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日読み3 (真太陽暦 3) 解説     

             日読み3


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此処では「円暦、日読み、日知り暦、日見の暦、真太陽暦、鬼暦」とも言う。

・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★

●シ
   
時空・・・・・・・時間は時計で知る事が出来ますし、カレンダーを見れば1年の月日も知る事が出来ますが、其れは約
束事を見ただけに過ぎないのですから、時間や暦を知った事にはならない。ましてや空間は譬え巻尺で計っても中々
計測できません。そもそも時間と空間は一体不可分の容積のような存在です。

従って時間が認識できれば時空が掌握できます。所が直線的・平面的・機械的な時間は無い。其れをその様にあると
仮定して認識するのが現代文明です。従ってどうしても抽象的で核心にまで迫れない。そのような架空の概念を此処で
述べるのは無理ですが、観念的には今の世間に時間や空間は存在する。

ただ観念的な時空観か或いは抽象的・人為的な数値です。其れに対して本来の時間とは固有の種によって個別の生
命エネルギーの渦として存在するが、それは個別に異なる。今の物質科学の基本は、多種多様の自然を無視して、万
物を一律に規定する科学が支配した。

ただ機械的な1時間で全ての存在を仮に一律に規定しても其れで理解できた事にはならなかった。先の渦にしても、其
れは数字ではなくて方位との一体関係で空間と共に一定期間存在する。其の個別の種を固有の方位で位置づけなけ
れば実在を誤認します。そんな事より現代文明は結果を急ぐスピード追求の文明です。

よって万物を一定の機械的な時間で割り出して優劣を決めようとした。或いは物の重さに時間を乗じてエネルギーを算
出しようとしたのが物性物理の基本でした。しかし時間は時空の一部であり、時空全体を捉えるものではないので、時
間で見比べて見ても、表層的理解に終始してしまう。

だから今の学理や科学では個別の本質や本当の真理を何も理解できなかった。

子午線・・・・・地軸を中心に北極と南極とを結んでグリニッジから人為的に細分化したラインである。太陽の黄道では
なくて赤道と直交するラインである点に注意を要する(星読みを参照)。

(シトミ)・・・・・・別紙の「月読み」で解説。

七十二候・・・・・・・1年を黄径(周天)360度とした場合、此れを24等分して15日づつに分け、数字ではなく円環に
配置して季節感のある熟語で表したものが「二十四節気」である。このため365・366日の太陽暦では各一節気が1
5.25日となります。

其れに対して「七十二候」は、360度を更に五日毎に細分化したものであり、366日の太陽暦では各一候が略六日毎
の季節感を示す事になります。此れにも唐風と和風があり、本暦図では和風を記す事になる。

以下、「広辞苑」によれば、陰暦では五日を一候とし、三候を一気とし、六候を一ヶ月とし、「二十四気」、即ち一年間を
七十二分して時候の変化を文字で示した。例えば正月の第一気、「立春」には唐風解凍、蟄虫始振、漁上冰(氷)、第二
気「雨水」に、獺(カワウソ)祭魚、鴻雁北来、草木萌動、とする類い・・・・とある(別紙の図版を参照)。

及び「シトミ」「太陽の公転周期」を参照。

シナの歴史・・・・・・今は中国から日本に「歴史認識」が問われるし、また彼等は一口で「中国4000年の歴史」と言う
が、此処に中国と言う国は元々存在した事はなかった。

此処は各時代、色んな国が混在したので自ら「支エダグニ」と称し、其れを今は自らの商品をメイドイン「チャイナ」とも表
示している訳ですし、その歴史についても、「18史略」を見ても、竹ノ内文書を見ても、古くなるほどシナの国の王は日
本の天皇からの枝分かれだった。と言う事は、「シナは日本の支(えだ)国であった」と歴史認識すべきではないか。

●シバ・・・・・・・古の時間単位。暦法で云う「新たな一日」を「アラカ」と言い、其れを観測する場、つまり「見る場」をミア
ラカと云い、漢字では「殿」と書いた。其処で確認した時間を「シバ」と云った。北上地方では志波(しわ)の地名を残し、
其の神を関東では香取と言う。香取とは「日取り」である。

またインドのヒンズー教にも時を司るシバ神があり、日本の岩倉信仰の名残を止めている。
   
磁北・・・・・・・真北、正北、GPS北、図北、磁北・・・・・など、日本には各種の北が有るので誤解と混乱を生んでい
る。しかも其れを正確に解説する文化がなくなった為に曖昧な基準となっている。特に東京国立天文台では正北と言う
概念を使っているが、其の定義をしていないので混乱の元を作っているとも言える。

また日本の磁北は偏角が数度以上ある外、近くに鉄製品や建物があれば、磁針がソッチを指してしまうため、方位の
指針とするには問題外であり、玩具でしかない。因みにコンパスの磁針が示す偏角(西偏)は旭川で9.45、礼文島9.
00、日本橋では6.50、大阪城6.40、種子島5.44である(何れも度・分)。

そうすると5度のズレでは5km先で575mズレるし、10km先では1.1kmのズレ、20km先では2.2km狂うため
に、目標とは全く違った所に行ってしまうのです。ただ、気学や家相学では磁北主義であるが、コンパスは夜でも室内
でも簡便に使えますから注意して使えば問題ないのでしょう。

次に磁気嵐は太陽が磁気に作用するものですが、磁気は月の作用ですから月性の生物には磁気が絡む。だから占い
には磁気から読むのが適しており、其処に幾許かの経験則を加味して占えば当たるのでしょう。

周期律・・・・・・好況と不況との景気循環は略何年単位で繰り返すのかとか、次の地震は何時またやって来るのか
と言う話について、世間では常に関心が持たれるし、其れに応じて色んな予測から講釈され、具体的な数字で示され
る。だがその数字は一つの信仰から観念的なパターンで出されるので注意すべきです。

周期とはリズムや波、即ち、渦が一回りする時間であり、其れを日月星などの内、どれを基準とするかで世界観が違っ
て来る。例えば日周運動は一日単位であり、エトは十二であり、月は略30日で循環する。また竹の場合は20年、60
年、200年の周期があるが、其の違いは竹の種類で異なる。ネズミと象の心臓の鼓動も大差が有ります。

しかも鼓動などは運動によって回数が大きく変動するので平均値を出しても目安にしかなりません。要するに何れが正
しく何れが真理であるとも言えない面がある。更にその単位は、本来は方位と言う基準から出て来る数字であるなら目
安ともなるが、世間にデマわる諸説は、数詞に魔力とか「数霊」でもあるかの如く言う。

特に激しいのが欧米の7、つまりラッキーセブン信仰である。7だけが完全数であり、七曜で繰り返すカレンダーを作っ
た。この様に数字そのものを強調して説いたり、或いは其の数で「数の論理」にしてしまうから予測にならない。更に日
本人は四を死、九を苦と見て忌み嫌う性向がある。

だが、これも根拠に乏しい言霊迷信であるから占いの根拠にしてはならない。其処で別紙の「ヒジリ事典」で各数字・数
詞の意味を「周期律」の根拠、天体との絡みから略説する(「周期律」を参照)。尚、一般の言う周期律は此れとは違っ
て物理化学の「元素周期律(表)」を言う。

春分・秋分ライン・・・・・・東西線。彼岸ラインを参照。

祝祭日休日・・・・・・戦後の日本人は、祝祭休日はバカンスとレジャーに勤しむ日、と勘違いしているが、言うまでも
なく、この日は仕事を捨てて神を祝い祭る日と言うのが世界の常識です。所が、日本では祝祭日が粗製乱造・乱発さ
れ、巷間では「また連休か」、と嘆く人も多い状況です。

此れは、「日本人の働きすぎ」に対するILOの「就労の機会均等」を看板とした外圧と、其れに悪乗りした人々の権利意
識の高まりと、其れに従ったお上の政治的配慮、つまり「民主化」を標榜するお上のサービス精神、かも知れない。

だが其れに尚も悪乗りして、官公庁や学校、銀行などが仕事を休む日が多くなっただけで大多数の国民にとっては迷
惑この上ない愚政であり、更に労組は人件費をシナの10倍にまで高くした。要するに今の祝祭休日は文化破壊とコスト
アップの弊害を未来にまで残す事だろう。

十干・・・・・・南北線を軸として平面上を四方に区画し、其の中心を定点とすれば五方が決まるので、その場を太陽
観測の場とし、其処で観測される太陽の位置を十干とした。先ず中心に一本の木(御柱)を立てた。此の木を基準とし
て東西南北に対して日が木の上、木の止、日の上、日の止、土の上、土の止、金の上、金の止、水の上、水の止とし、

其れを漢字では甲乙丙丁、戊己庚辛、壬癸としたものであり、其れを二つづつ括り、「木火土金水」としたのが五行であ
る。またこの五行に木星周期の12倍としたのが60干支である。ただ此れらを渡来学者が「全て大陸から渡来した」と吹
聴して来たので今は逆に理解されている。

正午・・・・・・・古来、正午は太陽の南中した瞬間である。所が今の日本標準時は星を基準とした英国のグリニッジに
合わせたものであるから此れと一致しない(「真北」を参照)。

真太陽暦・・・・・・・暦法と天文とは古来、一体不可分の関係式であり、其れは方位から確認して来た。太陽は万古
不易の方位の神であり、狂うことは無かった。暦法と方位とは電界と磁界のように一体不離の関係であり、数字ではな
い。特に太陽暦は古今東西に通じる万年暦であり、方位を基準として地理と整合させたものでした。

別紙に掲げた366円暦が真の太陽暦である(冒頭の図版を参照)。

其れに対して明治に渡来の新暦(西暦)はカトリック暦であり、太陽ではなくて恒星カレンダーである。しかも西暦は数
字式です。しかし譬え数字が閏を計算する上で太陽の周期と合致しても、天文方位とズレてくれば暦とは言えない。従
って其れでは単に今の西洋風カトリック社会の一時的な約束事とか流行にしか過ぎない。

ですから今の西暦は近未来にまた改暦される宿命の暦であり、歴史まで混乱させる。

新暦(キリスト暦)・・・・・日本の現行暦は「太陽暦」と称しているが、其の実態は太陽の出入り方位を無視し、しかも
星を基準とした太陰暦であり、太陽の日数に合わせた恒星暦です。また日本人には馴染みの無い七陽暦を追った数
字カレンダーになっている。よって正しい月を意味する「正月」も天の月の巡りとは何ら整合しない。

にも拘わらず都会人も社会人も当然のように方位ではなくて数字や曜日に支配されていて、日本の神を祭る祭りにも
太陽ではなくてそうした星の巡りに従わせ、或いは人の都合で神々を従わせる祭りの図式にしています。此の事から現
代社会は冠婚葬祭も法事も仕事の合間にする処し方が常識となった。

日本人は西暦の曜日に従って仕事をしたり休んでいるが、此れは正常な姿ではない。此れでは先ず、月の支配する作
物の生育を星のカレンダーでブツブツ切って破壊する農事となり、農業を駄目にしたし、第二には西洋人に支配される
構造式から抜けられなくしました。其の上、仏滅・大安と言う六曜迷信で冠婚葬祭をするのが日本の常識としている。

こうしたカレンダーでは餌の時間を待つ家畜が自主性も無く飼い殺しで生きる目安と同列であり、人間的な暮らしとか
日本的で文化的な仕事や暮らしとは到底言えないのです。
  
●ス

ストーンサークル・・・・・・・事典の同項を参照。

ストーンヘンジ・・・・・・・イギリスにある4000年前の石造遺跡。ケルトが使ったと言う事でドルイド教徒が今でも夏
至に此処で儀式を行う。ケルト族はローマ人がイギリスに入って来る以前からイギリスにいた民族である。

ストーンヘンジでは地平線から夏至の太陽が出るが、4000年前とは1/2度ズレているとして今回、考古学者たちが発泡
スチロールで巨石の模型を作って復元をした上で、強烈なライトを照射して夏至の再現を試みた。その結果は夏至の
日の出よりも冬至の日没の方が劇的だった。

ヨーロッパの教会建築も此の感動を儀式に採り入れていた。冬至の日没する方位に祭壇を組んでいたのです。またス
トーンヘンジでは意味不明の石が一つあった。此れは19年に一度、月が最も南に来るときにピッタリ一致した(閏月の
設定に使える)。また此の遺跡の中央で音を発すると共鳴する事が分かった。

しかも音響の変化が入り口に入った人に集中する仕掛けになっていた(06/6/14のNHK教育TVより引用)。


●セ

生死の意味・・・・・・・魂は不滅であり、人の生死は魂の成実(肉体化)と幽体化(肉体の消滅)である。ただ一般的
には誕生、即ち肉体化の事を「魂の再生」とも言い、其の最後の死去(薨去・逝去・卒去)についてはあの世への「往
生」(帰幽・入寂)とも言う。別の言い方をすれば、息をしているかどうかで生死の別を言うだけであり、魂は不滅です。

何れにせよ、この様に魂は固有の方位でこの世とあの世を行き来しながら、川の流れのように連綿と生命活動を続け
て歴史を繋いで来ました。其れを円暦から確認するには、円暦を地図の上に広げて、誕生地(または終焉の地)に円
暦の中心点を合わせてピンで止める。

其処から誕生日(または命日)の暦・方位に定規を当てれば、固有の月日と逆の月日とのラインが(固有の角度)として
現れます。其のラインの中に固有の先祖に所縁の地が見つかるものです。但し先祖は単数ではなくて別紙の「円系図」
の通り倍数・複数で多数存在する。

其の先祖たちの中に、誕生日(または命日)が一致する方が見つかれば、この固有の生命・人格は、その先祖の生ま
れ変わりと判明するものの、暦日が一致しない場合は、先祖調査が少ない場合、もしくは夭折・水子など、系図や戸籍
の表面に出ていない霊体である。其れがありながら今は忘れられているだけと考えられます。

他方、死去の場合は生前に一番楽しかった所や気になる方位に魂が遊離し、其処から自分の肉体に再び戻れなかっ
た事であり、其れが固有の命日・方位として示される。

西暦(キリスト暦)・・・・・日本で明治五年に採用したと言う「西暦」とはキリスト紀元暦です。西暦と言っても実はキリ
スト教の暦の外にも色々(注)あるのだから、正確にはキリスト紀元暦と言うべきです。

でもそう言えば、政教分離を謳った政府が自ら憲法違反を犯している事がハッキリしてしまうので、「新暦=太陽暦=
西暦」として誤魔化しているともとれる(上記の「新暦」を参照)。

(注)西洋では、エジプト(エチオピア)暦のほか、(1)ユダヤ暦、(2)フリーメーソン暦、AL、光の暦、又はルシファー
暦、なるものが使われており、其の内のAL(フリーメーソンが使用する、ルシファー)暦では、今年は6003年となる。遡っ
て行けば古代シュメールである。

さてキリスト暦は紀元前と紀元後とをBC.AD.で記すが、前者はbefore Christ(キリスト前)であり、後者(紀元)は 
Anno Domini(神の年)である。しかもこの年にキリストが生まれたと言うのは科学的な証拠がある訳ではなく、歴史
的に見てもキリストはBC.4〜7年に生まれてAD.26〜30年に磔刑となっている。

従って彼がAD.元年の12/25日のクリスマスに降誕(誕生日)したと言うのは極めて怪しく曖昧であり、単なる信仰によ
るものと分かる。しかもこのキリスト暦の年初は「マリア様の祝日」としての1/1からスタートするのである。

更に、こうした暦を作ったのはキリストの時代ではなく、カトリックのローマ教皇・グレゴリオ13世が1582年になって制定
したと言うのであり、何処から見ても暦法としては代物である。日本人はグレゴリオ暦の4年に一度の置閏法を礼賛す
るが、其れは違う。オリンピックが前766年、ゼウスの祭典で始まったものである。

要するに何れも方位ではなく数字式にした。其れに比べて歴史の古い日本には正しい天文方位暦が有った。しかし其
れを知らずに舶来信仰でニセのカトリック暦にスリ替えたのは大失敗だった。しかも今なお日本人は大化の改新は645
年6/14とし、其れを歴史家が当時まだ存在しなかったグレゴリオ暦に換算して見ようとするなら滑稽だ。

世界暦・・・・・・・古代世界は太陽暦だった。しかしやがて月の時代となり、今も殆どが陰陽暦を使っている。其れに対
して西暦が取って代わろうとしているが、此れはローカルのユダヤキリスト村の約束事でしかないし、譬え太陽暦と言っ
ても偽物であり世界暦とするには無理がある(西暦を参照)。

遷宮の原理・・・・・・・・・「遷宮」の前に先ず述べて置けば、神を祭る場、即ち座(祭壇)を遷す事を遷座と言い、そ
の場が宮であれば遷宮と言う。

遷宮に対してもう1つ、今でも伊勢神宮その他の神社で20年に一度とか一定の期間で建替える場合に此れも「遷宮と
言うが、本来の意味から言えば其れらは単なる建替えであり、造替遷宮もしくは遷座であり、それに伴って座を動かす
事を動座と言う。

また、天皇の宮、即ち皇居を遷す場合、其れに伴って、京域も新都にそっくり移し変える事を「遷都」と言った。だが、諸
外国が武力による統一支配のために新たに計画した城壁を廻らした所を新都としたのとは違って、日本の場合は祭り
のための遷都が新たな歴史文化の節目を形成して来た。

それが歴代天皇の「一代一宮制」であり、其処から新しい年号に変わった。日本の歴史文化はこうした度重なる遷宮に
よって変化し、人心も改まった。例えば遷都に近いものまで含めて言えば、近くは東京、江戸、京都、桃山、安土、室
町、鎌倉と言う地域に政治の中枢を移動した事が其の時代特有の歴史を作った。

無論、歴史は年号によっても変わって来たが、現実に宮古や幕府の位置を還す事で「人心の一新」を果たして来たとも
云える。もっと遡って平安以前の遷宮を見れば、伝統的な一定の法則性の基でなされて来た。其れは人間のご都合に
よる都市計画ではなくて、天地人の理法による祭り事でした。

所が、史家や考古学者はこの遷宮と言う国事行為の意味についてさえ、信教に無知なため何も知らない。なので明快
な説明責任を果たせなかったし、多少解説したものでも西洋式、または経済支配と言う渡来史観によって誤解による
偏見で仮説を垂れて来た。

よって此処ではその原理を明かすために其の具体例として別紙の「神々の歳時記」で逐一述べた上で実証した。遷宮
はつまり、この円暦が底辺に原理として存在していた訳です。何故其れをしたかと言えば、先帝の弔いと日迎えのため
の祭りが次の天皇の祭り事であった。祭政一致の前提に有った為に即位のたびに繰り返し継承された。

先帝の祭り事・日嗣をした方が次の天皇となった。このため歴代天皇の多くが元の皇宮から新宮へ遷る「遷宮」と言う
国事行為を繰り返した。また其の天皇が去って時代が変わってもこの行事が其の地元で継続されて、今も一般神社の
祭り行事として継承されている訳です。

●ソ

●ソーラー・・・・・・・太陽。
●ソウル・・・・・・・韓国の首都・ソウルSeoul。1393年に李朝の太祖が都とした。旧名は京城。

●タ 

太陽・・・・・・・・天文学では太陽をガス体であると言い、水素とヘリウムが核融合反応活動をしていて強い磁場に覆
われ、しかも其の磁場が動いて様々な現象を見せていると解釈している。表面温度が6000℃、一部が4500℃で、其の
4500℃の部分が他より低いので黒点として見える。

太陽表面はフレア、プロミネンス、コロナと言う現象も見せている。フレアによって数千度のエネルギーを放出する。ま
たプロミネンスの輪は、磁場から離れた所に起こる。そしてコロナは数百万度である。太陽は太陽風と言う風を太陽系
のバリアとして吹き上げているので、其の一部を地球では極地のオーロラとして見ている。

日光は凡そ8分で地球に届くが、太陽は11年周期で活動が活発化します。黒点の数の極大極小の波があるのです。
もっと大きな波もあって、例えば17cには極端に減った。此れをマウンダー極小期と言う。またそれが巨木の年輪から
も分かる。或いはニュートリノの観測からも研究が進められている(05/11/21のNHK教育TVより引用)。

太陽系・・・・・・英語ではソーラーシステムと言う。太陽の周りに5〜8ヶの惑星(星読みを参照)を持つグループ。月な
ど衛星の数は32ヶ。其れに無数の小惑星、彗星、流星を含む。これ等は太陽の引力圏と認識されているが、無論仮
説に過ぎない(電子圏かも知れない)。因みに太陽の自転方向と惑星の公転方向とは一致している。

太陽系の成因については星の遭遇、星雲、ガス星雲、隕石、磁場、塵渦動など諸説あるがこれ等は全て仮説である。
なので「日知り」からも仮説を提示して置く。

太陽は父ではなくて彦である(譲りの仮説)----今までは「太陽が父であり、太陽から地球が生成した」と見られている
が実はそれも怪しい。物事は大きさから比較して論じられる事が多いが、その関係性は大きさでは分らないものであ
る。

別紙の「図説1」の「円系図」の「譲り」の事実関係から類推すれば、太陽系と言うマクロも、原子核(電子殻)などのミクロ
の関係も共通の相似性があって、其れは世代交代により位置を交代すると言う関係性になっている。その方式で見れ
ば、太陽は地球の彦星とも言える。

地球が先ず金星を生み、金星がやがて水星を生んだ。そして水星が太陽を生んだ結果として今は大きく成長した。従
って太陽の父である水星が現在の惑星軌道に入り、金星は更にその立場を子たちに譲って、その周りを巡る祖父の
軌道に移り、地球は更に其の外側の曽祖父の位置関係を巡る惑星軌道に入った事になる。

今の太陽は確かに大きい。祖父から孫を見たり、曽祖父から彦を見れば確かに眩しいほど輝いて見える。しかし太陽
は現在位置から飛躍するだけの力もなく、ただ無数の惑星(先祖)たちに見守られているのである。


太陽系・外惑星・・・・・・太陽系の外惑星は現時点で100ヶ以上見つかっている。

太陽黒点数・・・・・・略11年周期の波で増減する。地球にとって太陽は一番影響の大きな存在です。特に太陽の
活動周期が地上に強く影響を及ぼす。増大すれば磁気嵐によって無線に障害がおこるが、日本の景気循環も黒点数
の増減によって好況と不況とを繰り返して来た。

所で地球温暖化の一番の原因はCO2とされているが、実は太陽の四季(別項参照)と黒点数の増加である。太陽活
動が活発になれば日本人の精神性が高まり、景気も良くなるが、ただ今の日本は生憎欧米(星の世界)の後追いを始
めたので必ずしも当て嵌らなくなって来た。

因みに1989〜2002年までの黒点数を見れば、157〜142〜145〜94〜54〜29〜17〜8〜21〜64〜93〜119〜110〜104
であり、03年が63に低下し、04年には45くらいまで急落し、05年は更に低下した。

其れに対して景気の山は86〜91年がバブル景気、93〜97年が横這い、99〜00年がITバブルと言われ、00〜04年に僅
かに景気回復となったが其の後は冷え込むでしょう(「景気」を参照)。04年には日本で「好景気」と言われながら経済
格差が大きくなり、実は先進国の中で、第3位の貧困国になった。

今後はバブルの時のように黒点数が高い波に上る事もなく、小波ですから日本経済の活性化もない。05年は黒点数が
鍋底にあるのに政府が好景気を発表した。実際原油高から株価上昇となったが、其れは国内経済の実態ではない。

外国のファンドマネーの行き場がなくて原油や東京市場に流れ込み、或いは中国の好景気の余波が来ているに過ぎな
い。太陽を祭るべき日本の政治が星条旗を掲げる米国に隷属した為です。星の経済と月の中国依存で息を繋ぐだけ
の日本になっているため経済発展も文化的発展もない。

日本が其処から脱するには「ヨミ」ではなく、太陽の恩恵を受けて物から心、知性への転換をしなければ飛躍出来ない
だろう。ともあれ地球に四季があるように銀河を巡る太陽にも先の四季があり、約2.5〜2.6万年で一巡する。太陽の軌
道は近年、うお座から水瓶座に入った。

つまりその夏に向かって軌道を走っているので年々熱さが増し、其れに比例して水不足が問題化している。此れまでの
魚座の時代には全身が浸かるほど水か多かったのに対して、水瓶座とはコップ一杯の水が宝となり、水を争う時代を
示唆したものであろう。

因みに例年、「天文年鑑」などで黒点数のデータを発表していたが、07年からのデータはなくなった。其処でNOAA(アメ
リカ海洋大気圏局)等が発表している太陽黒点数を見る。2007年の初めから0になる日が多く、特に10月〜12月にか
けて無黒点になる日が長期間続いた。

だから好景気は嘘となり、08年初には原油高・円高・株安と云う大波乱となった。数年後の11-13年に黒点数が再びピ
ークとなろう。その頃の日本は、モノカネ主義の好況ではなく是非、精神性の文化的な高揚にシフトしたいものである。
尚、日毎、月毎の黒点数はhttp://swc.nict.go.jp/sunspot/「宇宙天気情報センター」を参照。

太陽神・・・・・・・日神を参照。

「太陽の石」・・・・・・・アステカはメシカと言い、此れは「太陽の民」を意味し、今のメキシコの国名の由来となった。
「太陽の石」は、別名「アステカの暦石」と言う、重さ約24トン、直径3.6mある。アズテク文明の宇宙観と見られている
が、中心に太陽神の顔、周りに四つの方形図が有り、外側には二十の枡と八方とを刻んでいる。

今仮にその意味の解釈をすれば、四つの方形は四方・四季、そして八方を区分する角が大きく刻まれている。此れは
暦法の基本形を示したものである。ただ二十の枡は1ヶ月を20日としたとされるものの何とも言えない。其の外環に1
2ヶの紋様も有るからです。

次に120°の角度の中に12ヶのマスがあるので全体として1/36、つまり360°を配分している。一説に1ヶ月に20
日、1年を260日としたとの説があるが、そうではないと分かる。1年を365日としたが、残る5日余りを八方の方位に
厳密にすり合わせて、調節して四季の何処かに配分する暦法を石に刻んで示したものと思われる。

太陽の公転周期・軌道半径・・・・・・・オールトは太陽周辺の恒星の固有運動を統計的に処理し、銀河系回転説を
実証した。さらに、リンドブラッドやシャプレーが行なっていた「銀河系の中心は射手座方向5万光年のところにある」と
いう計算結果を3万光年であると訂正した。

太陽と銀河系中心との距離は、現在もこのオールトによる値が使われている。また、太陽の公転周期が約2万2500年
であること、銀河系の全質量が太陽のおよそ1000億倍であること、恒星の公転周期は銀河系中心に近いほど短いこと
などを明らかにした(星読みの「銀河系」を参照)。

或いは銀河系の中心を廻る1回転(公転周期)が2.2×10の8乗、つまり22000年とも言われるが、既に古代からプラトン
年(別項参照)では72×360=25920年としていたのです。つまり此れは1年360日と言う基準で見た場合であり、1年365
日として計算すれば70.6×365=25800年となるに違いない。


太陽の1年?・・・・・・・旧約聖書に「初めに言葉ありき」とあるユダヤ・キリスト教的な解釈による進化論全盛時代の
我国では宇宙が147億年前に突然のビッグバーンによって瞬時に誕生したと解釈している。其れに対して此処で異論を
挟んでは笑われよう。だがあの聖書の話よりも今の常識で分かる話をして見たい。

人の誕生も瞬時ではない。10月10日と言う妊娠期間を経て生まれる。人生80年とすれば其の1%の時間を誕生までに
要するのである。ただこの様に素人がお粗末な憶測だけ述べては落語にもならないが、余りにも遠い存在だからと進
化論を鵜呑みにしていては今後に差し支えるので一応の見解を申して置く。

此の世はニュートンの万有引力やケプラーの法則で成り立っているのではなくて、其れ以前の大昔から因果律(別項
参照)と相似性で成り立っている。だから昔の論理で見よう。天文学者は宇宙や銀河やブラックホールについて見て来
たように詳しく語るが、吾々にとって最も身近な太陽の1年、つまり軌道半径について分かっているのだろうか。

計算方法やハッキリとした数値を明示したものが見つからないのだ。つまり解説の多くは憶測に空論を重ねているもの
が多い。其処で素人でこの種の問題にも苦手な筆者だが一応の計算を試みたい。相似性とは人がノミを見て、もっと
大きな象まで比例的に想像出来るように仕組んだ神々の設定である。

素粒子や分子と言ったミクロから銀河や宇宙と言ったマクロまで、此の相似関係で凡その説明がつくように例外なく仕
組んである。素粒子物理学者がプランク定数と言う物差を使って宇宙のビッグバンから太陽まで解釈しているのだか
ら、同じ手法を採っても非論理的とは言えない。

だが私たちにはミクロの世界が中々見えないので確認しようがない。ただノミから象を比例的に計算する事は可能で
す。同様に、イキナリ進化論的宇宙論を信じる前に、地球と太陽の規模の比較から其の先を想像するほうが妥当な所
に落ち着く筈である。

例えば4kgの猫の寿命が仮に8年として、其れに対する人類が50kgで100年の寿命とすれば肉のkg当たりのエネルギ
ーの寿命は平均2年となる。こう言えば、太目の方は得した気分になるだろうか。序にネズミや象も比べてみよう。白鼠
は100gで2年6ヶ月、人類(世界中)は仮に60kgで60年とする。インド象は70年、アフリカゾウは6.5トンで175年である。

キロ当たりの肉の寿命は各々ネズミ30年、人類1年、象は長生きのように見えても実は0.027年となる。とすれば期待外
れ。つまり小さな動物ほど生命効率が高い事になる。次は比重の問題も有るが末尾で述べる。
次に天文定数として一応一般書にも地球や太陽の概要が公表されているので覗いて見よう。

地球の重さを1として他の惑星を見れば海王星は17倍あるようだ。軌道半径は地球の約30倍である。また太陽の直径
は地球の109倍、体積は130万倍、重さが約33.3万倍とされる。所が太陽の軌道半径はまだ分からない。其処で比例的


1(地球の重さ):17(海王星の重さ)に対して1(地球の軌道半径):30(海王星の軌道半径)となり、此の質量:場の比を
とすれば、地球の30/17=1.8倍の場を海王星が廻っている事になる。其処で次に地球と太陽の対比にの係数を掛
けて見よう。

1(地球の重さ):33万倍(太陽の重さ)=6378km(地球の軌道半径):Xkm(太陽の軌道半径)
と計算すれば1:33万倍=6378km:Xkm=1Xkm:33万倍×6378kmとなる。
よって1Xkm=210474万倍kmとなる。此れに先の1.8倍を乗ずると378853万倍kmkmとなる。

恒星(太陽)と惑星の立場の違いを一応無視するとすれば、此れが太陽の凡その軌道半径となる。其処で次に地球の
一年に対して、太陽の一年を推し量って見れば、上記の378853万倍kmkm/6378km=59.4万倍km/年となる。

とすればプラトン年(2.6万年、次項の「太陽の四季」)とは22.8倍もの差となるので矛盾となり、筆者の計算には何処か
間違いがある事になる。例えば比重である。水は1だが木は水に浮くので0.75位であろう。木は其れで7-8000年の樹齢
を重ねて縄文杉と呼ばれる。比重が軽ければ樹齢8000年の実績となるのかも知れない。

其の点で太陽の平均密度が今の常識では1.41で比重が0.256倍と算出されているが、実は核燃料やヘリウムではなく
て、もっと軽い、電子やプラズマの状態にあるのではないか。こう考えて太陽の重さが33万倍ではなくて仮に1.44万倍と
すれば

6378×1.44万倍km×1.8=16531万倍kmkm/6378km=2.592万倍km/年となる。実にご都合主義の途中経過の計
算で申し訳ないが、此の後は読者の今後のスタディに残す。


太陽の四季・・・・・・・地球に四季があるように太陽にも四季が有る。地球から見た太陽の方位は四季に応じて
日々変化するが、其のパターンは何万年も不変です。このため真の太陽暦なら万年暦となるが、星座の流れは年々変
化する。其れは太陽が銀河(天の川)の四季を流れて行くからです。

星座は機械的に一定速度で移動するように見えても年々数十秒づつズレて、2160年で其の位置が30°も移動してし
まう(下記の72を参照)。よって日本ではエトとして歳星を追い、西洋では12星座を観測しながらズレを修正して来た。
そのための施設が聖堂や御堂でした。

御堂には格子状の建具であるシトミが填められているが、此れは単なる格子や建具ではなく、四周を観測する場として
設定されたものでした(御堂、シトミ、庚申を参照)。従って古来、シトミを蔀(ボウ)とする天文単位として使って来まし
た。此れによって天極に対する黄道12宮と12星座の角度を各々30°に分割した。

従って30×72=2160年として此れを天文単位で1蔀(ボウ)と呼んだ。太陽の一年(四季)は地球の25920年に相当す
る。此の為一年を5日刻みに等分したものを72候とした。

さて古来、茨城と熊本では大祭礼と言う祭りを毎年春と秋に続けて来た。此れは冬至と夏至の日の出と日の入りに当
たる方位に位置する日立と熊本(日尻=肥後)で繰り返して来たものです。此の祭りは、銀河を回る太陽の一年を知っ
ていたからと推定出来ます。

ギリシャでは太陽の四季(周期)をプラトン年と呼んだが、無論、彼が発明したのではなくてそれ以前から此の祭りはそ
れを知っていた事になります。


太陽の表面温度・・・・・・太陽の表面温度は一般に5780度と言われるものの、計算方式によって諸説あるので、こ
の数字は信頼できない。他にもスペクトルによる分析、或いはドップラー効果による推測も有るが、何れも仮説に過ぎ
ない。


太陽暦・・・・・・太陽は天に1つの明快な指標である。だから日本は古来、お日様を暦とした。其処から太陽信仰の
お国柄と言われる。此れは世界的に例外的な信仰である。信仰と言うよりも言わば太陽暦の発祥地であったと見られ
るが其処まで言えばかなり反論があろう。

と言うのは、日本人自身が今のグレゴリオ暦だけが最も進化した太陽暦であると刷り込まれて来たからです。西暦につ
いては後述するが、古代日本に太陽暦が存在した事は無数の古墳からも実証できる。先ず墳墓の示す方角が命日を
黙示していた。

無論、此れも今の考古学では否定されるけれども、記紀の天皇の命日と関係する古墳の角度が今の太陽暦の暦日・
方位とピッタリ重なるからです。それを円暦で確認出来る事例が余りにも多い。よって日本の古太陽暦は数字式の今
風の暦法ではなくて方位暦だったと略断言できる。

以上は、ウイキペディア・フリー百科事典http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6#.E6.9A.A6.E6.B3.95への投稿文。

日本人は明白な太陽を暦としたものの、其れは定住によって観測しなければならい。それに対して月や星は夜間に移
動しながらでもカレンダーや天文時計として役に立った。海外では遊牧の暮らしであり、定住し難い為、定点観測しなか
った。定住したくても大陸は陸続きですから外敵の侵入が度々有って散り散りに追われた。

よって定点観測の記録やノウハウが伝わらなかった筈であり、此のため月や星をカレンダーとする習慣となった。凡そ
暦は天体との整合性が不可欠であり、それがあって人々の合意形成が出来た。此の世で不変の存在は太陽であり、
それ以外は使えない。よって古来太陽が方位を決する唯一の基準でした。

此の太陽の基準とした方位は万年不変ですが、月や星を基準にすれば変化が多くて始末に負えない。其れは分かっ
ていても大陸性の宿命として星や月のカレンダーを踏襲する外はなかった。だが其れでは科学ではなくて算術暦であ
り、若しくは習慣性の暦である。星座の位置は年々ズレるのも承知の上で、便宜的・宗教的に使う外はなかった。

2000年も其の儘にすれば30度もズレてしまう為に、西洋から遥々、「今日は何の日なのか」と日本に尋ねに来た筈であ
る。そうしなければ月や星や宗教や彼らだけでは混乱が治まらないからである。所が肝心の日本人は其のような恒星
暦・グレゴリオ暦を今は「太陽暦だ」と誤解している。だが、そう思い込んでいるのは日本人だけである。

恒星を基準に太陽を区切って例えば1年と言う場合も365日以下、小数点で表示するため無理がある。如何に正確に
数字化しても厳密には年々変わるのです。其れに対して昔の日本の場合は、置閏法などの数字よりも方位に厳格でし
た。だから今も残る日本の古墳が各々別々の方角で各々の命日を明示して個性を伝えている。

伝えているから、其れを方位で今の暦に逆算出来るのです。更に言えば西暦の場合は現実に、7曜単位で日が出たり
月が出たりしているかどうか。其の矛盾を隠している西暦とはかなりいかがわしい暦法である。西洋には多くの暦法が
あり、グレゴリオ暦は其の一部の暦法に過ぎず歴史も浅く、
恒星を基準としたカトリック暦に過ぎない。

一年が365日である事は、西暦以前の古代エジプトの時代から知られていたのであって、別にこのカトリック暦だけが
一番進歩した暦法とは言えないのです。其の明確な矛盾を無視して西洋では数字と言う人類にだけしか通用しない算
術式七曜観念を約束事として世界に広めた。此れはもう科学的でも天文学的でもなくて、法則でもない。

単に度重なる武力攻撃と宗教によって広めた約束事であって政治的・宗教的な行為や取引による所産であり暦として
は幼稚な代物・偽物です。言わば妥協の産物であるため、以後度々修正し続ける宿命を負った。そうなるとどうなる
か。閏日、閏秒などの問題から修正や改暦を迫られて、歴史を不明にしますので、既に前文化・他文化破壊をした。

無論今後も其れは続く。以上から見ただけでもグレゴリオ暦は欠陥品であり、即刻廃止すべきです。だが一部キリスト
教圏で支持され、それを約束事として押し付け、コンピューターによるグローバル支配化を押し進めている今の短期間
だけは生きながらえるのでしょう。


太陽暦の日数・・・・・・ヒジリ掲示板から「学校の宿題で・・・ 」 @ユリウス暦およびグレゴリオ暦では一年は何日と
されているか。A実際の一年は何日であるとされているか・・・というのが出ているのですが、Aが全くわかりません。

◆回答・・・筆者は「日数よりも方位との整合性を問題とせよ」と言う立場なので、この種の日数問題には答える立場で
はないため残念ながらご質問に正解が出せません。因みにユリウス暦はB.C.4712/1/1日から数えた通日ですから、1
年を区切ろうとする日数問題には無関係で数字のみ追うものとなります。

また1600年以後はグレゴリオ暦を対照して使う事になっているようです。次に太陽暦の日数の内で、太陽年=365.
24219日、恒星年=365.25636日、近点年=365.2596日が天文定数として理科年表に載っています。以上、http://sky.
geocities.jp/onia22000/page026.html

■七夕・・・・・・七夕はシナ渡来の伝説と見られるが、「古語拾遺」には天照大神が天棚機姫にミソ(神衣)、即ち和衣(ニ
ギタへ)織りを命じた、とあるので、神代以来の日本の古事と言えるかも知れない。

垂し(タラシ)・・・・・・古代天皇の和名には大垂彦(景行)とか稚足彦(成務)など、タラシの和名のつく天皇名が多い。
このタラシは、それまで個別になされて来た天文暦を廃棄させて別の新暦に従わせた天皇を意味したものである。

タラシは新暦へ改暦させる事によって日本の祭り事の統一支配を狙った天皇名であり、其れまで各地で自由に使われ
ていたモヒトリ(玉串)の祭式や日鏡を没収ないし破棄させたものである。現在、多くの古墳から割れた鏡が出土するの
も其処から出して再び使われる事のないように破鏡させた事を如実に示している。

また各地の神社では今も鏡をご神体として奉る所が多いが、其の様式は決まってブラ下げるか立てかけている事もそ
のタラシの名残りであり、それは即ち天皇家への全面降伏の形を示したものである。

鏡は本来、水準器としてお皿のように使うものであって、それを垂らしたりブラ下げては全く無意味であり、今見るように
お尻を出してノッペラボーのミラーの面をピカピカさせて飾っていては全く無意味です。そうさせたのが無論この「タラシ」
の仕業でした。 

端午の節句・・・・・・「立夏」を参照。





●チ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 以下、次ページへ


・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・●○◎□◇◇◆□■△▲▽▼☆★

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