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   日知り    改暦の弊害


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■3.古の天文

■古墳の上では色んな祭りが行われた。お葬式は無論の事、その祖先に対して子供の成長を感謝・報告の為に元服
のような儀式を行ったり、婚姻の許しを得るための結婚式ないし、豊饒を予祝する様なマグワイも行われただろう。ま
た太陽観測や豊作の感謝と報告をする新嘗祭も行ったと推測できる。

だが、氏族にとって特に大切な大祭は現代のように人間側の都合で設定した歳時行事ではなく、花粉が飛んで来て其
れをキャッチした時に花弁が閉じるように、これ等の各種の祭りは、古墳が方位で黙示した被葬者の命日に、天と地の
歳時記・方位を合致させるように一定の方式で一連の関係性で設定され、行われて来た。

例えばかつての歴代の天皇の遷宮が其の方式を残していた。

遷宮の原理・・・・・・天皇家は何故2000年の歴史を日本で数えたのか。

此れは世界に比類なき歴史的・文化的偉業である。其れは本文の「歳時記」で示したような祭事の方式、つまり一定の
方位に従って、陵と弔いの寺、其れに対して一対関係となる日迎えの宮を造営すると言う方程式に則り、即位と遷宮に
結びつけた祭り事を続けて来たからに他ならない。

つまり其れが政(祭り事)の原理であり、其の宗家として君臨したから世界に比類ないほど長期間、日本において皇位
を永続出来た。所が今の学問のような政治力学では其れが分からない。政治が武力や経済力を背景にして成立する
と言うような渡来史観や唯物史観を借りて見ては真実が分からないのです。

次は祭りの前提となった古代天文の例を見よう。

御堂の意味・・・・世界四大文明は巨大遺跡を残している。其処に出掛けて見て帰って来た日本人の多くが驚嘆して
土産話にするが此れは巨物崇拝に過ぎない。日本文化は巨物崇拝とは逆の、小型高性能に縮小化する文化であり、
巨物を作らないシンプルライフでした。日本に限らず、古来、巨物・大物に優れたもの・良い作品はなかった。

大きなものは大自然か墳墓だけで良かったのです。其れに、時空が方位で伸縮する事を知っていた日本人はミニチュ
ア化の精神文化を採って来た。其の典型として昔の御堂や神輿が有ります。取り分け天皇の御座所は簡素で質素な
定型の場でした。この事は壮大な城に住む外国の皇帝とは逆でした。

そうした古の御所の姿について関心がある場合、態々京都御所を訪ねなくても、今なお各地に残る一般社寺のお堂を
見れば、古の御所(御殿)の姿を垣間見る事が出来よう。其れはたった1丈四方、つまり方丈の御堂ですが、これこそ
古の御所(みあらか)、つまり古宮の原点を伝えている。

ただ、今のお堂は仏像が安置されていて、賽銭箱を隠すように蔀戸が嵌め込まれている点が違う。本来は仏像とは無
関係でした。御堂のような一定の格式の建築様式が天地を結びつける天文観測の場として建築の基本定式になって
いたのです。

従って簡略の美の極致である御堂や神輿を見て育った日本人は、そうした日本の優れた感性と緻密性から現代のトラ
ンジスターや携帯電話の文化に発展させたと言えよう。従って日本の場合は別の所に新都が出来て、前の町が古都と
なっても全部滅ぼす事はなかった。古都を巨大な瓦礫の山にする事はなかった。

整合性ある広い条里制の跡だけを残した。後の事を考えて新都を造り、其処を発つときは「発つ鳥、跡を濁さぬ」ように
廃材を再活用出来るように定型化した建築をして来たし、元の農地に戻す文化があった。こうした非物質的な感性は
西洋には少ないが東南アジアやメキシコにも有った。


★今の天文学でも分からない・・・・・・・近代天文学は軍事科学だ。


テオティワカンはBC2〜AD6c、つまり日本の弥生から飛鳥時代に掛けて栄えた。其の遺跡の持つ天文学的な意味
が今見直されて毎年の春分の日には150万人が何処からともなく集まって来る。日本人はとうに失ったが、メキシカン
には古代文化を見る目と頭が目覚めていた。其れに対して日本はメキシコよりも先進国と思っているがどんなものか。

日本には遺跡や観光地があっても、世界遺産と言う流行にビジネスを乗っけて拝観料を取る仕組みにしただけではな
いのか。或いはテオティワカンと同じ時代の古墳が日本には30万基も有りながら黒船来航以来、モノカネに幻惑され
てゼニカネ主義となっているため、正しい天文も、宗教の素養もなくした。

其のため町の中に遺跡公園が有っても犬の散歩以外、誰も寄り付かない場所、つまり文化遺産が「猫に小判」となって
いる。国民の学歴が高くなっても文化レベルが低くなったために、そうなったのであり、だから今の天文学でも星の事に
しか関心がない。

何処で切っても金太郎飴のような陳腐な学説や、其れを法則と誤解した暦法になり下がっていては、歴史的文化遺産
に気づく人もなく、宇宙の真実も役に立つ暦法も天文学も存在できない。特に近代天文学は私たち地球にとって最大
の存在である太陽を軽視して星ばかり追っているから問題である。

例えば太陽が核融合で輝いていると解釈しているが、そうではなくて電子プラズマで光っているだけかも知れないの
だ。また米国が05/7/30に「第10番目の惑星を発見」と発表したが、それで完結ではなくて更に次の惑星も発見される
可能性がある。

このように最も身近な太陽系について今の天文学では不明の事柄が多過ぎる中で、無関係な遠大な大宇宙を騙るSF
天文学に変貌し、特にNHKTVでは宇宙創世説、ブラックホール説、宇宙進化論まで如何にも法則でもあるかのように
ドラマチックにSFを刷りこみ吹聴してメシにしている。

法則でないものなら其れ以外の説も同列に論じるべきであるが其れだけに終始している。宇宙の真実がレンズや数字
で分かると思うのは未熟と傲慢さである。しかも装置ばかりで内実がない。無論、精神性など全くない。

天文学は非人間性の軍事に加担して以来、一般人の暮らしには一切役に立つ事がなくなった。それに対して古代天文
学は測天(則天)主義、即ち天体と地上との関係性を重視し、其れに直結して緻密に祭り事を運んだ。天文と政の道理
とに整合性が有ったが故に、天地と連動した祭政一致の道理が広く支持されて来ました。

上天に見える日月は誰が見ても納得が行く誤魔化しの効かない法則であり道理です。従って其れに従った祭りや政治
は首尾一貫した祭り事となって当然でした。所がコペルニクスやガリレオが出て、「地動説」と言う理論によって天地を
逆転させた結果、徒に複雑にして人々の目を惑わし混乱させた。

神の権威や旧式の政は地に落ちて、其れまでの「祭政一致」の道理が排除される事となった。仮に其の彼らの言う地
動説が正しいとしても、人間は誰もが一生の間、地上に生きて住む以上、地から天を見上げるしかない。

其れを逆に、天から地球を見下げて判断するには元々無理があります。この様に彼らは多少の功績があったとは言え
複雑で分かり難くした罪もある。

従って暦や律(度量衡法)など、他の事柄との整合性や方位との関係もなくしました。であれば此れ以上、地動説や天文
学的数字やレンズ式、ロケット式の天文学は不必要だ、と分かって来なければならない。学説・仮説としては地動説が
あっても良いが、実際の暮らしには彼の論理は全く役に立たない代物である。

取り立てて近代天文学の効能を探してみれば、役に立っているのは支配の手段として一部の階層がミサイルを飛ばす
事や人工衛星で他国や自国を監視するシステムに利用された点であろう。とすれば、矢張り彼らは神への冒涜者だっ
た訳であって、決して人類に福音を齎した功労者とは言えなかろう。


4.新旧暦のズレ

明治政府のツミは改暦だけではない。新旧暦のズレを一ヶ月と決めて、各地の寺社の例祭日を月遅れで設定するよう
に行政指導し、無理に従わせた事もある。だから今では例えば旧暦の睦月を今の「一月」と誤認している日本人が殆ど
である。従って神宮暦でさえ市販のものはこうした常識に従ってご親切にも「1月=睦月」と併記している。

こうした事実誤認に無頓着のまま、誤解が常識化して罷り通っています。以来、日本では1ヶ月ズレの新暦によって先
祖の誕生日や命日も分からなくしたのみならず、寺社の縁日もバラバラにした為に庶民の年中行事も文化もバラバラ
に解体した。

だからお正月に春の七草がなく、桃の節句になっても桃はなく、七夕祭りには梅雨で星が見えないと言うカレンダーで
暮らす事に何の矛盾も抵抗もない、腑抜けの日本人にしました。こんな有様では日本文化を理解する事も次世代に伝
える事も無理であるし、伝統的な風俗や文化を破壊する側にいるのではないか。

特に官庁や学校に於いて、「日本の伝統文化」を声高に唱える一方では、正月や七夕と言った旧暦行事を早々に西暦
で済まして片付けようとするのは無神経と言うよりは問題であり危険な感覚です。また民間でも例えば赤穂浪士の討ち
入りを年末の歴史事件と誤解しているので困る。

此れは西暦ではなくて旧暦時代の事件であり、今の暦にすれば1703年の1/30晩〜31未明の事件でした。だから
深々と雪が降ったのだろう。だが史書に、元禄15年12月14日とある事から毎年、年末になるとテレビ各局が競うよう
に決まって「赤穂浪士の討ち入り」シーンを放映するから其の番組の知性を疑う。

今のカトリック暦の年末の時期では東京にも余り雪はない。新旧暦の月日を機械的に数字だけスライドしてしまえばこ
うした誤解の繰り返しが止まらない。それでは歴史を理解する事も、文化や歳時記を理解する事も無理となり、更に日
常の暮らしで四季の変化をも見過ごす事にもなる。

その原因が政府にあるとは思うものの、本来は暦作りの片棒を担いで来た寺社側にも問題がある。此処では例えば秋
に入れば競うように年末の大祓いの、そして歳末前には正月を飛び越して節分の星祭の寄付の案内状を乱発するか
らです。此れでは季節感を自ら破壊する。また其れを許容して来た一般社会ではもう暦に対する関心がなくなった。

そうした日本人の心の隙間に悪乗りしているのがカトリックです。だが西暦(カトリックカレンダー)は自然界に馴染む正
しい暦ではない。しかし其のカトリック暦を煽り立てるようにデパート・スーパー・商店街では秋一番からクリスマスを宣
伝する。

更に11月になるともう年賀葉書の売り出しやカレンダーと賀状・印刷屋の宣伝が始まり、マスコミもスーパーの商戦も
「早い者勝ち」に「クリスマス・歳末お歳暮・正月用品セール」として騒ぎ出す。ですから人々の季節感を益々失わせる結
果とした。

正月までにはまだ外にも色んな行事や季節の催しがあるのに、街中では早々にXマスの飾りつけが始まり、其れ一色
に塗り潰される。だから幼稚園や老人ホームの職員たちがクリスマスには自分たちが休みたいため、職場のクリスマ
スはクリスマスの前週中(必ず事前の別の日)に行うのが恒例化してしまった。

このように今は祭りの意味も実体もなく、その時期にもない、節度もない形式的・お座なりな行事が濫造された。とすれ
ば此れも日本の公序良俗を損なわせる悪弊ではないか。新旧暦のズレと真の和暦の理解をもう少し弁えて見なけれ
ば、日本文化を消滅させ、日本社会の人々の心の中まで見失わせるでしょう。


過去から未来を予測する

歴史家は「歴史は繰り返す」と言う。其処で日本の過去から仮に暦で日本の未来を占うならば、例えば03年の72年前
の昭和六年には茨城県の北部で東西に位置する金砂神社では大祭礼が行われた。其の直後に世界的な大恐慌を迎
え、そして10年後に日本は大東亜戦争で東南アジアを欧米列強から開放したものの大敗北を喫した。

そして今年03年は矢張り世界的な不況とイラクへの米軍侵略の中で1200年も前の大祭礼が再び平穏に行われ(17
回目)て94万人が出たが、祭礼の有る未年を歴史的に見れば、金融恐慌、満州事変、安政の大獄など、大事件が重
なった。とすればこの後は一体何があるのか。

72年後の2075年については分からないが、目の前に有るイラク関係を見ると悲観的になる。「イラクの後は平和が
来るのか」、と言えば次はイランであり、パレスチナやインドネシアが狙われるかも知れない。つまり終わりなき戦いに
突入しただけだ。

彼ら欧米の蛮族は9.11から11年後を目標としてハルマゲドンと言う世界最終戦争を画策して今や秒読みに入った。
つまり此れからは彼らユダヤキリスト教徒だけが生き残りを賭けた戦略で以後の世界を動かして行こうと云う算段で
す。そうした彼ら蛮族・欧米に日本がへつらう姿勢を続けるなら世界は悲観的である。

日本が選ぶべき道は、欧米追従から早く抜け出すか、もしくは袂を分かつ道を選ばない限り、人類に平和はない。だが
既に全滅する事を認識しているかのように彼らの戦争経済化に小泉政権は同調し、与してしまった。

直ぐにも其の間違いに気づいて戦争経済から早く足を洗い、外交無策を改めて貰いたいが此れは無理であろう。従っ
てハルマゲドンで日本も取り返しが付かない事態となる。もし僅かでも、其の後に生き残った日本人があれば、欧米型
ではなく、是非日本本来の祭りの文化で総合活性化を図った古来の知恵に学んで頂くよう期待する。

何れにせよ筆者が再び先の大祭礼を見るのは無理だが、せめて祭り文化を解説して此処に書き残す事にした(以上
の文は03年に書いたものだが、本日06/5/8日になっても殆ど訂正する箇所はない)。


5.「改暦」の弊害

太陽と月とは言わば金と銀であり、星は鉄である。何れも個性的だが人類にとって金銀の価値観は同じではない。
取り分け日本人は此の世を支配する王が太陽と見て、言わば金玉を握る民族として神の道理の元で永く平和を維持し
た。所が飛鳥時代から月の暦を習い、稲作の苦労と戦乱を重ねた。

また遣唐使では大量の黄金を唐に送り、足利義満の対明貿易でも明国に黄金を費やして屑銅銭を買い漁った。戦国
乱世には鉄砲と火薬が欲しかったので、50万の娘を奴隷船に売り渡した。幕末から明治にも大量の小判を銀に替え
た。そして小泉政権は円でドル紙幣や米国債を積み上げた。何れも指導者たちの愚行である。

契約(別項参照)は神とするのが最高です。ユダヤは星の神と契約した。日本人は太陽と契約した。だが此の世を支配
するお日様を既に忘れた為にお日様の力はとうに及ばなくなっていたが、特に明治には金の暦も銀の暦もかなぐり捨
てて富国強兵の為に鉄の暦を採りいれた。星のカトリック式カレンダーにしました。

◆暦法は人々の社会生活上不可欠の原理であり、古今東西「国家の基本」でした。ただ人類の試行錯誤の結果の経
験則の側面もあるが、何れにせよ人類の文化遺産です。其れを時代や権力者が変える事を改暦と言い、年を改める
事を回暦と言い、年号を変える事を改元と言った。

ただ歴史的な視野から多くの改暦の後を見れば、其れは天文科学的な進歩によるよりも何らかの政治的な変革や思
惑による改革に伴って「改正」を標榜すると言う政治的な手段でなされた事が多い。

だから進歩や進化ではなくて「問題」なのである。度量衡法や葬法、そして暦法などは極めて保守的な所に意味がある
のであって、其れを時代の流行や権力者の都合による政治の道具として、朝令暮改で改正・改悪すれば時代を超えて
多数の人民を混乱させ、迷惑を及ぼす。

総じて見れば、改暦の歴史は進歩や社会進化の証拠ではなく、退化を示すものばかりだ。日本には、伝統ある立派な
太陽暦(真の和暦)が古くからあった。其れが文献上は消されているものの、「神々の歳時記」で立証した通り確かに存
在して永年実行されて来た。

だがその後、渡来した旧暦が例えば仏教行事のために使われ、併せて農耕民の封建支配の便法として使われた。た
だ此れ(陰陽暦)にしても中々科学的な一面のある暦法でした。しかしそうした経緯や暦法に無知な明治の元勲たち
は、有ろう事か、日本の気候風土に馴染まない此のキリスト西暦を採用したのである。

しかも其の動機たるや、閏月を前にして、予算の関係で官吏の俸給を一か月分浮かすためであったと言うから驚く。理
屈は後から幾らでも付けられる。西洋列強に追いつき追い越し、或いは足並みを揃える必要からと言う理屈も付けら
れるが、要するに打算とご都合主義によって改悪をしたのです。

突然の天変地異があり、或いは天象に重大な変化が認められて従来の経験則が通用しなくなったなら改暦すべきかも
知れない。或いは天皇の交代と言う事態により、人心の一新を図る狙いから年号を改元する事も前例として何度も有
った。だが打算で強引に洋式モノマネで改暦したと言うのは明治維新の恥ずべき汚点である。

その結果として日本人は、先祖の命日も個性的な町の祭りや歳時記も、一々新旧換算しなければ分からなくなった。
此れでは文化破壊であって、決して「文明開化」とは言えない。明治維新の本質がこの様な恥ずべき軽薄さ、ゼニカネ
主義の愚策で行われた結果、国民をすっかり駄目にしたのではないか。

例えば日本の現行暦を今も「太陽暦」と称しているが、其の実態は太陽の出入り方位を無視した、星(西洋)の太陰暦
(恒星暦)であり、グリニッジに貴方任せのカレンダーです。グリニッジに「右へならへ」するカレンダーですから、作るの
は楽だ。でも其れでは独立国の暦法とは言えないのです。

独立国であろうとなかろうと、古来、暦法の制定と編纂、公布は国家事業の基礎である。其れを怠って他国の暦法を真
似るなどは喩えグローバル化時代となろうとも、採るべき国策ではなかった。前述した通り、洋式(キリスト)暦では例え
ば日本人には馴染みの薄い七陽暦を追った数式カレンダーになっている。

よって都会人も社会人も当然のように方位ではなくて数字や曜日に今や完全支配されている。四季に応じた月日より
も、曜日に偏った「曜日主義」になってしまった。よって、祭りもその他の冠婚葬祭も人々の都合で日曜日に変更するの
が当たり前になろうとしています。

国家的、社会的な公的行事や私的な冠婚葬祭も法事も、仕事の合間の土日に神を呼び出して人が利用する処し方が
世間の常識となった。此れは即ち、主客転倒であり、人の都合に神々を従わせる図式であり、其れでは自らが、物事
の道理を排除した方式の社会にした事になる。

人の質が向上して神の上に立ったのなら問題はないが、其の逆だから恐るべき時代です。例えばペットに人々が支配
される時代になったら貴方は満足出来るだろうか?其れと同じ行為を神様に強いているのが今の日本人です。或いは
羊やネコのように、ある一定の時間や曜日になったら、自動的に餌を与えられるような暮らしが幸福と言うのだろうか。

神を逆様にした結果として其れと同じ状態に今の社会人は嵌められているのです。更に日本人は、大安仏滅と言うよう
な根拠のない六曜迷信、或いは七を完全数と見るキリスト教的七曜タイプのスケジュールに嵌めこまれた。そんな迷信
的常識の横行する現代社会にドップリ浸かり、其れが「文化だ進歩だ」と刷り込まれているのです。

幾つかの既成事実を積み上げて条約とか契約とか約束で固める社会とするのが支配者の手口である。日本文化など
と言っても、茶道にしても華道にしても各流派の約束事であって、本質からはかなり離れているかも知れない。今の政
治も税法も、こうした約束事の積み重ねであり、其れを支配者が教育して国民に押し付けて来たとも言える。

少なくとも何にも正しくなくても改正とした法律で固めても彼らは一切守ろうとはしない。守らせるだけである。何にも進
歩ではないのに進歩したと言って刷り込んで来ました。其の嘘やトリックやマジックに気づいた誰かが異議申し立てしな
ければ其の国は何も良くならない。

例えば実際、殆どの人々が曜日に従って給料を貰うため、曜日を目安に仕事をしたり休むようになっています。しかし
此れは不自然であるし正常な姿ではない。七曜システムでは先ず農業を駄目にした。連続的に循環する自然界を数字
の七でブツブツ切っては月の支配する農業を破壊しました。

そうした星の刃のカレンダーで文化まで切り刻んで破壊する事になりました。それでは当然ながら良い作物は出来ない
ために農業を駄目にし、或いは日本の精神文化を消した訳です。そして第二にはキリスト基準の西洋人に支配される
構図から抜けられない惨めな日本にしました。

こうしたカレンダーでは餌の時間を待つ家畜が自主性も無く飼い殺しのままとなるように、日本人も自分を殺して生きる
事に馴らされる。決して神々しくも人間らしくもなくなったのです。でも実際問題として大方の人はこのレベルで一生を終
わる。ですからこの点の視点がなければ日本文化や歴史を論じる資格が無いとも言える。

実体の無い、曜日と言う架空の観念に支配されていれば、惰性的な習慣は見えても歴史の真実などは掴めない。暦や
方位の視点が無ければ歴史学も考古学も不毛の学問で終始するし、其れでは日本社会は意気地なしの人間で埋ま
り、伝統文化を消し去った代わりに正解の無いカオスに嵌って当然です。

ただ日本人がこうして「迷える子羊たちの世間」となる事を、既に遠い昔に先人たちは見越していたかのように、私たち
に一つの大きな道しるべを残してくれていました。彼ら先人たちは、「子は母の懐に抱かれている時が他の何処よりも
安眠できる」事を知っていた。

だから、迷える子羊の目にも止まるように、山のように大きな古墳と言うメモリアルを残していた。「難しい事は何も求め
ないよ」とでも微笑んで見ているかのように、無数の「道しるべ」を周辺に残してくれた。其れが古墳の軸上に並んだ遺
跡であり、或いは村の年中行事や社寺に伝わる歳時行事でした。

其れが真の太陽暦とピッタリ重なる。だが祭りを排除してモノカネ主義で戦争史、農業史等だけを見たために謎を深め
た(分からなくした)のでしょう。何れにせよ改暦は進歩ではなくて、間接侵略である(月読み2「改暦」を参照)。





■6.考古学では分からない・・・・・・

以下「封印・開封」へ、続く。・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★



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