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日知り事典   前文 3


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■6.文化とは何か

日本人は昔から教育熱心であり、平均的に「読み書きソロバン能力」が高いので世界の識字率ではトップレベルでし
た。だから維新後は軍拡、戦後も「軌跡の復興」を遂げて経済大国となったのでしょう。だが戦後の其れは「計算高い」
と言う評価も出来る。無宗教でエコノミック・アニマルと言うのが世界の定評となった。

今は特に高学歴社会であり、数学や英語の勉強を重視し続けている。だが理解力と言う点になると世界の水準から見
て低過ぎるのではないか。今の常識は知識重視の平凡な学問・教育レベルの上には出ていないと思うのです。

しかも医学でも科学や宗教でも、日本人一般の常識レベルは教育の成果によって、或いは最近のグローバル化によっ
て同質化させられた(「学び」を参照)。

よって誰もが同じ知識を共有すると言う、実に素晴らしい事にはなったものの、反面では多様性を否定して異論を封じ
込める雰囲気が強い。此れは言わば砂のような同質性である。砂粒にも個性があり、ミクロの目で見れば色や形が違
っています。大きさも違うので全く同じ砂粒はないに違いない。木の葉だって同様です。

日本人も個性はあるが、労使の立場で違うイデオロギーを使うとか、宗教に対しては異教性(イデオロギー)で対決する
と言う程度の低い見識ですから自ら考えるのは苦手であり、個性的でもなくて応用も利かない。多少の異色的な差異は
あるものの、現場も知らず実体験も乏しいために新聞紙のように薄っぺらで同一面の知識である。

例えば日本では西洋医学のような無学(敢えて言えば医術)に対して独占権を与え、それ以外で治せば医師法違反で
検挙すると言う自由のない国にした常識です。或いは進化論の前には異議を挟めず、また米国の前には土下座するし
かない。其れが日本の今の愚民化された常識であり、文化の程度であり政府の力である。

ですから拙論などは異文化の目で見られるだろうが、本来の日本人は祭政一致の祭りを続けて来た世界一文化程度
の高い貴い人たちでした。其れに比べて諸外国は其の国が出来る以前から戦乱を繰り返した歴史を持つ。

其の戦乱では必ず彼らは先史文明を破壊した。そうした非人間性を宿した文明なので日本とは異質である点にこそ注
目すべきです。所が明治前後から日本人は欧米から急いで物質・機械文明だけを摂取しようと務めた。物質の裏側に
染み付いたキリスト教は受け入れないつもりでいたが、其の物の表面だけを見ても分からなかった。

物とはその物を作ろうとする社会や文明の意思・心が入って出来る物である。であれば、物だけ切り離しては意味が半
分しか分からない。こうした物心一体の文明の中の、モノマネだけをしたつもりでもすっかり汚染される事になったのは
其の勘違いからである。

其れが更に、戦後は復興、または「経済発展が進歩」と言うテーゼ(命題)を掲げ、其れと表裏一体である宗教をアンチ
テーゼ(逆理)やタブー視して来た。そのつもりだったが側面にあった矛盾が現代日本の問題の根っことなった。ですか
ら宗教と言う問題から逃げずに直視しなければこの先が思いやられる。

現代人は宗教嫌い(アレルギー)ですが、其れが仇となるのです。無信仰の人々は「宗教は戦争の原因だ」とか、「宗教
や祭りには金が掛かる」とか実に色んな屁理屈を付けるが、そんなものは理由にならない。

譬え病気が嫌いだと言っても、闇の夜となれば「病み」が広がるように、欧米化で科学が進歩しても人が益々病気に罹
り易くなった通り、無宗教では免疫性もない以上似非宗教のオカルトにやられるか多額の銭を巻き上げられよう。其の
程度なら国が滅ぶ事はないが、欧米の論理はキリスト教圏以外は未文明圏であると言う固定観念を持っている。

此れを滅ぼしてキリスト教に改心させるつもりで此れまで幾多の異文化を破壊し、収奪の限りを尽くして来た前科を持
つ。日本人は英語漬け、洋食、洋服、などで心も体も姿形もすっかり欧米化して、キリスト教の教会で結婚式をするよう
になった。ですから国が滅びるのはもう直ぐです。


さて、本来の「祭政一致」は銭要らずでした。目的が神祭りであればゼニカネの観念は無用でした。その神祭りを米祭
りや銭祭りにすり替えた真犯人が渡来文明()であり、そうした唐風・外圧をテコ(梃子)に日本を支配したのが渡来
政権でした。

)直接戦闘を熱戦、生物兵器による侵略や「地下活動」を冷戦と言い、それ以外のイデオロギーによるものや異文
化破壊を間接侵略と言う。この場合は何れも渡来人が活躍する。

昔から日本の渡来人は律令制など米穀や換金作物によって領地を管理し、石高を税金の目安とし、其れで祭り事を仕
切った。何れも「米」に群がる貴族や寺院など寄生虫的な政治屋たちでした。彼らが米の生産、流通、消費、徴税の仕
組みを作って力で管理したのです。

今は更に、「近代化」の名の下で、ゼニカネ万能、経済至上主義、市場原理による政策が進めらたけれども其れこそ
が問題ばかり生んだ。其れを打開しようと更なる祭政(政教)分離と経済優先主義を続けるならば、問題山積で「百年
河清を待つ」に等しい。

因みにマッカーシズムと吉田内閣以来の祭政(政教)分離とは「キリスト教は治外法権だ」と言う意味である。

日本人は元来、世界一、自然環境重視のエコロジーな暮らしを続けて来た精神性の高い民族でした。例えば江戸中
期の文化文政時代でも自給自足のリサイクル文化が花開いていました。所が先のように明治前後から、「洋風化を進
歩」と錯覚させる「文明開化」が喧伝され、その「文明開化」を縮めた言葉が「文化」と思われた

だが文明と文化とは異質である。大正時代になると文化包丁とか文化住宅が出来たが、「文化的」と思われた事物も
やがては錆び付き、或いはスラム化した。こんなものなら進歩とも発展とも言えず、文化とは別であろう。だが戦後は特
に、伝統文化は全て野蛮とされた。

その代わりに日本を支配したのが英語文明であり、キリスト教の文明や風習、其れにカタカナ語の氾濫である。そして
例えば大阪ナニワの文化は今や「たこ焼き・漫才」とする薄っぺらな意識が蔓延しているが、此れはやればやるほど恥
ずかしい。だから、大阪の地盤沈下は止まらない。

同様に全国各地には公民館に代わって「文化ホール」や「文化センター」なる箱物が雨後の竹の子のように作られた
が、其処は「文化とは芸能だけ」と注入されたお役人が仕切る天下りの場と化して閑古鳥が鳴く。そうした事から文化を
担うべきテレビでもお粗末な芸能、或いはスポーツかグルメの低俗番組の垂れ流しばかりである。

或いは「文化財保護法」が出来て各地に埋蔵文化財が集積された。此処は「文化とは有形の財物だけ」と誤解した結
果、貴重な遺跡を破壊して掘り出したゴミの類を蒐集するだけを文化財行政と勘違いしている始末である。

要するに西洋化に伴ってゴミのようなものが何でもモノカネ主義となった今は、文化が益々曖昧となり、「中身なし」の状
況にある。此れも都市化による文化発展ではなくて精神性の荒廃である。

▲次に「宗教嫌い」と「伝統は野暮臭い」と言う、二つの問題点をもう一度考えて見たい。先ず「宗教嫌い」と言う人は、
本物の道理や宗教を知らない。よってニセ宗教に汚染され易い。例えば、宗教と違う分野でも、渡来信仰家たちは決ま
って、「イギリスではこうだ」とか、「日本は遅れている」と言って来た。

そして、新学説や新製品について、まるで宣教師のように言葉巧みに彼らのイデオロギー(異教性)を代弁し刷り込んで
来たのです。こうした事実について、多くの日本人が無抵抗の側にいるから問題である。

つまり、嫌いな筈の宗教でも、軍服を着た宣教師であるマッカーサーには従ったし、西洋風・舶来崇拝の装いをしてい
れば安心して白人諸国の異教崇拝と、舶来の毛人文明賛美の側に立って、無抵抗で渡来宗教や風習にどっぷり浸か
って汚染されて来ている事実です。

危険として嫌うべきは宗教ではなくて其処まで心身を汚したイデオロギー(異教性)ではないのか。こうして彼らに汚染さ
れれば当然ながら次の、「伝統は野暮臭い」と言う人になり、其の感染者が増えた結果、日本人は殆ど、彼らの言葉を
オウムのように繰り返して他人に吹き込むロボットとなって来た。

更に知識偏重教育や商業宣伝のテレビにより、彼らの意のままに操られる事に何の抵抗力も失って来た。だがそうな
ると、其の程度に逆比例して自分の国の言葉もなくして先祖の力を弱め、また其の程度に逆比例して多くの難問を抱え
る事になるが、此れについては「家制度」で述べる。

「目先の事より過去」・・・・・・・昔に比べると遥かに恵まれた筈の現代。人々には余暇が出来た筈だが、其の分、情
報量も多くなったため肝心な事を忘れて日常茶飯事に翻弄され、大事な人生なのに馬齢を重ねている。だから例えば
人が集まると事ある毎に不平不満を曝け出し、或いは高齢者は自分の病気を自慢し、更に老後の不安を愚痴ります。

でも其れは、目先の事にだけ捉われて物事を判断したからだ。つまり目先の事で判断したため誤って、自分たちが自
ら「今の日本」にした事にまで思いが至らない。原因があるから結果となるものです。此れを因果律と言う。であれば、
今の日本にしたのは、以前にアナタたちがして来た事が良くなかった訳(自業自得)です。

多くの人はこれまで未来に夢を託して頑張って来た。過去を捨てて未来を善とするのが「前向き」論でした。其処に勘違
いがあった。過去に於いて、「次世代は明るくなろう」とした事が、今のような悪質で暗い20〜21世紀にしたのです。つ
まり勘違いした目標に向って走って来た訳です。

不確かな未来を「前向き」論で夢見た結果、こんなに偽装の多い黄泉の社会にしてしまったならば、其れに気づいた今
は、今度こそ是非、振り返る勇気が必要なのではないか。そして其れに気づいたなら、「目先の事より過去」を知り、其
れに学ぶ事がより大切だろう、と言うのです。

過去からは学べるが、目先の事は学ぼうとしても無理だ。現にハイテクを駆使して気象庁は地震や天気を「予知・予
報」しているが、下駄をひっくり返しても50%当たるのに、科学の力では半分も的中出来ないのです。だから今、科学
「不明」の時点で、如何に目先を見ようとも、1ヶ月先の未来さえ推し量る事は到底無理である。

であれば、今の不明をなくす事が大前提であり、そのためには過去を明らかにする事が先ず要件となろう。今の世がカ
オス社会と言われ、行き詰った原因は、「豆が稲になろう」とする無理からだ。日本人は洋服を着るようになったが、だ
からと言って白人や毛人・西洋人になった訳ではない。

其の点の自覚が無いため錯誤、つまり何処かでボタンを掛け違えた事から物事を万事狂わせ、どうして良いのか分ら
ない事が多発するような社会としています。実際、メディアでも「我々は一体何をして来たたのか」と言うような反省の声
を上げるようになって来ました。我々とは日本であり、20世紀であり、自分に置き換えても良いテーマです。

今では「自分が今、何をしているのか」さえ、良く分っていない人が増えた。自分の種、即ちどんな花を咲かせてどんな
実をつけるのかの設計図も使命も知らない。だから問題を此処まで深刻にしています。

とすれば、人は未来や西洋の文物ばかり講釈する教育や俗悪垂れ流しのメディアから判断する前に、もっと確かな、
足元の自分自身の周期(心身の変化)や郷里の先祖の事など、身近な過去から学ぶ事が一杯ある点に気づくべきだ
ろう。現代は「情報化時代」とか、IT化時代と言われるが、其れは「豊かさ、自由」のバロメーターではない。

それらは文化的には貧しさと未熟さに外ならない。どれを見ても、何処で切っても金太郎飴的な紋切り型、或いはコピ
ーや類似の話やあやふやな情報が幾らでも溢れているのは無意味なのです。文化とは芸能でも工芸でもなく、まして
や古墳から出したゴミ(遺物)や目の前の流行でもない。

文化とは歴史に裏打ちされた一貫性ある確かな基準、価値観、言葉や風習である。其の点、日本は世界一の歴史文
化と遺産が残っている有り難い国である、と思うのですが、残念ながら其処で期待される歴史学は何ともお粗末で心細
い。

折角の歴史文献や文部行政があっても、従来の「洋式学理では日本の事は分らない」と此処でまた前言を繰り返して
置く。

■古義に戻る・・・・・・地球の遺産は大自然ですが、人類独自の遺産は歴史文化であろう。自然界に馴染まない「ゴミ」
しか造れなかった今の無明の科学技術゛偽装文明は、遺産となる前に自然の異物としてゴミ増大の側に立っています。

こうなったのは現代人の多くが自然界や歴史文化に無知なために無明なモノカネ拝金主義に傾いたからであり、従っ
て古い文化や伝統には尊敬も感謝も無くしたため、当然の結果として自然界と歴史文化の破壊を続けました。そうして
置いて寧ろ、歴史伝統文化とは逆にある架空の未来に夢を抱き、或いは無縁の海外に目を向けた。

其れが進歩発展と誤認して来た。よって物ばかり追い求めて多くのゴミと問題を山積させた。そうする間にも日本人は
特有の言葉と、「考える」と言う知性を失い、物まね・横並びしかしなくなった。此れは楽な生き方であるがお粗末な人間
にして行く。

そのため一方では、歴史文化が益々見失われ、素質のある優秀な人が、理性も感性も発揮できないとすれば惜しむ
べきであり、そして何よりも懸念するのは世界に類の無い、日本に昔から温存されて来た高度な精神文化が崩壊する
事です。特に日本では古来、太陽中心の文化を形成して来ました。

太陽は四季を決し、昼夜を分かち、方位を定める普遍の指針であり、凡そこの世の全てを決する王者である。所が
今、この日本社会を支配しているのは月と星との黄泉の文明と其の言葉である。つまり何時の間にか、日本は黄砂の
ような無機質の渡来文明にすっぽり覆われてしまった。

今の流行を司っている存在は、媒体であるから主体とは成りえない薄明かりの夜見の神々であり、取り分け「星」は、
物質世界のシンボルであるため、競争と戦争によるスクラップ・アンド・ビルドの世界を絶えず現出させているのです。

其処でどうしてもこれから本書では古今を対比するために現代の諸科学、諸学問、諸政策に異論を唱えたり此れを批
判する形で解説するの已む無き点をご承知置き願いたい。ともあれ此処では太陽の国に元からあったが忘れられつつ
ある日本の古語、大和言葉の中から古義や「ヒジリ」、即ち貴い和式精神文化を解説し、言い残して置く事とする。

尚、暦についての詳細は、別紙の「日読み」(真の太陽暦)、「月読み」(陰陽暦)、及び「星読み」(太陰暦)をご参照下さ
い。



前置きが長くなったが、
次は

いよいよ「日知り」・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
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