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  日知り    暦の進化?


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・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 目 次 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

 1.コヨミ
   2.「新暦が進歩」だったのか
     3.古の天文
       4.新旧暦のズレ

 5.「改暦」の弊害
   6.史学では分からない
    7.考古学でも分からない
      8.古の暦盤
       9.方位9.方位
        10.聖が封印した
         11.纏め


●概要・・・・・・日本人は今は幸せですか? 日本は今、欧米風の星の世界に浸っているが、昔は星ではなくて月を祭
り、其の前には太陽を祭って永く平和でした。今がもし不幸であるなら其れは暦法の間違いが原因です。

古来、敵対する国の暦法を改暦させる事は、其の国の故事来歴を不明にして文化を破壊する最大の戦略であり、
接侵略の一つであった。ですから今の日本人のように迂闊にも其れに気付かなければ人を惑わし国を惑わして諸悪
の元凶とする訳です。

其処で本書と別紙の「神々の歳時記」では、太陽を中心に先祖神を祭って幾千年もの世界観を構築して来た日本文化
を解説しながら、同時に少し横道に逸れて、日本から分化して月や星を祭る民族となった経緯、そして其の黄泉の文化
についても対比的に論じる。

其の黄泉(夜見)の国の文化を先進文明と誤認して採り入れた明治政府は、以後インチキ政治とインチキ科学とインチ
キ学問を進める結果となりました。また例えばイラク問題の根源と其の対処法についても「纏め」のページで述べる。

問題の根源は武力や財力よりも暦法にあります。よってこの「暦・方位」のページでは日・月・星の暦の違いを明らかに
した。そして最後にこの「纏め」では、暦法の誤解が原因して諸問題となっている一例を付記する。特に改暦の問題の
一例として赤穂浪士の討ち入りの時期の間違い、それに方位観と天文と暦法の問題について総括する。


1.コヨミ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

■古代天文・・・・・・日本人は太陽信仰だと思われているが其れは昔々の話です。例えば万葉集など古代の歌に天文
がどれほど詠まれていたかについて研究された東京天文台長が05/7/21日のNHKラジオ深夜便で語られていたので
以下に其の大要を紹介する。

・・・・月は潮の満ち干を司るので航海の神でした。或いは旅人は月読みの神の月の光を浴びて夜道を歩いた。月の光
には人を守る呪力があると考えられた。それに対して太陽は恐れ多かった。太陽は天皇が祭る存在でしたから万葉集
にも詠まれていない。太陽については恐れ多くて歌えなかったのです。万葉集には星の歌も無い。

北天に輝く星座は先ず天帝を取り巻く文武百官の星座があるが、其れは朝廷が祭る存在ですから此れも恐れ多い。こ
う言う理由で古来、日本では日月が語られなかったが、万葉の時代から数百年後、沖縄のオモロ草紙(別項を参照)に
は太陽の讃歌が多い。

おもろ草紙・・・・・神を護り讃える意味の琉球古代の歌謡。我国の祝詞や万葉集に比すべき叙事詩。ノロ(祝女)が
神、及び神の子なる自らを歌い、更に天地創世・国王・英傑・宗教・風物などを歌って人民に聞かせたもの。天文元年
から慶長18年までの全22冊に歌数約千五百種を載せている(以上「広辞苑」から引用)。

此れは恐らく世界一の太陽讃歌である。其処には、朝日を「明け上のぼる」と形容するなど、大海原の向こうから日輪の
花が咲きわたる様を讃え、或いは太陽を「天にとよむ大主」とも讃えている。

此処では星についても大らかに歌っている。「お月見」や七夕が日本ほど盛んな国はないが、其れも万葉の後の時代
になって、菅原道真が「月見の宴」を開いたのが「月見」としては最古の記録である。当時の日本は唐風文化が渡来し
た。歌は主に朝廷で詠まれたものですが、月は仏教の「浄土思想」と結びついていた。

よって時代が下がるにつれて「月は綺麗なものだ」と言う様になった。例えば西行法師も取り分け月を愛でて終焉の時
期を「この如月の望月の頃」と予言するように詠った。日本人は満月の後の、「のたの月」をも拝んだ。「たち待ち月」と
か「十六夜」(いざよい)など、日本では月を多様な名前で表現した。

一年中、月を祝ったが、9/13の、十三夜は特に愛でられた。「後の月」とは十三夜の事である(筆者?)。此れは満
月では無くて少し影のある月である。さて、星については平安中期に清少納言が枕草子で「星はスバル」と語っている。
スバルは「むつら星」とも言って今のプレアデス星団の事ですが、彼女はスバルを「綺麗だ」と言った。

また平資すけ盛(壇ノ浦で戦死)の恋人だった右京太夫が嘆き暮らしていた時に、「星がこんなに綺麗だとは・・・」と感動
して歌にしたのがやがて古今和歌集?(905年、紀貫之ほか撰)に載った(注)新古今和歌集(1205年、藤原定家ほ
か撰)。

鎌倉時代になって、やっと勅撰和歌集にも取り上げられたのは女性だから許された。其れを選んだのも従二位ため子
の撰でした。男はしがらみがあって日月星を素直に詠めなかった。従って江戸時代までは厳しかった。七夕は江戸時
代に大いに盛んになって、安藤広重の絵にも街中にたくさんの竹竿が描かれている。

山上憶良が渡唐した時にシナでは七夕が流行っていた。唐では白居易(楽天、846年没)の詩文も流行していた。彼
がそうした唐の風習を持ち帰って七夕の宴を開いた。其れも星の歌を恋歌としたために堂々と歌う事が出来た。月は
朝廷で受け入れられてやがて一般の農事に広まった。そして江戸では町民文化として花開いたのです(以下省略)。

このように誰でも自由に見られた天体が、日本では実は権力に握られていた。日本では天体を司るのは暦を司る天皇
や朝廷の特権事項であったからです。だから近畿圏から離れた沖縄など、別天地だけが太陽や星を観測出来たので
す。無論、もっと遠くの諸外国では古来、権力とは即ち武力支配でした。

でも其処では月や星を祭り、武力や経済力が支配しました。其の点で日本とは全く異質でした。日本の天皇は古来、武
政・力政や経済力ではなく、暦法による統治でした(ヒジリ事典の「鏡」を参照)。


暦法の争奪史

●「日知り事典」や「神々の歳時記」は「物知り博士」の雑学事典に似ていますが、本質的な違いが有ります。雑学集成
(ダイジェスト)版ではなくて本書の場合は視点・主旨(論理)の一貫性です。歴史や暦法と言うのは、知っているだけで
は意味が半分しか分かりません。

歴史や暦法と言うのは、検証し、或いは整合性が確認された場合に意味を成し、役に立つものです。其の点から言え
ば、渡来史観に汚染された今の考古学や魏志倭人伝信奉の歴史ロマンで誤解を刷り込まれた知識は有益ではなくて
有害でさえある。

平和ボケの今の人には分からないが、生きるか死ぬかの選択を迫られた場合には「必死に生きる知恵」としてはぺら
ぺらの紙に書かれた歴史の特にダイジェスト版ではなくて、もっと立体的な現実の故郷とか、神や呪術や本物の哲学
が役に立って来た。其れが真の知恵であり歴史である。

●暦法とか歳時記とは何だったのか。

★日知り事典の「暦・方位」や「神々の歳時記」から色んな事が見えて来た事と思いますが如何でしたか。
大陸は陸続きですから隣国・他国への侵略が容易であり、よって古来戦乱が続いた。例えばBC20cにはアーリア人
がイラン高原などに侵入し、19cにはフリア人がシリアへ侵入した。

17〜14cにはヒッタイトがエジプトからバビロンまで侵入して支配し、次にBC7c頃からアッシリアの時代になったが、
BC4cにはアレキサンダーの大遠征で滅びた。

次はポエニ、マケドニア、シリア戦争でローマ時代となって戦乱が続き、紀元1cにはゴート族が南下、260〜627年に
はローマとペルシャが攻防し続ける中、フン族、ゴート族、アングロ・サクソン族、バンダル族が相次いで侵入し、4c末
には北方からゲルマン民族の大移動があった。続いて6cからはイスラム軍との戦いになる。

繰り返される戦争と蹂躙のため、庶民は常に武力による防衛に頼り、また武力を持つ者が支配者となった。従って政
治の主務は国防だけであった。其の点で我国は一万年間、他国に侵略される事もなく平穏でした。其れは日本が島国
だった事によるが、もう一点は、武力統治ではなくて、神や先祖を祭ると言う祭り事の方式の違いが有った。

ですから日本史は、そうした日本の価値観で見なければ分からない。所が明治以降、アングロサクソン(暗黒作戦)方
式の欧米の価値観を採り入れて、其れが最高権威のアカデミーであるとして、それ以外の見方・学理は一切認めなくな
った。しかし日本人が日本の事を理解するのに大陸の手法を採っては何も分からなくて当然です。

日本で政治をするのにも日本の価値観ではなくて欧米の暗黒方式の価値観であるデモクラシーとか自由平等と言った
イデオロギーで支配した事も大間違いでした。欧米の弱いものが強いものに対抗するためには、宗教と言う違いを超え
て団結する必要から政教分離と言う手法を採る外はなかったが、本当は祭政一致の政治が理想でした。

日本は、そうした祭政一致で何も問題がなかったにも関わらず、GHQの命令で分離させられたのであって、この分離
方式が「進歩したものだ」と刷り込まれて頭から信じるのは明らかに愚かである。

★世界の王族たちと日本の天子との決定的な違いは、西側・蛮族の帝王が武力で制圧・支配したのとは対照的に、日
本の天子・大王は暦を教えた聖であり、其れで祭り事を行った故に次の時代には祭り上げられた。

或いはシナでは天子が其れまでよりも正しい暦(正月と月の変化)を臣下と人民に下布するのが第一の務めでした。
ともあれシナでも日本でもこの暦法の改正と争奪が何度も繰り返されたものの直接戦闘のような武力闘争は日本では
少なかったのです。

武力争奪よりも暦法争奪をしていた事実は、有史以来の改暦の事実からも多少は見えて来るかと思います(実際はも
っと激しい鏡の没収と改鋳、即ち改暦があった)。

日本の場合は有史以来改暦が十回ほどだったが、シナは五十回もして来た。其れは太陽よりも月の変化の方が激し
い事を意味します。しかし何れの改暦も進歩とか発展と言えるものではなく、権力交代の証として、人心一新を図ると言
う大義名分によってなされた「前文化」破壊の弾圧政策や「人心一新」と言う方便でした。

従って東洋の特に日本に於いては武力闘争は少なかったものの、鏡、つまり暦法争奪の歴史がハッきり浮き上がって
来る。日本では旧暦を滅ぼして新暦を敷く事が出来れば、新参の渡来勢力であっても祭り事の総元締めとして君臨す
る事が出来たのです。

ではあったが、円暦、つまり真の太陽暦を捨てるような愚策はしなかった。其れを一般の民衆が個々別々にする事を
許さなかったからでした。その事は、別紙の「神々の歳時記」が、旧暦ではなくてユリウス暦、または現行(グレゴリオと
言うキリスト紀元)暦の月日にも合致する事でご認識頂けると思う。

此れは実に驚くべき事です。日本には確かに旧暦つまり陰陽暦が渡来した。しかし其れは主として仏教寺院や渡来系
の階層、或いは農民によって農事暦として重宝されていたに過ぎなかったのです。ですから国の大事である祭り事には
殆ど使われていなかった。所がどうです。あの明治維新は何だったのか。

「ご維新」による文明開化とは、実はこうした優れた太陽の暦法を完全に無視し破壊した上で、目先の利を求めて物質
主義の洋式、つまりキリスト教世界の星の数式カレンダーに大転換すると言う、事実上「売国的愚策」をした真犯人で
あり、結果として、「もうどうにもならない」現代日本を作った訳である。


2.「新暦が進歩」だったのか

「新暦が進歩だったのか」・・・・・ 古代エジプトの遺物に「テーベの小箱」がある。此れは白金製でした。しかも其れ
は白金の彫刻で見事な装飾を施したものだったが、やがて中世ヨーロッパの煉金術師の時代になると、白金を溶かす
技術がなくなり、白金を「決して溶けず邪魔なゴミ」として捨てるようになった。

こうなったのは、古代エジプトとは敵対関係にあったヒッタイトに鉄があり、戦車を使ってエジプトを滅ぼした事で、元の
住民が居なくなったからである。それから数千年の時代が経った今、近代科学は白金も鋼も自在に作れるので、全て
が進歩したと思って傲慢になっているが其れは過去に無智なる故の自己満足か誤解である。

暦についても日本には旧暦以前に優れた和暦があった。そうは言っても、常識的な見方や学問的な観点では和暦の
存在は否定される。けれども、「神々の歳時記」で見た通り、古の遷宮の方式や神社の例祭を詳細に検証すれば、新
暦(太陽暦と称する)とも渡来の旧暦とも違う、日本独自の暦法によってなされた事が分かる。

其れは古墳時代を見るまでもなく、南北朝の遷宮の時期と場所からも判明するのです。それ以前の日本書紀や古墳
の方位、或いは神社の例祭なども、方位から見れば旧暦の日付とも新暦の暦日とも合致する事例が多い(「神々の歳
時記」で立証している)。

▼「旧暦」の整合性・・・・・・・明治政府は旧暦を廃して西暦と言う一神教的なカレンダーに改暦した。尺貫法もメートル
法に替えて、以後尺貫法の使用を併用または禁止した。だが坪単位で買った土地の上に建物を建てるのは矢張り坪
数で容積を決めるのが慣わしです。何故なら建材のベニヤ板でも畳でも6尺=1.8mを基準としているからです。

体位が2mの日本人がいないのですから此れで十分です。家具も同様に同じ建材から作るのですから、1.8mのコン
パネを1mで切り捨てて作るのは不経済です。そう言う訳で、坪単位で見る方が合理的な面が多いのでグラムとかヘク
タールに馴染む気にもなれない。其のため今は寧ろ尺貫法の実用性が見直されているし、旧暦も復活しつつある。

盆正月も五節句も西暦よりも旧暦のほうが科学的で正しいし実際の暮らしにも季節感にも馴染むからです。色んな文
化が有るのが豊かな文化であり、一神教的一律単体文明の方が実は恐ろしいのです。

★「新暦」の素性・・・・・・・日本で新暦と言えば西暦とされているが、其の実体について述べて見たい。此れは西暦の全
部ではなくて一部のキリスト暦に過ぎない。其の紀元はクリスマス、つまりキリスト降誕の日を元年としてスタートした暦
法とされている。しかも、其の年初である1/1は「聖母マリアの祝日」なのだ。

何れもカトリックの信仰によるものであって、何も「正しい月」の元旦でもなければツイタチ(新月)でもなくて、マリア様か
らスタートすると言うだけの代物です。ですから其の日付が、歴史的な裏づけの有る事実とか科学的な根拠と言えるも
のではない。

キリスト紀元は、6c頃のディオニシウス・エクシグスによって考案されたものであり、其れがヨーロッパで一般に用いら
れたのは8c以降と言う歴史の浅いものだ。しかも彼がキリストの生年推定を行った根拠も曖昧である。

例えば、「キリストは30歳で死んだ」とされる伝承と復活した日付が、ユダヤ暦でニサンの月の15日(日曜日)であり、
ユリウス暦では3/25に当たる、と見た事による。以来、この頃を「過ぎ越しの祭り」(イースター、復活祭)にしたので
あろう。

時期的にはそうであっても年代が違っていた。キリストは前7〜前4年頃に生誕していた事が今では定説化して来たか
らです。因みに「紀元何年」と言う数え方は18cの終わり頃からである。天文学ではJ.カッシーニの1740年以来、紀
元前1年をゼロ年とし、其の前年を前1年と言う表し方にした。

AD1年の前年をBC1年とすれば、紀元を挟んだ期間を計算するのが面倒であるからだ。そうすると例えば前4713年
は−4712年になる。この年の1月1日はユリウス暦の起算日である(「平凡社・百科事典」の「紀年法」より引用)。
とすれば、こんな出鱈目なキリスト紀元暦よりは、旧暦や神武紀元暦の方がよっぽど科学的で文化的ではないのか。

そして凡そ「太陽暦」と言うなら太陽との接点がなければ意味がないが、其の点でキリストの時代は星を基準としたユダ
ヤ暦によっているので、仮に数字上の計算で全46年からのユリウス暦などから算出可能としても、この暦法と太陽の
位置関係が天文学的にどう整合するのかなどは決め手がない。

とすれば、暦法としては無価値とも言える。そして日本が祭政分離の独立国と言うならば、キリストではなくて神武でも
聖徳太子でもなく、太陽の起点である冬至を年の起点とすべきであろう。太陽の起点は冬至であり、月の起点は立春
であり、星の起点は春分である。此れは筆者の思いつきで言っているのではない。

古来世界の各民族は、日、月、星の暦法に従って其の各々の天体の起点や節目毎に祝祭を行って来たのです。

◆正月は3回ある・・・・・・例えば年初については、日本が冬至に元旦を祝った後の立春にはシナでは春節(正月)が
祝われ、その後、春分の後に西洋ではイースター(復活祭)の後に新年度として来た。或いはカトリック以外の欧州では
寧ろ秋分の日を起点に収穫祭を祝い、此処から年初としたし、1日のスタートも夕方から始まっていた。

つまり暦法も、日の出からタイムラグで日没に向かうように設定されていた。だから月星の暦を使う国を古来「夜見の
国」と言った。何れにせよ、こうした「夜見」のカトリックの暦法だけを進歩した西暦と誤認して、日の出から始まる日本
に明治期に導入した結果、以後無用な混乱と不幸を生む事になった。

暦法は数字とか新式への統一が最善と言うものではなくて、昔からの流れを保守する事が最善(大前提)でした。暦法
の原理は、画一化ではなくて、個別の土地に個別の柱を立てる事が原則だった。暦は天-人-地を一体化し、整合させ
る目的のものである。数字ではなくて天の方位を天の時として、人々の約束になり、人を動かした。

作物も四季に応じて生育する。太陽は方位の指針、満月は水と豊穣の神となり、逆に星は満月を嫌った。満月は星影
が弱くなるから月のない暗闇の新月を指折り数えて待ち、逆に最初の月が出た時に叫んだのがカレンダーの語源であ
る。此れが数字式の今のカトリック暦の流れである。

しかし明治の元勲たちは、事も有ろうか、先のような代物(西暦)を持ち込んだのですから実に愚かな事をした。その結
果が今の日本にしたとも言える。

繰り返せば、お正月の元日は冬至に太陽を祭るか、もしくは日本の神様か天皇を祝う日でした。けれどもそれ以来、マ
リア様の日としたのです。今もこのマリア様の縁日にしか過ぎない1/1を元日とか元旦として祝っているが、この日は
天体との位置方位関係も日月とはズレていて一体何のためなのかと問いたい。

しかも2/14は聖バレンタインデー、3/31の「受難の主日」(枝の主日)の翌日の4/1を新年度とし、5/5「復活
節・第四主日」を「子供の日」として祝い、12/25「クリスマス」(主日礼拝)を皆で祝っている。

「日出ずる国」の日本が日没する側の、ヨミの国のイギリスのグリニッジを基準とした数値式天文学的な暦法を導入し
た事は、「トロイの木馬」の愚行と同じであり、此処に以後の日本の苦難と不幸の原点があったと判明するだろう。それ
以外にも問題がある。

例えば其れまでの日本の旧暦と新暦とが大きく違う点は、旧暦は睦月、如月、弥生と言う風に、月単位の暦であった。

それに対して西暦は「七並べ」のように数字を羅列したカレンダーに変えられた事です。此の数詞が何かと言えば、彼
らユダヤ教やカトリック教が、旧約聖書に「神は此の世を7日間で造った」とあるために、全てに七を聖数として被せる
信仰と風習によるものであり、日本が年俸・月給制であるのに対して彼らが週給制を採っているのも其の為です。

日本にも昔から七曜・七福神信仰はあったが、其れは先のカトリックのラッキーセブン信仰とは異質でした。彼らの日
曜日(サンデー)はラテン系では「主の日」、「太陽の日」であり、スラブ系では「復活の日」を意味する。でも日曜日に太
陽が出て月曜日に月が出るとは限らないから天文学的ではなくて観念的な順番に過ぎません。

兎も角、日本人はキリスト教には馴染めない。だから渡来の文物を入れるに際して一緒に伴天連暦を採用しても問題
ない、と信じていたがドッコイそうではなかった。平成時代になって見れば、既に日本は完全にキリスト教圏にどっぷり
浸かってしまったのです。

譬え「政教分離」を建前としていても、其れは政府が改宗した時から国民の修験道と神道をもぎ取り、更に仏教色を排
除してキリスト教の言うがままのカトリック式の祭政一致の政府に一変していたのである。特に敗戦後、朝鮮事変を契
機にNATO(北大西洋条約機構)の一員となった。

共通のライフルの弾一発を貰うためにキリスト教圏に組み込まれたのですから、今からもイラクの次はハルマゲドンへ
と進み、神を装った乱暴者の悪魔である欧米圏の手下として前線に立つ事は確実となった。従って否応なく「平和国
家」のシンボルとして日の丸=「錦の御旗」を悪用されて最も凄惨な目に遭うだろう。

太陽と月は親密であり、日本とアジア、アジアと中東は近い。放って置けば日本は必ずパレスチナ側に付くだろうと心
配する彼ら白人たちにとっては、それでは分が悪くなる。だから彼らは日本を取り込む事に腐心して来たし、実際周到
な計画で其れを実行して来た。

ですから今やっと、多くの有意の人たちが「どうも変な具合になって来た」と心配し出して当然である。其れを危惧する
から本書も黙っていられない。今迫りつつある危機的な世界を破滅から救えるのは日本人の自覚にあると期待するか
らです。

彼らと同じ武器を取って戦うのではなく、日本は本来の太陽暦に気づいて毎日何処かで祭りを続ける事にある。其処か
ら霊的なバリアーを作って日本人と世界人類の精神性を高める事が今最も重要な課題と思うからです。では其の祭り
とは何か。





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