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   日知り   陵資料室

            天皇皇居・命日・陵

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当室は以下、陵と古墳の方位・暦日関係照合資料になっています。 ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★ 
      
    

●概要・・・・・・・「日知り事典」では太陽を中心に先祖を祭って来た幾千年もの日本の世界観と、更に別の月や星を祭
る他の民族も対比しながら、渡来文化の汚染の問題を論じた。

特に明治以後のインチキ政治(科学と学問も同じ)が出来た経緯から最後の纏めでは今抱える諸問題やイラク問題の
根源と其の対処法についても触れた。さて此処では天皇陵の資料と其れ以外の古墳の方位、及びインチキ科学学問
の中の史学、編年考古学についても少し触れる。


天皇皇居・命日・陵 ・・・ ・・・ 歴代天皇の皇居と崩御日、及び陵の対照資料

●以下のデータは古事記や日本書紀その他から抽出した記事に若干の補足をしたものです。所で不思議な事に、「記
紀」と言うと日本の歴史家たちは「官制の歴史書」とか皇国史観の極みと見てその内容を疑って来た。そうした偏見か
ら神武天皇の存在などは先ず否定し、其の上で勝手な推測を加えて歴史を否定し、或いは違った風に断定した。

元の内容を検証する努力もせずに、ひたすら外典である魏志倭人伝を尊崇し、もしくは西洋史観やモノカネ主義での
み記紀の内容を歪めて解説するのが学問的と自尊して憚らなかった。

暦法についても同様に、「渡来暦以前に暦法なし」との偏見で断定した上、命日や方位についての見識もなく、さりとて
別の角度から深く探求する研究姿勢もないまま拙速にも説話文学的な語り部に終始して来ました。でもそうした状態で
は残念と言うより学徒としては失格者であろう。いやGHQによって自虐史観を刷り込まれたからである。

何れにせよ、記紀が嘘を書いたものかどうかは以下の点を検証すれば判明する。例えばその内容として、天皇の崩御
の日付と場所が記されているので、其れに対して上記の陵の位置関係を重ね合わせると言う、「三点合一の立証」によ
って虚実が判明する。

更に、別紙の「神々の歳時記」で記した遷宮の追跡から史書にはなかった暦法の実像が浮き出て来るでしょうから、こ
うした全体の整合性を鋭意で見ながら歴史を検証すれば、日本にあった素晴らしい歴史の実体を必ず再確認出来る
筈です。

尚、各天皇については、其の命日に当たる月日(新旧暦・ユリウス暦などで日付が前後する)を元に、先の「神々の歳
時記」を開けば、各天皇の皇居(宮)と陵の暦・方位関係、または祭礼が判明するようにして有ります(まだ一部しか出
来ていない為、逐次書き加えて行く予定です)。



・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・(摘 要)・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

順位番号/漢風天皇名/和号/宮号(皇居名)/古事記の陵/日本書紀の陵/延喜式その他の陵//崩御年月日/旧暦/ユ
リウス暦/グレゴリオ暦//実年月日・・・・・・・の順。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 記紀・要約 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 


01神武天皇/狭野尊・神倭磐余彦尊/畝傍橿原宮/御陵在・畝火山之北方白檮尾上也/畝傍山東北陵/畝傍山東北
陵/神武76/3/11////


02綏靖天皇/神ぬな川耳尊/葛城高丘宮/御陵在・衝田岡也/桃花鳥田丘上陵/桃花鳥田丘上陵//綏靖33/5/10
/前549//別に安寧1(前548)10/11とする記事もあるが此れは壽祭か。


03安寧天皇/磯城津彦玉手看尊/片塩浮穴宮/御陵在・畝火山之美富登也/畝傍山南御陰井上陵/畝傍山西南御陰
井上陵////安寧38/12/6/前511//


04懿徳天皇/大日本ひこすきとも尊/軽曲峡宮/御陵在・畝火山之真内名子谷上也/畝傍山南纎沙谿上陵/畝傍山南
纎沙溪上陵//懿徳34
/9/8/前477//


05孝昭天皇/観松彦かえしね尊/掖上池心宮/御陵在・掖上博多山上陵/掖上博多山上陵/掖上博多山上陵///孝昭
83/8/5/前393///


06孝安天皇/日本足彦郁押人尊/室秋津島宮/御陵在・玉手岡上也/玉手丘上陵/玉手丘上陵////孝昭102/1/
9///


07孝霊天皇/大日本根子彦太に尊/黒田廬戸宮/御陵在・片岡馬坂上也/片岡馬坂陵/片岡馬坂陵////孝霊76/2
/8///


08孝元天皇/大日本根子彦国索尊/軽境原宮/御陵在・劔池之中岡上也/劔池嶋上陵/劔池嶋上陵///孝元/57/9
/2/前158//


09開化天皇/稚日本根子彦大日日尊/春日率川宮/御陵在・伊邪河之坂上也/春日率川坂本陵/春日率川坂本陵//
//開化60/4/9/西暦前98//


10祟神天皇/ミマキ入彦五十にえ尊/磯城瑞籬宮/御陵在・山辺道勾之岡上也/山辺道上陵/山辺道上陵////祟神/
68/12/壬子5/西暦前30//


11垂仁天皇/活目尊・活目入彦五十さち尊/纏向珠城宮/御陵在・菅原之御立野中也/菅原伏見陵/菅原伏見東陵//
//垂仁/99/7/14/西暦紀元70//


12景行天皇/大たらし彦おしろ別尊/纏向日代宮・志賀高穴穂宮/御陵在・山辺道上也/山辺道上陵/山辺道上陵///
/景行60/11/7または14/紀元130//


13成務天皇/わかたらし彦尊/志賀高穴穂宮/御陵在・沙紀之多他那美也/倭国狭城盾列陵/狭城盾列池後陵////
成務60/6/11/紀元190/


14仲哀天皇/タラシ仲彦尊//角鹿笥飯宮(越前)・穴門豊浦宮(長門)・筑紫香椎宮(筑前橿日宮)/御陵在・河内之恵賀
之長江也/河内国・長野陵/恵我長野西陵////仲哀9/2/6/西暦200//

神功皇后/息長足姫命//磐余若桜宮///////////摂政69年4/17//西暦269///


15応神天皇/誉田別尊・胎中天皇/軽島豊明宮・難波大隈宮///御陵在・川内恵賀之裳伏岡也//恵我裳伏崗陵////
応神41/2/15/西暦310//


16仁徳天皇/大さざき尊・難波天皇/難波高津宮/御陵在・毛受之耳原也/百舌鳥野陵/百舌鳥耳原中陵////仁徳87
1/16/399///

==磐之媛命(仁徳皇后)仁徳35(347)6月内

17履中天皇/大えのいざほ別尊/磐余稚櫻宮/御陵在・毛受也/百舌鳥耳原陵/百舌鳥耳原南陵////     履中6
3/15////


18反正天皇/タジヒノ瑞歯別尊/丹比柴籬宮(河内)/御陵在・毛受野也/耳原陵/百舌鳥耳原北陵////      反正
5/1/23///
但し、古事記諸本に「丁丑七月崩」の註があるものの、此れもまた1/23の命日の対極の祭りの事かも知れない。


19允恭天皇/お朝津まわくごの宿禰尊/遠飛鳥宮/御陵在・河内之恵賀長枝也/河内長野陵/恵我長野北陵////允恭
42/1/戊子14/453/2/8-2/9


20安康天皇/穴穂の尊/石上穴穂宮/御陵在・菅原之伏見岡也/菅原伏見陵/菅原伏見西陵////   安康3/8/
壬辰9/456/9/24-9/25


21雄略天皇/大泊瀬わかたけの尊/泊瀬朝倉宮/御陵在・河内之多知比「亶鳥」也/丹比高鷲原陵/丹比高鷲原陵///
/雄略23/8/丙子7/479/9/8-9/9


--飯豊青皇女 //忍海角刺宮//                     清寧5/11月内・戊寅とすれば484/12/12-12/13


22清寧天皇/袁祁石巣別尊・白髪武広国おし稚日本根子尊/磐余甕栗宮//河内坂門原陵/河内坂門原陵////清寧5
/1/己丑16/484/2/27-2/28


23顕宗天皇/来米稚子・おけ尊/近飛鳥八釣宮/御陵在・片岡之石坏岡也/傍丘磐坏丘陵/傍丘磐坏丘南陵////顕宗
3/4/庚辰25/487/6/2−6/3


24仁賢天皇/大脚・おけ尊/石上広高宮/     /埴生坂本陵/埴生坂本陵////    仁賢11/8/丁巳8/498/9/
9-9/10


25武烈天皇/小泊瀬稚さざきの尊/泊瀬列城宮/御陵在・片岡之石坏岡也/傍丘磐杯丘陵/傍丘磐杯丘北陵////武
烈8/12/己亥8/507/1/7-1/9


26継体天皇/おおどの尊/樟葉の宮・筒城宮(山城)・弟国宮(同)・磐余玉穂宮//御陵者・三嶋之藍陵也/藍野陵/三嶋
藍野陵////継体25/2/7///


27安閑天皇/勾大ひね広国押武金日尊/勾金橋宮/御陵在・河内之古市高屋村也/舊市高屋丘陵/古市高屋丘陵//
//安閑2/12/己卯17/536/1/15-1/17但し、別に534/12/乙丑17(535/1/6-1/8)、及び3/13とする説もある。


28宣化天皇/武小広国押盾尊・檜隈天皇/檜隈廬入野宮//身狭桃花鳥坂上陵/身狭桃花鳥坂上陵////宣化4/2/
甲午10/539/3/15-3/17


29欽明天皇/天国おしはるき広庭尊・志帰島天皇/磯城島金刺宮//桧隈坂合陵/桧隈坂合陵////欽明32/4/15
壬辰/571/5/24−5/26


30敏達天皇/譯語田ぬなくら太珠敷尊・他田天皇/百済大井宮・譯語田幸玉宮/御陵在・川内科長也/葬・譯語田天皇
於・磯長陵・是其妣皇后所レ葬之陵也/河内磯長中尾陵////         敏達14/8/己亥15/585/9/14-9/16


31用明天皇/大兄・橘豊日尊・池辺天皇/磐余池辺双槻宮/御陵在・石寸掖上、後遷科長中陵也/磐余池上陵・改二
葬橘豊日天皇於・河内磯長陵/河内磯長原陵///用明2/4/9癸丑/587/5/21−5/23


32祟峻天皇/泊瀬部尊・長谷部若雀命・倉橋天皇/倉梯(椅)柴垣宮/御陵在・倉椅岡上也/倉梯岡陵/倉梯岡陵////
祟峻5/11/乙巳3/592/12/12-12/14


33推古天皇/額田部皇女・豊みけかしぎや姫尊・小治田天皇/豊浦宮・小墾田宮/御陵在・大野岡上、後遷科長大陵
也/葬二竹田皇子之陵一/磯長山田陵///// 推古36/3/7///


34舒明天皇/田村皇子・息長足日広額尊・高市天皇・岡本天皇//飛鳥岡本宮・田中宮・厩坂宮・百済宮///押坂内陵
////舒明13/10/丁酉9/641/11/17-11/20


35皇極天皇/宝皇女・天豊財重日足姫尊・飛鳥天皇・後岡本天皇/飛鳥板蓋宮/  /// ////////////////   ///
/////////////


36孝徳天皇/軽皇子・天万豊日尊/難波長柄豊碕宮/  /  /大阪磯長陵////  白雉5/10/10/654/11/24-11
/27


37斎明天皇///飛鳥板蓋宮・飛鳥川原宮・後飛鳥岡本宮・朝倉宮/ / /越智岡上陵////  斎明7/7/丁巳24/
661/8/24-8/27


38天智天皇/葛城の中大兄皇子・天命開別尊・近江天皇/志賀大津宮(近江)///山科陵(京都市)////天智10/12
/乙丑3/672/1/7-1/10


39弘文天皇/大友皇子・伊賀命・/志賀大津宮(近江)////長等山前陵(大津市)////       弘文1/7/壬子23/
672/8/21-8/24


40天武天皇/大海人皇子・天ぬ中原おきの真人尊・浄御原天皇//飛鳥浄御原宮///檜隈大内陵//// 朱鳥1/9/
丙午9/686/10/1-10/4


41持統天皇/うのささらの皇女・大倭根子天の広野日女尊・藤原宮御宇天皇//飛鳥浄御原宮・藤原宮///檜隈大内
陵////         大宝2/12/甲寅22/703/1/13-1/17

42文武天皇/かる皇子・倭根子豊祖父天皇・後藤原宮御宇天皇//藤原宮///檜隈安古岡上陵////慶雲4/6/辛巳
15/707/7/18-7/22


43元明天皇/阿閇皇女・日本根子天津御代豊国成姫天皇///藤原宮・平城宮///奈保山東陵////養老5/12/己
卯7/721/12/29-722/1/2


44元正天皇/氷高皇女・新家姫・日本根子高瑞浄足姫天皇//平城宮///奈保山西陵/////天平20/4/庚申21/7
48/5/22−5/26


45聖武天皇/首皇子・天璽国押開豊桜彦尊//平城宮・恭仁宮(山城)・紫香楽宮・難波宮・平城宮///佐保山南陵////
天平勝宝8/5/庚申2/756/4/15−4/19

 −光明皇后/藤原安宿媛//      平城宮/      天平宝宇4/6/乙丑7/760/7/23−7/27

46孝謙天皇///平城宮/阿倍皇女・高野姫・宝子称徳孝謙皇帝/// ////////////////////////////////////////
///////


47淳仁天皇/大炊皇子・淡路廃帝//平城宮・保良宮(近江)// /淡路陵/////     天平神護1/10/辛巳23/
765/11/10-11/14


48称徳天皇//平城宮/       /  /高野陵/////        神護景雲4/8/癸巳4/770/8/28-9/1
   

49光仁天皇/白壁皇子・天宗高紹天皇・後田原天皇//平城宮/   / /田原東陵/////  天応1/12/丁未23/
782/1/11-1/15


50桓武天皇/山部皇子・日本根子皇統弥照尊・柏原天皇///平城宮・長岡宮(山城)・平安宮(同)///柏原陵(京都市)//
//延暦25/3/辛巳17/806/4/9-4/13


51平城天皇/小殿・日本根子天推国高彦尊・奈良帝//平安宮///揚梅陵////      天長1/7/甲寅7/824/8/5
-8/9


81安徳天皇/////福原宮//六波羅第で治承2(1178)年11月生、屋島に行在後に壇ノ浦にて文治元年3/24入水
(宝算8歳)、御陵は下関市阿弥陀寺町//////////////寿永4(1185)年3/丁未24、//ユリウス4/25−グレゴリオ5
/2//////



96後醍醐天皇//太政官庁//吉野行宮(大覚寺統)//////////////延元元(建武3)年/8/16己丑/1336/U9/21
//G9/29//宝算52歳、御陵は吉野山如意輪寺の東丘塔尾陵。


97後村上天皇/////住吉行宮・アノウ(賀名生)行宮・吉野行宮///////////////////////


98長慶天皇///////住吉行宮()/////////////////////


99後亀山天皇//////吉野行宮//////////////////////

以下、国立国会図書館資料http://www.dap.ndl.go.jp/home/modules/dasearch/dirsearch.php?id=oai%3Akindai.ndl.go.
jp%3A40017767-00000&cc=02_08_08&keyword=&and_or=ANDから引用すれば、

第四十一代 持統天皇 桧隈大内陵
第四十二代 文武天皇 桧隈安古岡上陵
     御父 岡宮天皇 真弓丘陵
第四十三代 元明天皇 奈保山東陵
第四十四代 元正天皇 奈保山西陵
第四十五代 聖武天皇 佐保山南陵
第四十六代 孝謙天皇 高野陵
第四十七代 淳仁天皇 淡路陵
第四十八代 称徳天皇 高野陵
第四十九代 光仁天皇 田原東陵
    御父 春日宮天皇 田原西陵
    皇子 崇道天皇 八島陵
第五十代  桓武天皇 柏原陵
第五十一代 平城天皇 楊梅陵
第五十二代 嵯峨天皇 嵯峨山上陵
第五十三代 淳和天皇 大原野西嶺上陵
第五十四代 仁明天皇 深草陵
第五十五代 文徳天皇 田邑陵
第五十六代 清和天皇 水尾山陵
第五十七代 陽成院天皇 神楽岡東陵
第五十八代 光孝天皇 後田邑陵
第五十九代 宇多天皇 大内山陵
第六十代  醍醐天皇 後山科陵
第六十一代 朱雀院天皇 醍醐陵
第六十二代 村上天皇 村上陵
第六十三代 冷泉院天皇 桜本陵
第六十四代 円融院天皇 後村上陵
第六十五代 花山院皇天 紙屋上陵
第六十六代 一条院天皇 円融寺北陵
第六十七代 三条院天皇 北山陵
第六十八代 後一条院天皇 菩提樹院陵
第六十九代 後朱雀天皇 円乗寺陵
第七十代  後冷泉院天皇 円教寺陵
第七十一代 後三条天皇 円宗寺陵
第七十二代 白河院天皇 成菩提院陵
第七十三代 堀河院天皇 後円教寺陵
第七十四代 鳥羽院天皇 安楽寿院陵
第七十五代 崇徳院天皇 白峰陵
第七十六代 近衛院天皇 安楽寿院南陵
第七十七代 後白河院天皇 法住寺法華堂
第七十八代 二条院天皇 香隆寺陵
第七十九代 六条院天皇 清閑寺陵
第八十代  高倉院天皇 後清閑寺陵
第八十一代 安徳天皇 阿弥陀寺陵
第八十二代 後鳥羽院天皇 大原陵
第八十三代 土御門院天皇 金原陵
第八十四代 順徳院天皇 大原陵
第八十五代 仲恭天皇 九条陵
第八十六代 後堀河院天皇 観音寺陵
第八十七代 四条院天皇 月輪陵
第八十八代 後嵯峨院天皇 嵯峨殿法華堂
第八十九代 後深草院天皇 深草法華堂
第九十代  亀山院天皇 亀山殿法華堂
第九十一代 後宇多院天皇 蓮華峰寺陵
第九十二代 伏見院天皇 深草法華堂
第九十三代 後伏見院天皇 深草法華堂
第九十四代 後二条院天皇 北白河陵
第九十五代 花園院天皇 十楽院上陵
第九十六代 後醍醐天皇 塔尾陵
第九十七代 後村上天皇 桧尾陵
第九十八代 長慶天皇
第九十九代 後亀山院天皇 嵯峨小倉陵
    北朝 光厳院天皇 山国陵
    北朝 光明院天皇 大光明寺陵
    北朝 崇光院天皇 大光明寺陵
    北朝 後光厳院天皇 深草法華堂
    北朝 後円融院天皇 深草法華堂
第百代    後小松院天皇 深草法華堂
第百一代  称光院天皇 深草法華堂
第百二代  後花園院天皇 後山国陵
第百三代  後土御門院天皇 深草法華堂
第百四代  後柏原院天皇 深草法華堂
第百五代  後奈良院天皇 深草法華堂
第百六代  正親町院天皇 深草法華堂
第百七代  後陽成院天皇 深草法華堂
第百八代  後水尾院天皇 月輪陵
第百九代  明正院天皇 月輪陵
第百十代  後光明院天皇 月輪陵
第百十一代 後西院天皇 月輪陵
第百十二代 霊元院天皇 月輪陵
第百十三代 東山院天皇 月輪陵
第百十四代 中御門院天皇 月輪陵
第百十五代 桜町院天皇 月輪陵
第百十六代 桃園院天皇 月輪陵
第百十七代 後桜町院天皇 月輪陵
第百十八代 後桃園院天皇 月輪陵
第百十九代 光格天皇 後月輪陵
第百二十代 仁孝天皇 後月輪陵
第百二十一代 孝明天皇 後月輪東山陵
    皇后 英照皇太后 後月輪東北陵







・・・ ・・・ ・・・ ・・・ 以下省略。




●参考文献 ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・  

  「前方後円墳集成」近畿編         近藤義郎                      山川出版社
  「天皇陵総覧」                                        新人物往来社
  「日本陰陽暦日対照表」上巻        加唐興三郎                    ニットー出版企画
  「皇室の百科事典」              歴史百科編集部                 新人物往来社
  「日本超古代文明のすべて」   佐治芳彦・高橋良典・鈴木 旭・幸沙代子・関 裕二ほか著     日本文芸社




所 見・・・・・・・我が国の歴史や歴代天皇の存在が疑問視される理由の第一は、天皇一代の在世期間、即ち寿命が異
常に長い点である。

つまり実在を立証するには魏志倭人伝など、外典との矛盾が出る、との指摘、つまり資料批判の根拠として従来から
那珂通世(文学博士)などから、シナの「辛酉説」(別項参照)などを借りて、入れ替わり立ち代り蒸し返して来た訳です。
それらは要するに記紀編纂の過程に於いて「日本史が事実よりも引き伸ばされた疑いがある」と言う仮説でした。

如何にも尤もらしい説として多くが此処に一度は引き込まれる。けれども筆者が暦日と方位を重ねて古墳と遷宮とを検
証して見ると次々と命日と墳墓が合致して行くので、寿命問題の当否は別としても、此れまでの所では記紀の記録は略
正しかったと判断出来る。

この点は驚異的な事である。命日が明確に伝えられていた、と言う事は、暦法がシナから渡来したものもあるとは言
え、現代社会よりも正しい天文暦法と優れた方位測量法を当時の日本人が既に確立していたと判明するからである。

しかも史記や魏志倭人伝などと比べて記紀の記述が確りしているのは、暦日を干支まで入れて記録している点であ
る。更に現代にまで人々に語り継がれた地名や姓氏の系譜とも合致する事である。但し、一部に疑問とする点は、歴
代天皇の多くが何故か其の月の15日までに崩御している事である。

本表の中の、51人中の命日では、50人中、神功皇后17、仁徳16、反正23、清寧16、顕宗25、安閑17、斎明24、弘文
23、持統22、元正21、光仁23、桓武17日、の12人だけがその例外となり、23.5%に過ぎない事が分るが、人間ですから
機械的な判断で「確率的には50%が妥当」と判断するのもまた問題で有ろう。


・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ●○◎□◇■◆△▽▲▼☆★
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