす民族であるが、世界の中に
は暗がりの月や星の元で暮らす人種のほうが圧倒的に多い。

多くがいわゆる「夜行性」なので、其れとは逆に日と共に暮して来た「日本の常識」は「世界の非常識」とも見られる。だ
が彼ら、夜行性の民族やカトリック式の「一律の基準」には無理があるので、譬えグローバル化を如何に叫んで見て
も、世界は一つになれない。ただ米国の属国となった日本では一部成功しているだけである。

日本ではグローバル化が更に徹底的に押し付けられて例えば金融管理などで画一化されて一極一元管理されて行く
のでしょう。また特にインターネットの爆発的な広がりで英語が主となり、日本語などは方言になって行くとも言われる。

●現代社会は、スピードを要求する軍事科学の副産物として、例えば交通手段の飛躍的発展によって、交易・交流が
盛んになり、何事もスピードアップした。其処で、あらゆる分野で国際化の波とグローバリズムの嵐が吹き荒れる事とな
った。でも国際化とは「お互いの違いを認め合う事」であり、「共生」を期待して考えられたものではなかったのか。

其れが今のグローバル化ではスリ替えが見られる。グローバルとは、「全世界的な」の意味であったのが、其れも実は
一神教的アメリカン・スタンダードと言う「一律・同一化」となって同質化が猛威を振るう事態となって来ました。彼らは
元々他との共生を認めない一神教である。従って例えば米英の価値観とは違う「イラクを潰す」と言う暴挙に出た。

其れだけではない。グローバル化は例えば、エイズやサーズ、其れに鳥インフルエンザが直ぐに世界に広がって押し
寄せるような、平べったい社会としました。だから例えば「石油ショック」も全世界に直ぐ広がった(「グローバル化」と「石
油危機」は米国とユダヤ資本の陰謀によって作られ、使われて来た)。

スピードは結構だが、石油だけに頼る産業構造や生活は一夜にしてパニックとなる(其れを彼らが一手に握るため)の
が今のグローバル化の正体である。

言うまでもなく今は情報社会です。とは言うものの、無関係な多くのコピー情報が氾濫するので実は迷惑であり、こう
した「情報過大」は文明ではなくて寧ろ非文明であり弊害が多い。何十億もの人々が一つの基準、誰かの目で見た世
界観や同一のデータ・情報が広がる社会、単細胞化が文明の進歩なのだろうか。

其れは進歩ではなくて文化不毛であり、貧しさです。とすれば、不確かで同一の知識を集めるよりも、役に立つ、真の
情報だけを見分ける知恵が必要ではないか。どうでも良い知識を掻き集めるより、僅かでも良いから真に幸福を生む
道を知れば良い筈です。

其処で今回は私たちに最も大きな存在である太陽について、先ず「日知り事典」として・・・・太陽信仰から暦を解説し、
また別紙の「神々の歳時記」では暦から方位を割り出し、方位から古墳の謎解きを進め、古墳から寺社の歳時記の由
来を立証する事で日本文化の原点を説いて見た。特に「日知り事典」では、和文化の原点の一部を解説した。

既に現代社会が洋風化=国際化とグローバルの渦中ですから、和文化は異文化となり死文化とされてしまった以上、
幕末に「攘夷」を叫んだのと同じ程度に無意味な徒手空拳であるかも知れないが、本書では敢えて回り道して「共生」を
保つ方法論として日月星、三種の暦法と「三族の因縁」を述べる。

暦を通じて各々の生き方が違う事の理解を進めれば、世界は広くともお互いに個性に対する真の理解が得られて、其
処から争いを回避できると信じるからだ。

此処で筆者の経験も加筆すれば日本は1973(s48)年にニクソンショックと石油ショックに見舞われて資源枯渇とインフ
レが大きな問題となり、筆者は「自分が動かなければ他人は動かない」と思って会社役員を勇退した。其の上で市民の
リサイクル展示場(330u)を堺市と河内長野市に開設して省資源運動を始めた。

其れをマスコミが全国に発信して大きく報道し続け、またごく一般の市民や宗教家たちが支援してくれた。信者でもない
私達を何故か終始、天理教の皆様やエホバの証人の会衆たちが応援し続けてくれた。陽気な彼らにどれだけ救われ
たか。今でも感謝で一杯である。宗教を偏見で差別するより大切な事は精神面や人間味である。

其れに比べると国は資源エネルギー庁を新設したが、其れは何と通産省だった。此処は米国流の経済重視・環境無
視のお役所であり、言うまでもなく環境よりは殖産興業や利権で動く所であり、早速エコマークを作っただけでした。

従って企業は「環境よりも利益」のために其れに悪乗りするようなエコノミック・マーク(儲かるマーク)と して利用したに
過ぎない。要するに会社やお役所は省資源や環境問題に元々馴染まないし冷淡でした(反対勢力である)。なのに縄
張りから旗だけ振るのです。だから国民は騙される。

府や市も省エネ・省資源運動と言うキャンペーンを大々的にやって置きながら助成も支援も一切するどころか冷ややか
に「勝手にやれば」と言う態度をとり続けたし、警察や消防も、「吾関せず」と言う別の立場から当方の展示場の活動を
シバシバ妨害して来た。そうした中で13年間必死に頑張って見たが何にも変わらなかった。

更に最終的には同和を名乗る韓国系サラ金グループが、土地境界問題に絡ませて乗っ取り行動に出て来た。例えば
外車やマイクロバスで10人以上が乗り込んで来て、連日連夜居座って来客を怒鳴り散らし、篭城しての嫌がらせと妨
害工作を続け、更にスクラップの車を何十台も積み上げるなど驚くべき行動を続けた。

其れまで我々は「同和」の実態は知らなかったが、同情はしていた。けれども彼らが余りにも「同和」と言うので調べた
所、「聞くのと見るのとでは大違いであり、逆差別だ」と言うのが世間通(同和を参照)の意見だった。ともあれそんな連
中が半年間、連日団体で押し掛けて来たが、警察は逆に当方を犯人扱いして取り調べた。漫画である。

市役所の同和対策室長にも相談しようとしたら、其れだけで怒鳴りつけられたので、筆者は此の市に納税している意
味が分からなくなった。府警もまた府民を守る立場であるのに、目の前の状況把握さえ出来ずに得体の知れない在日
韓国人の営業妨害工作を同和と見て敬遠傍観して彼らを増長させ、府民を犠牲にし続けた。

得体が知れないので大阪府の金融課で調べたら無届けだった。慌てて同課が申請書を鉛筆書きで作らせたのか、其
れを後日チラリと見せられただけだ。つまり同課は昭和55年まで偽同和のモグリ営業を黙認し、彼らの不正・不法行
為とグルだった事になる。此れでは府が府民から税金を取る資格も、取り締まる資格もない訳である。

そもそもこの事件となったのは、不思議にも府土木事務所の職員が宅建業者と一緒に仲に入る形で一杯機嫌で当方
へやって来た事から始まった。地方自治の悪質さは府庁だけではない。河内長野市役所も「同和を正義の御旗」として
掲げる彼ら犯人たちを擁護した(此れを逆差別と言う)。逆差別だけではない。

例年、固定資産税や諸税の数字だけアップして名義人に賦課して来るだけで地籍も地積の把握もせずに怠慢のまま
放置してトラブルメーカーとなっている。こんなお役所は日本には無用と思うが、大阪府の殆どが同レベルなのですから
地方分権など到底無理である。

何処の役所も大同小異かと思うが、当市は一律に数字だけギッシリ並べて増税する事には熱心だが、課税根拠とする
現地や登記との照合も出鱈目のまま、過大に課税して更に毎年二倍ほど巻き上げて口を拭っていた。そう言う訳で同
和サラ金を名乗る韓国人暴力団や、更に彼らの代弁者として敵対して来た色んな弁護士を筆者が単独で相手にした。

最後は今も毎週NHKテレビで活躍している大物弁護士だった。彼らと何度も戦って裁判では辛くも勝ったものの、其れ
まで堺市では場内がパンクするほど客が溢れた市民グループの広い展示場が遂に閉鎖となり、また当市の展示場も
閑古鳥の鳴く所となっていた。

このような苦節9年の間に、誰も寄り付かない所となって閉鎖したが、韓国人の偽同和の利権屋が憎いのではない。悪
質なお役所に腹が立った。だから次に「お役所を変えないと何も良くならない」と判断して10年前、府知事選に出て伝
統文化を訴えた。バブルが弾け、更に阪神大震災で大阪もすっかり落ち込んでしまったからです。

所が府民は渡来系の破廉恥・横山ノックを圧勝させた。笑い飛ばせる状況ではないのに二度もである。以後、大阪の
地盤沈下が加速した。其の深刻さを骨身にしみて感じなかった大多数の府民は軽薄だった。よって府は益々窮地に立
ったが、ただ貴重な1票を私に入れて下さった多くの方々には心からお礼したい。

何方が支持して下さったのか全く不明なので何らかの形で世間様にお返ししたいと思って、尚も懲りずに小誌などを無
料で発行して「赤ん坊からお年寄りまで1000万円のボーナスを現金で配布せよ」、とも論じて来た。具体的には紙幣
増刷をして、一人当たり1000万円の慰労金を出せば当面は経済活性化も疑いないと見たからだ。

だが、こうした話が殆ど世人には理解されなかった。世間は何時でも高見の見物である。足元が腐っているのも知らず
に他人を冷笑して優越感に浸っるのである。だから言うのだが、政とは国民が求めるものを与える事である。そんな中
でリーダーたちは何をしたか、と言えば、与えたのではなくて逆に奪い続けた。

神や聖を排除して人間の目から益々遠ざけた。のみならず今の政府は増税か赤字国債増発で紙幣を巻き上げる算段
しかしない。神に代わって俗サルと蛇集団と化した彼らが神になったかのように益々増長し、巨大化・跳梁跋扈し出しま
した。

優秀な議員や官僚が五万といる筈の日本でありながら、その後の結果は、国の借金を1000兆円にまで至らしめ、デ
フレスパイラルにしたのですから呆れる。政府は規制緩和を言いながら逆に締め付けをきつくし、預金封鎖や増税を画
策し、其の金円で米国に輸血し続けたのですから日本がおかしくなって当然です。

そうした社会の中で企業はリストラをしたので、一般人はイライラのハケ口を求めて例えば偽善者的な「禁煙」強化を叫
ぶようになった。隣人を愛せず、咎めあう社会にしました。だから「日本には何でも有るが希望がなくなった」と言われ出
した。

政府は縦割り行政で無責任な国となり、一方的な命令と服従の関係で国民に徴税と選挙の義務を被せて「希望のない
国」にしました。府や市は住民の要望を一切拒絶し続けたので見事に大阪はワーストワンなら何でもトップの地位を固
め、河内長野市も其れに負けずに好一対で「全国一住みにくい町」と言われる地域になった。

こうして日本を益々住みにくい社会に仕向けてしまったのは実に嘆かわしい。古の日本人はもっと大らかであり、知恵
も誠意も律儀さもあった。其れに対して現代人には学歴や地位や現金があっても、知性も愛もなく、する事は全てが半
人前しか出来ないでいる。政治やお役所では駄目だ。

其処で個々人の人間力の回復を目指して、筆者は次に「鬼の会」を開いて自ら考案した「円系図」と「円暦」を解説
し、古の優れた日本文化の復活を説くため、自分の家庭も仕事も顧みずに頑張って見た。先のように日本文化が破壊
されたのは熱い戦争とは別の、もう一つの戦争(此れを間接侵略と言う)による敗戦と見たからだ。

冒頭に述べたグローバル化は間接侵略である。其れが彼ら侵略国の立場からは正義であろうとも、犯される日本の側
から見れば、人々の気づかない内にそっくり変えられる事であって、人殺しや暴力やテロと同等の罪悪による不幸であ
る。

話が長くなるので、この続きは「纏め」と「後書き」でも過去の経緯から述べるが、特に此処数年で世界も日本も未曾有
の危機を迎えるだろう。其の点については、筆者のみならず多くの知者が憂慮する一致点である。上記の「グローバル
化など3S政策」によって日本人は先ず巧妙に骨抜きにされた。

其の前に原爆投下と言う前代未聞の破壊行為によって軍国日本は一転して平和国家の看板娘となった。その日本を
表看板に利用すれば彼らの思う壺に出来る。

彼らは「ヨハネの黙示録」にある預言を、神に成り代わって自ら自作自演し、此の世の悪を滅ぼして「地上天国」を作ろ
うとし、其の為にハルマゲドン(パレスチナなど異教徒撲滅の最終戦争)計画を進めて来た。其のシナリオの幕開けが
9/11NY同時テロであり、以後も着々と準備を進めている(未来カレンダーを参照)。

詳しくは「纏め」に譲るが、石油戦略もイラク侵略もその一環である。だが、アフガン後の米国はボロが出て来て世界各
国から批判され、イラクでも同じ失敗をしたが糊塗している。其処で今後は「平和国家日本」を抱き込んで「表看板」に
担ぎ出せば、どんな悪事でも「聖戦の錦の御旗」に利用できるのだ。

そう言う訳で日本は入りたくもない渦中に巻き込まれて未曾有の辛酸を舐めるだろう。其れを避けるには先ず、渡来史
観を排除しようとした幕末の尊皇攘夷の思想に学び、本来の日本を取り戻して貰いたい。

世界の列強に伍して行くには彼らと同じカードや武器で戦うのではなく、寧ろ前近代的と見られがちな、江戸時代以前
の旧勢力や先祖の力を借りなければ無理である。其の原文化が渡来文明によって完全に破壊されようとしている今こ
そ此処に「日知り事典」として書き残し、併せて日本国内に限定公開して問題提起するものです。


■5.洋風化が進歩だったのか。

■関所・・・・・・・日本では古来、峠や村境に賽の神を祭り、よそ者と疫病とを排除してきた。また江戸時代までは各地
に関所があり、「入り鉄砲・出女」を取り締まって来ました。「入り鉄砲」は此処で言うまでもない。物騒だからだ。「出女」
は手形なしに出歩く事を取り締まったものです。所がどうだ。今は海外旅行ブームである。人は此れを進歩と言う。

其れで皆が幸福なら何も言う事はないが、ピストルも麻薬もエイズも国産品ではない。何れも渡来品であり、彼らが持
ち込んだものである。日本は貿易立国だとしてドルを手に入れて英語を正課に採り入れた。つまりアホな政府と企業が
奨励した結果が今のバタ臭い日本である。

■黒船以来、大転換・・・・・・・幕末に黒船がやって来て、大方の日本人は腰を抜かした。以来、舶来の西欧物質文明
にすっかり幻惑された日本はモノカネ主義に大転換した。「脱亜入欧」が「文明開化」と信じて一生懸命「殖産興業・富
国強兵」に励んで来ました。その結果、平成の今があるものの、今の日本人は完全におかしくなったのではないか。

日本は大急ぎで明治維新を推し進めて南蛮渡来の文明を採り入れたが、戦後は特に政教分離と多数決の論理の民
主化・デモクラシーなるものを徹底させた。だが其れで国民がどれだけ幸せになっただろうか。結果論から言えば其れ
は苦難と不幸の連続でした。とすれば「文明開化」などは何の意味もなかったではないか。

確かに目新しい物は増えたが度重なる戦争、事件事故の続発、人々の質の低下と公害と石油まみれの産業と消費文
化と環境破壊で病人とゴミの山の増加・・・・・・等、物は増えたが何も良い事はなかったし、益々俗悪化する一方です。

さて、政は「祭り事」である。祭り事の命題は昔も今も変わらない。制度いじりや小手先の税制改正ではなく、「国民を
如何に幸福にするか」と言う為政者の心に尽きる。「日本に生まれて良かった」と言う国民が一人でも増えるように願う
心構えである。所が今は逆なのだ。確かにデモクラシーと言う美名の看板は出している

けれどもパフォーマンスばかりで中身がない。こうした衆愚政治は国民に苦痛を与え続けるシステムでした。譬え為政
者の意識に経世済民の前提が有っても実行力がないのではこれも要するに無力である。無力なのは無神論者が金力
や人のシステム(機械や学力)に頼るからです。とすればもっと良く考えて見る時ではないか。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、既に明治に日本の美が西洋の「実用的なもの、月並みなもの、品のないものに
取って代わられる」予感を述べていたが、其れは今、現実となった。地球の遺産は大自然であるが、人類独自の遺産
は歴史文化である。

所が以後の日本人の多くは其れらに無知だったために軽視したし、更に戦後は優れた精神文化を残してくれた先祖を
捨てた。先人・先祖に感謝せずにモノカネに目を奪われた。

先人が苦労して積み上げた歴史に対する尊敬も感謝も無く、寧ろ「精神主義」として此れを反動的に拒否し、其れとは
逆の、未来や海外に目を向け夢を見た事が多くの問題を山積させた。其の過程で日本人特有の、「考える」、と言う知
性を失い、物まねとスピードを競って横並び競争しかしなくなった。

此れは楽な生き方であるが徳性のないお粗末な人間の多い社会にして行く。そのために素質のある優秀な人が、理性
も感性も発揮できないとすれば惜しむべきであり、そして何よりも懸念するのは世界に比類ない、日本の高度な精神文
化が崩壊する事です。


日本人の「お人よし」・・・・・・・海外旅行がブームである。ただ、今の日本人は西洋に憧れるけれども、例えば8cま
での西洋の歴史には英国は出て来ない。此処は11cにバイキングが作った、要するに海賊の国である。

其の他の西欧諸国にしても、コロンブス後の大航海時代は、海賊の活躍により、アフリカ(ヒジリ事典の「アフリカ」を参
照)を山分けしたヤカラでした。白人たちは更に中南米でも略奪の限りを尽くし、アジアの大部分も植民地にして成り上
がった帝国である。つまり列強の素性は海賊、もしくは略奪国家だった。

其れをアカデミック(権威)とする西洋イデオロギーの素性も、一皮剥けば海賊の正当化と「悪事を正義にすり替える理
屈」である。そうした海賊たちの国に日本は急接近し、見事「仲間入り」したのが明治新政府と言う代物だった。そうなる
危険性を予知して避けて来たのが徳川の鎖国政策でした。

其の元で水戸家などはキリシタン弾圧と朱子学的神道を積極的に進めた側である。しかし幕末から鎖国が解かれて倒
幕後に明治となったものの、以後は坂道を転げるように戦争のための軍事国家となった。先の大戦では日本が彼らを
敵に回して大立ち回りを演じたものの見事に惨敗でした。此れは普通の戦争ではなかった。

彼らが絶大な権益を持つアジアから日本は結果として、白人の植民地を悉く独立させてしまったのだ。だから彼ら白人
たちは日本を決して許さない。中曽根や小泉は「友達付き合い」していると思って見ても、白人は日本と同盟国だとは
思っていないのである。

しかし、日本の犠牲でアジアを独立させたにも拘わらず、今は「反日の嵐」に怯えて何度も「お詫び外交」をする有様で
あるのは皮肉ではないか。では日本人が勘違いのために此処まで「お人よし」になった事情を明治からもう少し振り返
る事としよう。

明治維新を問い直せ・・・・・此れは筆者の思いつきだが、明治維新は、九州に残存した隠れキリシタンが暗躍し、或
いは後ろ盾となって薩長を動かした結果において見事に成功したものだとすれば分かり易い。武士や兵士は命を懸け
て戦うが、この点ではキリシタンでも似ている。彼らも命を懸けて信仰を守って来たのである。

戦国時代から幕末まで信仰を死守したのが隠れキリシタンである。結果として、九州から薩長が官軍として列島を東進
し、無理やり維新を推し進めた。其れまでの師であったシナを捨てて急転直下、明治政府は欧米との結びつきを急速
に強めた。因みに今年(2004)は、「ペリー来航・日米修好」150年周年に当たる。

鹿鳴館・・・・・・・幕末当時の日本には「攘夷」の嵐が吹き荒れた。新撰組は無論の事、水戸人も維新の功労者では
なくて攘夷で維新を妨害した旧勢力として滅ぼされる側に立ったし、事実抹殺された。そうした嵐の後に明治維新となっ
て日本は欧化に急展開した。此れが進歩であり前進である。と私たちは刷り込まれて来た。

だが事実は違って来たし、当時の外人の目から見ても、日本人が鹿鳴館で「文明開化」のおサルのダンスを踊って見
せたに過ぎない。白人から見たらサルの踊りの外交で井上馨、伊藤博文、福沢諭吉などが近代化、即ち西洋化を国策
として進め、扇動したものだ。

従って此処には其れに賛同した成り上がりが集められ、煌びやかに着飾った新華族が招待された。鹿鳴館では決まっ
て華やかな夜会が催され、社交ダンスのパーティとなったが、此れは決して日本の「夜明け」ではなかった。島崎藤村
は小説「夜明け前」を書いて一躍文壇に登場したが、文芸作品としては傑作であっても予言書ではなかった。

彼は木曽路の馬籠宿の本陣を務めた名家であるが、其処も既に「夜明けで」はなかった。新日本になって以来、其の
機能が無用となり、社会から忘れられて深い眠りに就いたのである。このように、日本にとって明治維新は寧ろ、夜の
時代の象徴の夜会服が、偽りの「文明開化」を暗示していたのである。

喪服・・・・・・例えば昔から喪服は素衣・白衣または墨染めだった。中世以来も男が麻上下(かみしも)、女が白無垢
と決まっていた。今でも遺体を白衣・白装束に包んで「死に装束」と言います。其れに対して祝い・祭り・晴れ着が黒衣で
した。所が今の喪服は黒いモーニングが常識です。喪服は白か黒か。

その由来は、白を黒とし、黒を白とするペテンであった。ハッキリ白黒に決着を着けたのが明治31/1月、英照皇太后
の葬儀に明治天皇が一転、黒衣とした事による。彼女は第121代孝明天皇・夫人(九条夙あさ子)だった(新人物往来社
「歴史読本」05/12月号で小田部雄次教授)。

旧幕時代の終焉に際し、其れを祝ったかのように国際化とか外圧利用で逆を示した事になる。でも何故イブニング・ド
レス(夜会服)ではなくてモーニングにしたのか。モーニングとは朝であり、寝巻きであり、其れを礼服としたものである。

其の「文明開化」は「夜明けの日の出」ではなくて、日没であり、日本が「夜会」を始めて黄泉の国の暗闇に突入する序
曲を暗示し象徴するものでした。ただ其れは「キリスト教」の側にとっては「夜明け」を期したのかも知れない。

同時に日本は漢字からローマ字へ、和服は洋服に、喪服も黒のモーニングとなり、歌舞伎もオペラ風にと全てが西洋
風に改められた。其れを一時だけ押しとどめる事が出来たとしても時代は急速に進み、今はもう手が付けられない黄
泉の世界に来ている。でもこれで良いのだろうか。

次に問う世界の四大文明、特に白人の作った文明に優れたものがあっただろうか。彼らは自然破壊と自然からの
搾取を執拗に繰り返して都市化し、其の後は戦乱で焦土化し、遂には砂漠化すると言う愚行を繰り返した文明を持つ。
此処500年間の世界の歴史を見ても、白人による他民族への侵略、略奪、強殺の極悪の前科の歴史でした。

其れに対して日本は明治維新と言う節目を元に、彼らの植民地になる事だけは撥ね退けた。のみならず、日清、日露
の戦い、大東亜戦争と戦って白人による人種差別と対決した。最後には特攻をやって見たが抗し切れず焦土化し、特
に広島・長崎への人類初の原爆被害を受けた。

惨敗したものの結果としてはアジアから白人を追い出す事に成功し、アジアを開放した。其れは日本人の尊い人々の
犠牲により、其れと引き換えに遂行された(2003/7/16日、サンケイ「正論」広告見出しより一部引用)。当時の若い特
攻戦士の遺した歌の中には例えば、

    「身はたとへ愛機と共に砕くとも魂永久に国ぞ護らん」

(22歳、沖縄付近にて昭和20年5月戦死。2003/8/29 サンケイ)がある。此れは例外ではなくて彼ら戦士たち
の共通の観念だった。死を以って訴えたこうした貴い願いを、戦後世代はその場限りの気楽な思いで無視してはならな
い筈だ。貧乏しても国は滅びないが、教育の荒廃と精神の喪失は国家も個人も簡単に自滅させる。

「一億総玉砕」から一夜で、「一億総懺悔」と一転し、しかも戦後数十年たった今も、事態は全く悲観的だ。シナはかつ
て清国と言う大国でありながら、アヘン戦争でイギリスに簡単に負けた。よって「眠れる獅子」や「豚」と笑われる羽目に
なり、代わって日本が白人たちの列強と直接対決する立場に立たされた。

アジアの西洋化を打破した日本が戦後、白人から敵視されるのは止むを得ないとしても、日本の同胞同士「反日反戦
と靖国批判」と言う状態が今も続くのは皮肉である。のみならず父母を騙まし討ちした敵国の欧米文明を人は好んで受
け入れ、バタ臭さに酔ったのか骨抜きにされて、日本人全体が「欧米化」の、一番の優等生になってしまった。

此れは進歩ではなくて裏切り行為に等しい。其れは多分、明治維新と戦後のGHQの「過去を全否定する占領政策」、
つまり、「米国が神」とする宣伝工作、及び「新式=善」とする渡来史観の刷り込みの成果!であろう。と同時に、戦後
の政府の義務の怠慢と不履行である。

政府が第一になすべき義務は、先に散った最も貴い御魂たちへの鎮魂をする事だが其れすらしていない。バックボー
ンとは背骨の事であるが、戦後の日本人にこのバックボーンがなくなったと言われるのはそのためである。とすれば、
最早好き嫌いの議論をしている時ではないだろう。

第二の問題点は列島の内外に散った遺骨収集さえ満足にしていない事だ。そうした行為は、好き嫌いや宗教やイデオ
ロギー以前の、人間性の条件なのである。そうした根本が分らないとすれば、次なる教育もその他第三・第四の事もボ
タンをかけ違える事になる。

つまり政治の進歩ではなくて頽廃であり、それによって形成した政府は国民のリーダーたる資格も徴税権限もないイン
チキ団体となる。従って、その下には動物的なエゴと臆病な感覚で民主化とか、「靖国反対」を叫ぶ愚民だけが多数を
占める。よって日本にはこの先、幾ら待っても明るい未来はないだろう。

其の事を暗示するかのように、幕末に米国の外交官・ハリスの通訳官として下田に来日したオランダ人ヒュースケン
は、攘夷派に残殺される前に「この幸せな日本に西欧文明を齎した事を悔やむ」と言う意味の手記を残していた。この
点で商売人ハリスよりもヒュースケンは人格者だった。攘夷派は惜しい人物を殺してしまったものだ。

当時日本にはトロヤの遺跡を発掘したシューリーマン(ドイツ人)など多くの人物が来日しており、何れも日本文化に驚
嘆し、日本を絶賛していた。

しかし日本は、ハリスの意のまま米国に屈し、更に明治以後は、「脱亜入欧」のお題目で突き進んだのですから、其の
愚行について今は日本人自身が「明治維新は何だったのか」と言う一点について先ず反省の時期であり、ユダヤ式
「グローバル化」や今風の「国際化」のキャッチフレーズに尻尾を振ったり踊ってはならないだろう。

海外に目を向けるよりも、幕末に活躍した薩長土肥の鹿児島、山口、高知、熊本が今どう発展したか見なくても分かる
だろう。彼等が心血を注いだ結果、今はもう逼塞して「ど田舎」になった。とすれば何のために戦ったのかを今こそ問う
べき時ではないか。

公家の天下を夢見た京都も、天皇を東京に持ち去られてしまって逆さ夢となり、単なる観光の旧都になった。であるな
らば明治維新は一体、何だったのか。そして大東亜戦争は誰のための戦いだったのか。ソモソモ戦いに意味があるの
か良く考えよう。



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