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月読み3  (太陰太陽暦) 

           月読み3


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▲さ

▲さ・・・・・

茶道・・・・・茶の湯。今はチャドウと言うそうだ。此れが日本文化の典型とされ、また花嫁修業の筆頭ともされたが、
本来は呪術でした。今も神社では湯立て神事を鍋釜で行っているが、護摩堂では同じ釜で護摩焚きをして来た。また
其れに湯を入れて茶釜としたのが茶の湯の元である。

しかもその茶室は四畳半と言う広さが基本の和室であるが、此れは元々方丈の御堂(別項参照)の格式である。その
場に於いてご本尊を床の間に掲げ、天文地理の位置関係から五行の理で判断して道具を並べて呪を行った。つまり
図上演習によって修験を試み戦略を練った。

だから花嫁修業ではなく、戦国武将が必須の心得として競って学んだ訳である(「ゾロアスター教」、「御堂」を参照)。

サマータイム・・・・・・時計の針を夏季と冬季ではズラス事。夏季は1〜2時間早め、また冬季は1〜2時間遅く設
定する。こうすれば省エネになるので「温暖化防止」に寄与するでしょう。此れは自然時間に近い方法です。例えば江
戸時代までは四季によって時間が伸縮するアナログ式(自然)時間(不定時法)でした。

つまりサマータイム先進国は大昔から東洋でした。それに対して現代は洋式の機械的な定時法を採っているが、其れ
はエネルギー多消費の浪費社会にしました。暦法でも同様です。其の中で無理にサマータイム制を採ろうとすれば悪
評を買う。

機械文明の暮らしの中では各部屋の時計から電気製品の設定も全て変更するのは無理ですから、実行は中々難し
い。家庭内のみならず官庁も職場も「右へならへ」出来るかどうか。だが今でもドイツではこのサマータイム制を採って
いる。あの機械文明のドイツに於いてさえアナログ方式を大切に保守しているのですから実に立派な心掛けです。

サムシング・グレート・・・・・・・「大自然の不思議な働き」を言う。例えば、大自然や他人への感謝、或いは愛や誠に
満ちた祈りが距離を越えた所にいる他人の病気を治す事がある。祈りの効果が譬え科学的には説明できなくても、統
計的な実数として治った事例は枚挙に暇がない。其の点から米国でさえ見直された。

西洋医学では医療費がアップしたのに病気を増やしたとの反省から既に西洋医学の医療は半数を切り、その代わりに
伝統的な東洋医学や音楽、ハーブ、瞑想、信仰などによる治療が増えてきた(サンケイ03/9/9村上和雄氏の正論よ
り)。

三進法・・・・・・古の数理は今の様な十進法ではなくて三進法だった。円形、または方形を中心点から八等分して其
れをまた細分化して例えば、3×3=9、9×9=81 として行くのである(棟札を参照)。

口分田は3×3=9口、条里制や宮京の設計は81×81=6561、そして金剛界曼荼羅は3×3=9、或いは文字の構
成や和歌の基盤、更に位置天文法による月日時刻の確定や軍事の図上演習の法として囲碁盤のような座標を19×
19=361目、将棋盤は9×9=81枡にした。こうした平面状の方眼を縦(立面)にしたのが御堂の蔀である。

つまり天地の軸としての御堂が原点にあった。何れにせよ、この実証をしようとして仮に現在市販の方眼紙を使えばど
うしても錯誤となるので要注意。

三隣亡・・・・・・暦注の忌み日の一つであり、特に建築などでは経験則として、此れを犯して普請始めや棟上、屋根
葺き等をすれば後日火災となって、向う三軒両隣を亡くす、と言う意味から三隣亡と書かれて来た。この為、地方によ
ってはこの日は田んぼに稲架を立てるのも慎む所もあり、約束事もしてはならないと言われる。

更に三隣亡に対して裏三隣亡の年回りであっても、建築しようとすれば村八分となる所もある。

さて、暦の三隣亡とは、12支の巡りで凶変する日を記しており、其の巡りは例えば、旧暦の一月、四月、七月、十月で
は亥の日、二月、五月、八月、十一月は寅の日、そして三月、六月、九月、十二月は午の日とされる(KK・.神宮館の
「高島暦」から一部引用)。つまり、三ヶ月単位で同じエトが四順する事になります。

▲し

▲・・・・・

四十八・・・・・・・升目(方形)の各辺に「3」を配すれば合わせて12になるが、更に四倍したのが48である。四十八
イロハ48が先ず知られているが、日暦では24節気の倍数であり、月暦では12ケ月の4倍数である。其れに1(定
点)を加えたのが49である。

此処から仏教では阿弥陀四十八誓願に因む、四十八夜の行事や浄土往生を願う巡拝霊場がある外、人の死後を7×
7=49が満中院として数える風習が残る。また聖書に「ヨハネの黙示録」(「★ヨハネ」を参照)があるが、和音でヨハネ
は四十八の事であり、其れを国字では桑の字で示した(因みに「奉」の古字も同数となる)。

桑は養蚕では蚕の餌となる木の葉であるが、桑門と書いてある場合は養蚕所の門ではなくて禅寺の四十八門を意味し
た。四十八は他にも四十八棚、相撲の四十八手、その他、伊呂波歌、いろは坂などと各方面でも使われて来た。また
四十九は弥勒菩薩の四十九院と其れに習っ た堂宇の形式であり、同時に薬師とも重なる(行基を参照)。

従って古い墓所には前6、左右に各14、背面に15基の塔婆を立てる様式で示した。四十九の数は人の死後の中陰
の間の日数(満中陰)をも示し、この日は葬送の日に作った四十九ケの餅を食べる風習も有る。

自然界・・・・・自然とは根、其れに因、つまり種のある地の事であり、よってネイチャーと言う。其処は全てのものを
包容力と根源力によって育て上げる母性であり、母なる大地のハラである。だが現代人は人工的なミドリが広がるのを
見ても「自然がある」とし、稲田や公園で花や葉を見ても此れが自然だと誤解している。

何れにせよ、自然とは根や土であって花や緑ではない。人は木を見ても森を見ず、森を見てもその根っこまで見る人は
ないだろうが、根は人の目に付かない地下で複雑に絡み合って生物とも共存して豊かな生態系を作っている。つまり緑
は土や根っこで支えられていて自然界の基本を維持しているのです。

人の場合の根とは先祖であり、種であり、人の目には見えなくとも血筋や血液として人の身体と言う上部構造を支えて
くれている(別紙の月の暦の「自然界」、「生育サイクル」、「百姓」、「円系図」を参照)。

七十二候・・・・・・・1年を黄径(周天)360度とした場合、此れを24等分して15日づつに分け、数字ではなく円環に配
分して季節感のある熟語で表したものが「二十四節気」である。だが365・366日の太陽暦では各一節気が15.25日と
なります。

其れに対して「七十二候」は、360度を更に五日毎に細分化したものであり、366日の太陽暦では各一候が略六日毎
の季節感を示す事になります。此れにも唐風と和風があり、本暦図では和風を記した。

以下、「広辞苑」によれば、陰暦では五日を一候とし、三候を一気とし、六候を一ヶ月とし、「二十四気」、即ち一年間を
七十二分して時候の変化を文字で示した。例えば旧正月の第一気、「立春」には唐風解凍、蟄虫始振、漁上冰(氷)、第
二気「雨水」に、獺(カワウソ)祭魚、鴻雁北来、草木萌動、とする類い(別紙の図版を参照)。

しかも古代天文の優れた点は、この72は単なる観念ではなく、72×360(太陰暦日)=25920年、即ち太陽が銀河を巡
る周期と知っていたのです(下記のシトミも参照)。

(シトミ)・・・・・・お堂や宮の建物の中に嵌め込まれている建具の一つで沢山の格子目のある板戸の事。従来、こ
の蔀に関する解釈は「日光を遮り、風雨を防ぐための堅牢な建具」とし、或いは泥棒よけと見て来た。だが其れでは、
板戸(雨戸)や唐戸の機能の説明でしかなく、態々手の込んだ格子目の蔀戸にする理由の説明にはならない。

御堂の規模は方丈、つまり10尺立方が定型である。何故かと言えば観測施設だったからです。御堂の壁の高さが10
尺でも床や天井にこの内の1尺を減じるとすれば内陣の天井までの高さが9尺、そして内陣の広さが9尺四方で四畳
半となる。こうした御堂には壁にシトミを嵌めこむ様式と決まっていた。

倉庫でもないのに何故風通しを良くしていたのか。先ず定型の大きさの理由から具体的に見よう。この内陣(四畳半)
の中央(視座)は御堂の庇のラインから5尺、シトミの場所から4.5尺の位置になる。其処から空を観測するにはこの
4.5尺先のシトミを通して、5尺先の庇のライン(虚の時空)をシトミの座標から計る事になる。

例えばシトミの桟の数を基本的に碁盤の筋目と同じ19本×4方=76本とすれば、76年毎に訪れるハレー彗星を其
の都度、同じ桟の目で確認するシステムとなるので天文暦を再確認する事が出来た筈です。

次に桟と桟とが作りだす升目の孔(小窓)の寸法を仮に「1/9尺」とすれば、シトミ一面を使い勝手の良い算盤に出来
たろう。其のサイズを更に細分化するかどうかは対象とする星をどの星に決めるかによる。例えばシトミ戸一面当たり
の桟数は、木星ならば12本、ハレー彗星ならば19本、土星ならば30本の桟を基本として組上げたと推定する。

しかも単なる数合わせではなかった。観測にとっては縦平面にしなければならない。このため桟には態々ホゾを切って
嵌め込んで組上げるものと決めていたのがシトミであり、其れをするのが建具職人の技でした。こうした座標盤があっ
たために寺には鐘があり、其の鐘で定時に時を告げる事で村の役に立つ事となった。

しかし今では其れらが全て忘れられて歴史家は昔にどうして時刻を知ったのか、を知らずに歴史を語り、また暦法家は
古代にはどうして暦法を編んだのか、を知らない。知らずに数字だけ文献だけに頼って解釈した。無論天文関係者は
レンズ主義に陥っているから昔の学問を無知のまま否定してしまうのだろう。無論建築業者も知らない。

建具屋は意味を知らずに組み上げ、全国に何万もの御堂やシトミ戸を持っている寺社も知らずに賽銭箱を置き、また
文化財行政を一手に握る教育委員会も知らずに寺社建築物に助成をして建て替えをしている。参拝者も神仏暦法で
はなくて賽銭箱を拝むのですからゼニカネ主義の結構なご時勢の日本を絵に描いたような縮図が此処にある。 

さて蔀戸の多くは上下二枚になっているが、この上になる部分をハジトミ(半蔀)と言い、この場合は、軒や内天井に予
め蔀戸釣金具を取り付けて置く。そうすると上部を開けた場合に上に蔀を固定出来る仕掛けでした。シトミの外枠を框
かまちで固め、細かい格子を組み込み、此れに地板を張ったものもある。

だがそうしてしまえば防寒の足しにはなっても御堂そのものの意味を殺す事(機能の半減)になる。本来の蔀戸は寧ろ
観測の正確を期すために格子戸を縦平面にして一本溝の「嵌め殺し」として来た。普通の建具は、二本の溝を敷居とし
て其の上を交互に滑らせて引き戸を走らせる構造にしている。

其れに対して、シトミは役目柄其れとは異質な構造にしていたのです。尚、詳しくは別紙の「図説」、及び「星読み」を参
照。

日月星は一昼夜で天を一周して翌日また元に戻る。其れを観測して暦・時を決定する場が御堂であり、昼間は太陽の
南中した時の柱の日影を堂内に導いて印し、また夜間は月星の回座する位置・様子を此のシトミ格子、即ち方眼盤で
捉えた。この為、御堂にはシトミと言う方眼状の格子戸(座標建具)を四面に巡らせていた訳です。

蔀の一面を例えば陰陽暦で図示した90本の桟とした場合は、其の4倍で1年360日の太陰暦に整合する数になる。
しかし、この陰暦や陰陽暦の数理は十進法ではなくて三進法(三進法参照) の応用なので、其れとは別の、一般の方眼
紙と同一視すれば錯覚する。御堂を円暦とすれば1日と1年の比が角度にして1/366となるからです。

其処で先に述べたように一面が19本×4面=76本の桟で組んだシトミの場合はハレー彗星の周期と合致する。つま
りハレー(1656−1742英国)が生まれる遥か以前から日本人はこの彗星をシトミで計って次の出現を予測して暦法
との整合性を確認するために使っていた事が分かる。エト(別項参照)の交替もシトミなくしては出来なかった。

御堂の観測によって暦を作り、干支を設定した。過去の記録や今の暦と整合させていた上、此の彗星が穢れを祓う
「箒星」と見ていた。そうした知見があったのは、御堂の蔀の格式によって古来、聖たちが定点観測して暦と時報を司っ
て来たからである。

シナでは19年の期間を「章」と呼び、そして先の76年の蔀(ボウ)と併せて古来、天文単位の基本数とし、紀元前から
のシナの四分暦とした。略同時期に西洋ではメトン法が出て、やはりこの19を基本に閏月を設定して来たのです。

先の四分暦とは恐らく、御堂(東屋=四阿)の四面に分けて天文と暦を読んだ由来による命名であったろう。何れにせ
よ御堂のある寺社では、こうしたシトミの観測によって桟の目途・目数を計算して天文暦を作り、更に時刻を計り、其れ
によって寺の鐘を衝き、また其れによって周囲の人々が時刻を知った。

シトミが有って鐘を突き、其の合図によって周辺に広がる水田へ限られた水を満遍なく配るために小まめに水利の切
替をして来たのです(「格式」と「御堂」を参照)。

また般若心経は、「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」以下17文字が14行ほど連なり、全文で266文字から成る。此れを
19文字づつ読んで14回唱えるだけの簡単なお経であるが、古いお経なので宗派に拘わらず通用するから有り難い。
さて其の19×14と言う数字が何を意味するかと言えば、御堂のシトミ戸の桟の数と符合するから面白い。

其れに対して碁盤の目の場合は上の19×4方=76である。囲碁はつまりシトミから派生し発展したと言える(碁盤の
目を参照)。

ただ天体は丸い天空を円形に巡る以上、其れを観測する御堂も方形よりは六角や八角のほうが誤差が少ない。円形
ならば尚正確を期す事になる。其の点ではイスラム寺院が円塔であるのは理に適っている訳です。ただシトミの場合は
先の木星と土星のa:12×30=360とするか、もしくはb:四面を28宿と整合させて12の倍数で12月を観測した。

或いはc:ハレー彗星の19×19=76とするかで格子の組み方が違う。abcによって桟の穴の大きさが各々決まった
ので、何れを基準として見度を建てたかが推定できる。早い話が御堂一回りを240目とするか、360目と設定するかで
桟の厚みを一寸とした場合、格子の穴の大きさが5cm〜6.5cmとなる筈です。

こうした尺度を心得ておけば、シトミを壁一面に嵌めこむ必要はない。障子一枚か其の半分の大きさのシトミが三面に
あれば、日常の四季暦と時刻の観測が可能だった筈である。だが日本では湿気が多いので星は見難い。此のためシ
トミの桟を黒く塗った。「黒いシトミ」にしたのは美観ではなくて光の乱反射を避ける工夫でした。

七五三・・・・・・七五三は男児が三歳と五歳、女児が三歳と七歳(何れも数え年)の節目に、子供の成長を祝い、氏
神に感謝の参拝をする行事です。七五三は元々宮中の行事でしたが、中世になって貴族や武家、そして江戸時代にな
って民間でも流行り出した。ただ関西ではこの風習はなく、明治からとも言われる(本項の一部はサンケイより引用)。

其の時期については今は11/15を七五三としているが、本来は旧暦の11/15、つまり霜月仲冬の行事でした。この日
は氏神の収穫祭であり、特に霜月の中の卯の日は新嘗祭でした。因みに11/15を西暦に換算すると2003年は12/8日、
太平洋戦争開戦日になります。

しかし旧暦の11/15日は実は冬至(別項参照)の祭りであり、西暦ならば12/15〜22日に相当する。従って昔は何を
意味したかと言えば、親がわが子を育ててくれた氏神に感謝するためと同時に太陽を祭る御子となるように、或いは感
謝のお礼に宮仕え出来るように、或いは其の為にも無事に育つように宮参りさせた人生儀礼かと思われる。

七曜日・・・・・・神は七日間かかってこの世界を創造したと言うキリスト教的「天地創造」(創世記)の観念による七曜
信仰であり、このため日月火水木金土と単純・機械的に繰り返す今の西暦の基本となっているが、日曜に太陽が出
て、月曜に月が出る訳でもない。七曜を信じる人種の単なる約束事であれば彼らだけが使うのは勝手です。

でも其れを世界の基準として、カレンダーの基本要素とするのは問題であり、天文暦と矛盾するこの様な出鱈目な約束
事を見過ごしている今の日本の常識も狂っている。

シナ・・・・・・不思議な事に、日本人は「シナ」と言う言葉を使う事に抵抗感があるようだが、凡そ中華人民共和国と
言う国名は世界のコンセンサスにはない言葉であり、ましてや昔からそうした国は存在しなかった。

此処は元々月世界で稲作をして栄えた国であるが、其の後に中華思想が強くなり、今では共産党独裁の中国(中華人
民共和国)と称して、五星紅旗を掲げて星族と化し、核兵器とミサイルを持ち、ロケットを打ち上げる国となった。

古来彼らは自ら自国を「支那」と表記して来たが、その意味は、「日本の枝国」を意味するものであり、同時に多民族国
家であるから八岐の国であり、其れを「支那」とし、或いは九州としたのである。そうした事から今も自らの商品には「メ
イド・イン・シナ(チャイナ)」と表示している通り、古今東西で「シナ」を固有名詞とし、其れを誇って来たのです。

▲シナイ山・・・・・・・・月の山。モーゼの山。事典のシナイ山を参照。

シナの食文化・・・・・・シナは92%が漢民族であるが、残りは50余りの少数民族による多民族国である。しかも国
土が広いので、一言に「中国(中華)料理」と言っても、其の中身は多種多様で多彩である。シナを東西南北に分けて
みると、上海料理が魚介類であるとすれば、四川料理は香辛料を中心としたものだ。

例えば麻婆豆腐があり、其れにザー菜などの漬物が美味い。そして広東料理は「食の広東」と言われるだけあって多
彩である。其れに加えて北京料理がある。此処は肉料理だ。
         
四分暦・・・・・・紀元前からシナで採用して来た暦であり、「史記」の解説書によれば、一年を365日と1/4日とした暦
のためそう呼んだと言うが正解ではない。それなら現行太陽暦と基本的に変わらないからだ。この暦法では例えば秦
漢時代は1年を「1章」と言い、19年の4倍、即ち76年を1蔀(ボウ)と呼ぶ。

1蔀(ボウ)は、日の端数が全くなくなり、気と朔が同日・同時刻に復する期間である(「格式」と「蔀」を参照)。そして19年
に7回の閏を置いた。

そうすると12月×19+7月=235月、其れに1月29.5として掛ければ6932.5日となり、一年が365と言う平均値
が出る訳ですが、数字的に理解したのではなくて、実は四分と言い蔀(ボウ)と言い、何れも御堂で四方を平均的に観
測して一年一周を方位から四季に分割して整合した暦法だったが故に四分暦と言ったのだろうと思えます。

霜月・・・・・・今のカレンダーでは西暦の例えば11月には、ご親切にも「霜月」と付記してくれているの多いが、旧暦
の霜月は西暦の12月頃の事である。

自由と平等は欺瞞である・・・・・・今の世、つまりこの月の世界は白く光り輝くロマンのある夢の世界です。ですが、
其の反面には影となる裏面に欺瞞が生まれる。月は裏側(お尻)を決して見せません。ですから例えば自由や平等は
現世の実社会の何処にもない。其れが有るとすれば現実の姿形ではなくて霊的な自由と公平である(円系図を参照)。

所が霊的な公平が現実に人の目には見えない事を良い事にして月の世界では「有り得ない自由や平等」を公然と標榜
したり、また其れを目指そうと叫んでも許される。つまり此処(薄明かりの黄泉の国)には初めから矛盾があり、欺瞞性
が有る訳です。

宿坊・・・・・・出張の僧、または檀徒が利用する寺社の宿泊施設であり、戦乱時代は僧兵の宿舎(僧坊)として拡大し
た。何れにせよ大寺院に付属する塔頭、支院だった。やがて宿坊は時が移り、檀徒を抱えて独立した寺院となる所
や、旅館に転業する所も有った。今は「企業生命50年」と言われる程みな短命であるが、寺社の歴史は長い。

その理由は、ゼニカネとは別の、先祖や宗教関連であるから長命となる。従って宿坊の場合も1300年の歴史を持つ
所がある。

十干・・・・・・南北線を軸として平面上を四方に分け、其の中心を定点とすれば東西・中・南北の五方が決まるので、
その場(中点)を太陽観測の場とし、其処で観測される太陽の位置関係を十干で分けて捉えた。

これは、首座となる御柱を木として、東西南北に対して日が木の上、木の止、日の上、日の止、土の上、土の止、金の
上、金の止、水の上、水の止とし、其れを漢字では甲乙丙丁、戊己庚辛、壬癸としたものであり、其れを二つづつ括り、
「木火土金水」としたのが五行である。またこの五行に木星周期の12倍にしたのが60干支である。

▲宿曜経・・・・・・古代インド仏教で、7曜、9曜、12宮、28(27)宿などの天文学を説いたもの。唐から弘法大師と共
に渡来して密教に伝わったものが平安時代の陰陽師に吉凶の占いとしても使われた。


修正会修二会・・・・・・旧暦時代に、古くは官寺、或いは古寺の例えば東大寺や長谷寺などが正月の元日を何時
に設定するかを決めるための観測の祭り(修法・儀式)でした。やがて日本が西暦となったので、旧正月は西暦の二月
になった事から東大寺では「修正会」を「修二会」、長谷寺では「だだおし」と言うようになった。

東大寺の其れは現在3/12日の「お水取り」が有名である。何れにせよ正月とは正しい月を意味し、其れは新月か満
月でした。所が西暦の正月は何れでもなく、極めて曖昧になっている。其の点、下記の春節は暦法を守り、かつ古式伝
統も守っている。

・・・・・・「明らか」を意味する。古代の暦で19年の事を言い、其れは「蔀シトミ」を参照すれば分かる。また章の字
は、立・日・十と縦に並べた字で、「立つ日を結ぶ」の意味を示している。或いは音の字を十文字の上に置いている。其
れで19の意味も持たせたのは此の暦法に由来したからです。

因みに音の下から土が貫けば「童」の字ですが此れは「目の上に刺青を付けた奴隷」を意味した。つまり観測要員であ
る。因みに音の下に人足を付けたのが「竟」であるが、此れは何か女性が膝で立ったような肢体的な漢字ですが、実は
「日が走る」事を印す「境目」を示す意味から、鏡や境の字にも付けられた。

天文観測のための鏡には幾何学文様があり、其れは方位と暦の境目を意味したからです。

正月春節・・・・・・シナのお正月。西暦では普通、お正月が節分の頃になるので此の春節を「旧暦の正月」と言う。
2004年の春節(元日)は例外的に1/22、06年も1/29日となった。此れを西暦の元日から見れば、確かに春節は「毎年変
動する」正月に見えるが、逆に月暦、つまり陰陽暦から見れば、西暦の元日の意味こそ「いい加減」である。

シナの春節は西暦の立春前後の新月である。この日を基点に端午や他の節日も実に科学的に決められる。従って潅
仏会(釈迦の生誕日)やお盆など、仏教行事も当然、西暦ではなく、この陰陽暦で行わなければ意味を失う。古代シナ
では12人の天皇氏が王位に就いた木徳の時代、木星が寅インの方位にある歳を紀元とした(「史記」)。

此れが節分・立春の正月であり、12周期のエトのスタートとなった。またシナの昔話として、昔、「年」と言う怪獣がいて
農作物を荒らしたが、赤色や火を嫌ったので今でも家には赤い紙を張ったり赤提灯を点し、街角では爆竹を鳴らしたり
花火を揚げて追い払う。その紙には「来福」の字を逆に書き、フータオと読む。

タオは倒れるの意味であり、福をひっくり返して貼れば、「福が来る」事になる。つまり縁起担ぎである(後半部は2004/1
/17、NHKラジオ第一から引用)。因みにタオは道、つまり道教の事でもあった。

▲東南アジアの正月・・・・・・・同じ正月でも国によって新月を基準とする暦法と満月を基準とする国とでは凡そ2週間
違って来ます。05/3/5のNHK「ラジオ深夜便」によれば、05年の場合、中国の春節(お正月)は2/9、小正月は2/2
3。満月なので団子を食べます。ベトナムのテト(お正月)も中国の暦を使って2/9に行われた。

ベトナムでは歳末にお寺回りをします。元日と2日は親族への挨拶。3日は上司へ挨拶に行きます。商店街も閉まって
いるので外人旅行者は居心地が悪い。テトでは梅の一種の花が咲くかどうかで其の年を占う。ラオスではお釈迦様の
誕生日が正月の元日なので05年は4月(ソンクラーンを参照)です。其の時は「水掛け祭り」となります。

メコン川の上流にあるルアンプラバンはお寺の多い街なので、数百人のお坊さんがオレンジ色の僧衣を着て行列して
托鉢に回るのが壮観です。メコン川の下流がベトナムのホーチミン市(旧サイゴン市)です。ただバリ島のお正月はヒン
ズー暦で行われる。今年は3月です。フヒと言う仮装パレードが有ります。

大掛かりな獅子舞のようなドラゴンが練り歩く(引用以上)。

師走・・・・・・旧暦の十二月であるが、西の十二月=師走ではなく、師走は寧ろ今の正月頃である。

新月・・・・・・新月の晩は月の出ない夜であり、其の分、星が輝く。従って毎月の一日を月例祭として星次祭をする神
社ではこの様な暗闇の晩に星祭りをして来ました。また先の春節やタイのソンクラーン(水掛け祭り)も、実は新月から
始まる星の暦である。月を祭るなら本来は満月の祭りでした。

しかし満月では星にとっては影が薄くなる。其れに対して、新月には月光がないから星が倍して輝く。ただ、星は闘争の
シンボルです。こうした闇夜には放火事件が増加すると言うデータを京都市西京消防署が04/6/15に発表した。

既に米国ではバイオタイド(生物学的潮汐)理論として、「月の引力によって、人間の体内水分に潮汐作用が働き、行
動感情に影響する」と言い、また92年には兵庫県警交通企画課が、交通事故との関係を分析して話題となった(「半
月」を参照)。また07/4/17日は旧暦3/1日であり、タイではソンクラーン。

米国では米バージニア工科大学で起きた拳銃乱射事件で32人が射殺された(米国時間では4/16日)、日本では4/17
日に長崎市長が銃撃で倒れた。

新月の作用・・・・・・樹木の場合、満月には木の上まで水を吸い上げ、逆に新月には水を根っこに戻す。作物は肥
料でのみ生育するものではなくて、この様に月の引力による月の恵みである。例えば新月に種を蒔いて満月に刈り取
る。其の原則に沿って農業を営めば滋味豊かで美味な生り物を常に収穫出来る。

但し、「月夜の蟹」は身が少ないと言われるように地下のもの、水中のものは新月の時に膨らむ。大根など、根菜類も
満月ではなくて新月の収穫が良い。また材木の伐採や植木の剪定も新月の頃にすべきである。其の頃には水分が少
ないので植木や材木を痛めず、重さも軽いので運搬も楽である。

近代科学は箱物を造って大量生産・大量ゴミを作ったり、金肥(化学肥料)によって農業をして此れを進歩発展と自画
自賛して来たが、悉く失敗した。それと違って月神の理は魂を入れて内部から膨らませると言う素晴らしいシステムを
時間を掛けて完成していた訳です。

しかし今の科学は此の「月読み」を知らない西洋式スピード機械カラクリ式観念を科学と誤解した事により「仏造って魂
入れず」の幼稚でお粗末なものにしている。


人日・・・・・・旧暦1/7の節句。この日の天候によって、一年間の一般人事、即ち人間界の動きを占った。

△▲▽▼△△☆★□■○●

▲す
▲す・・・・・
▲スツーパ・・・・・・・卒塔婆。意味は「五行」を参照。




▲せ  以下、次ページへ  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

●暦の理解には数字よりも円暦が大切です。もし手元に円暦がない場合は、冬至を基準に366/360の比率で現行月
日を366方位に換算する事も可能ですが、其の実物(拡大図)を希望される方は「メール」などでご注文下さい。


尚、参考文献は巻末 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
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または・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・  ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

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